スプートニクの約束 第四話
「バカな軍人だな。視界から敵を消しちャダメだろ」
身体を器用に回転させケースを蹴り上げた右足を地に下ろして軸にし、左足で顔面への追撃をしようと構えながらにやついている女の後ろで男が目を見開いた。そして、「おい、ストレルカ! 離れろ!」と大声で叫んだ。男の方は私が何をしたのかすぐに察したようだ。
楽器ケースの蓋で視界を塞いだのは、意図的な行為である。
この中にはブルゼイ・ストリカザが入っているのだ。怪しまれずに、さらに持ち上げることなく手元へと運んでくれた。
この二人組がおとなしく荷物を見せるわけも無く、いつか攻撃に転じてくるのは読めていた。そして、視界を遮っても逃げ出すようなタイプではないこともわかっていた。攻撃を仕掛けてくるタイミングは、麻袋を地面に置いた時点ですぐにわかった。そこで槍を取り出すついでにわざと隙を与え、攻めの一手を出させたのだ。
顔の前で握りしめた槍で女の方が続けて繰り出した顔面への蹴りを受け止め、二人を睨め付けた。
蹴られた拍子に銃は飛んでいってしまった。拳銃の方が手っ取り早いかもしれない。しかし、なぜか身体は槍を求めていた。この二人には槍の方がいいと、腕がそう言うのだ。
ストレルカと呼ばれた女の方は、軸足を屈ませてすぐさま飛び退き男の横に立った。着地と同時に背中から武器を取り出した。戦闘向きではない大鎌を持ち出している。刃こぼれ、錆びだらけでまるで農作業用の物を無理矢理戦闘用に流用しているようだ。
ベルカと呼ばれた男はいつのまにか剣を握りしめ、切っ先をこちらに向けていた。緩やかに曲を描いた刃は路地に差し込む光にも輝き、照り返し通り過ぎた光の残像は周囲の景色を切り取ったかのように映し返している。
「二人組、それも相当な手練れですね。ですが、多勢に無勢……とは感じないのは何故でしょう。それにいつもより槍が軽い、いや、手になじむ重さだ。握る手が熱くなっているのではなくて、槍そのものが血を求めているように熱くなっていますね」
「……おい、ベルカ。あれは少しばかりマズいエモノかもしれねェ」
ストレルカは槍と私の顔を交互に見つめた後、すぐに大鎌を横に持ち防御に入った。その仕草を見たベルカは見せつけるように剣を回し始めた。背中と顔の前を切り落としてしまうのではないかと思うほどに這わせ、そして素早く回した後、再び切っ先を私へと向けて怪訝な顔をした。傾く刃に私の顔が映った。
「なぜだ、ストレルカ。あの優男は確かに強いな。だが、二対一で分はあるぞ? 槍使いは動きが大きくなる。オレたちとの相性は悪くない」
「いや、そういうことじャあない。あれはそういうエモノじゃない。アタシらは本能的に避けるべき物だ」
二人とも私から目を離さず何かを話していた。しかし、それは私の耳には一切入らず、私は導かれるように槍を下段に構えた。ゆらゆらと血がたぎるような感覚が背筋を抜けると、足首は気がつかないうちに踏み込んでいた。
「ベルカ、ガキを持て! にげッ……」
ストレルカの叫び声が終わる前には男の間合いの、近すぎて届かない腕の内側に踏み込んでいた。そして、糸でつられるように槍の切っ先を天へと振り上げた。
ベルカの反応の方が僅かに速かったようだ。金属の震える音とともに出来た切っ先は一つの線のようになり、服を裂き顎の下を通り過ぎた。
ベルカはバク転をして回避し体勢を整えている横をストレルカは通り抜けていった。そして、ベルカもそれに続いて走り出し、振り向かずにあっという間に見えなくなった。二人は何も言わずに一目散でその場から逃走したのだ。
血が沸騰しているような感覚が残り続け、このまま追いかければ必ず仕留められると何かが耳元で囁いた。だが、それは有意な状況が見せる幻覚でしかない。大きく息を吸い込み、目を深くつぶり自らを落ち着かせることにした。
寒さにより頭が冷やされ、静けさと落ち着きを取り戻したので道ばたに残されていた麻袋を開けた。すると中で小さな女の子が眠っていた。やはり児童誘拐だったようだ。
だが、その女の子の容姿を見たとき、何かが背中を走った。冷やされていた頭が再び湧くような。戦いとはまた違う、猛りを与えたのだ。
真珠のように輝く白い肌と雪の積もった氷河のような髪色をしていたのだ。ストレルカと言われていた女の比ではなく、この子は間違いなく。
ベルカの剣はシャシュカです。