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デオドラモミの錬金術師 第四話

過去編です。

 落ちる雨粒が空に還るまではどのくらいの時間がかかるのだろうか。山に降り、川に流れて、海に達する。そして海流に乗って温かいところまで運ばれて、蒸発し雲になる。時間はどうすれば元に戻るのだろうか。雨とは違って戻ることはないはず。


 ダリダは占星術師という、失われつつある職業を未だにやっている。なぜ誰もやらなくなったのかというと、単純に危ないからだ。時間や空間を弄りまわすことはあるべきものの流れをかき回すことになる。雨は降らせればどこかで干ばつが起き、止めてしまうとどこかで水害が起きるように、時間も操ればどこかでほころびが生まれる。目に見えない時間の流れはきっと人の理解を超えた害をなすはずだ。


 もともと占星術は世界と生命をつなげる学問として生まれた。世界と生命に共通して起こる変化がそれをつなげるものとして時間の概念を作り出した。時間を認識するためには太陽、月、星々を観測して、それを基にする必要があった。その中で多くの星々と同じ動きをせず、太陽と月だけ独立し対になり調和していることこそが時間の根源であると考えられた。紀元こそははっきりしているものの、誰がそれを時空に触れることへ導いたのか、それははっきりしていない。

 ただ言えることは、かつて差が無く平等だった時間というものに速度を与え、不平等な差を生み出してしまった罪は重い。



 ダリダはときどきいなくなることがあった。

 どこかへ遊びに行っているわけではなく、政府直属の研究機関で実験の手伝いを行っているのだ。占星術を操れる人材は少なく、連盟政府の地域全土で50人を下回るほどだ。操るには血筋もあり、そして高齢化も激しい。血筋であれば誰でも扱えるものでかつて栄華を誇ったが、その血筋の忌むべき出自が明らかになると名乗る者は減っていった。さらにダリダの話では突然失踪することもあるそうで、つい何年か前に十も離れていない叔母が忽然と居なくなったそうだ。


 少なさ故に実験が行われるとほとんど全員が駆り出される。唯一の若手のダリダは貴重な存在だ。占星術の特殊な性質に気が付いた政府は実験に協力的、というよりは強制的にやらせているようだ。その時点までに占星術の分野は時間の流れを早めたり、遅くしたりすることには成功していた。だが、止める、と言う行為はどうしてもうまくいかなかった。止めるための方法として無限に速度を遅くすればいいというのが当時の学界の見解だった。しかし、どれだけ遅くしても認識できないほどに小さくなるだけで、積み重ねればそれも大きくなるので『完全なるゼロ』ではない。


 老いた占星術師たちの研究内容は『速度をマイナスにする』をメインテーマにしたものだった。つまり、過去に戻すということだ。その流れを一度完全に止めて速度をマイナスにするという、完全なるゼロのその先を見据えていた。うまくいきさえすれば老い先短い頭を悩ます必要もないのだろうか。


「時間の速度の理解をさらに深め、その性質の根本を探求し、世界の開闢と終焉を観測する」という大義名分を掲げているが、その裏に利権がちらついているのが私には見えていた。過去に戻すことへの足掛かりすらつかめていないのに、潤沢な資金に目がくらんだ老害占星術師たちが政府の顔色をうかがう故に大言壮語を並べたとしか考えられない。そして政府側もどれだけのリスクを冒しても『時間』を掌握したいのだろう。

 いや、もしかしたら、巻き戻しを成功させた未来の壊滅的状況を見た誰かがその危険性に気づき、時間を巻き戻して可能性や技術を潰しているのかもしれない。



 ある時、実験参加により離れていたダリダを除いた私たちのチームメンバーが女性の上官に呼び出された。任務終了後の疲れ切った状態で最悪の知らせを私たちは聞かされた。

 ダリダの研究所で大規模な事故が発生し、それに彼女が巻き込まれたのだ。詳しいことはまだわかっていないそうだ。彼女のいた研究所は急遽立ち入りが禁止され原因と被害を捜索中らしい。もとより小さな事故は頻発していたが、その時は特にひどかったとのことだ。


「おい、リク! どこへ行く気だ!?」


 話が終わる前にゆらりと立ち上がり外へ出ようとしたリクをアルフが呼び止めた。ドアノブを握る手が力を籠めすぎているのかうち震えている。


「脱走兵でもなんでもいい。俺はダリダを助けに行く」


 振り向かず、聞き取れないほど深い声でそうつぶやいた。リクにできることは装置の破壊だけだ。装置を操作して何かすることなどできるはずもない。まさか、壊せば何とかなるとでも思っているのではないだろうか。私は身を乗り出して声を荒げた。


「リクさん、待ってください! あんた魔法が、占星術が使えるんですか!? 脳筋ゴリラが研究所で暴れて装置が壊れたら損失は計り知れないですよ!?」

「てめぇ! ユー! ダリダより装置が大事だってのか!?」


 掴んでいたドアノブを手放し振り向くとどすどすと足音を立て近づいてきた。そして向かいの椅子を蹴り飛ばした。私はなぜかわからないが、そのときリクに対して妙に強気になっていた。


「違います! その機材が無ければ助からないということを考えてください。まだ何が起こったかわかりませんが、前例のない特殊な状況になっていると思います。その特殊を解決するのは特殊なものが必要になるはずです。リクさん、ここは落ち着いてもらえませんか?」

「じゃあここで手をこまねいてろってのか!?」


 机に両手のひらを叩きつけた。バンと大きな音がすると、置いてあった水差しやコップが倒れた。私は目の前に来たアルフの顔にさらに近づいた。


「そうです! プロに任せるしかないのです! 力で解決できる世界の話ではないのです!」


 眉間にしわを寄せるリクを私は見据えた。睨み付けるのではなく、自分の意思が伝わるように強く。


「リクさん、あんたはダリダさんのそばで誰よりも占星術を見てきたはずです。いくらあなたが脳筋でもその特殊性も理解しているはずです。それがあんたにはできますか? 愛の奇跡でも起こると思っているのですか!? いくら愛し合っていてもできないものはできないのです! 彼女を愛しているならここは落ち着いてください!」


 いまにも掴み掛りそうだったリクの目に少し弱気な光がともった。


「わかってくれましたね? 心配なのはあんただけじゃないんです」


小さい声でクソッと言うのが聞こえた。そしてドアをそっと開けると出て行った。


「アルフさん、申し訳ないけどリクさんについていてもらえないですか?」

「そのつもりだ。あの様子ならおそらく突っ込んだりはしないだろう。だが、心配だしな」

そして追いかけるようにリクの後をついて行った。

「ユウ、おまえは賢いな。それによく止められた」

「私はかつて研究機関にいました。当たり前のことを言っただけです」


 残されたマリソルはリクと私の言い合いを見ている間あっけにとられて口をはさめなかったらしい。


「なかなか、おまえ、かっこいいやつだな」


 そう言いながら頬を掻いていて、視線は上や横へ泳いでいる。恥ずかしくなり顔が火照るような気がした。言葉が出てこず、しばらくお互い無言になった。


「あたし、まだここにいるけど?」


 女の上官がそう言った。




 それから事故が起きて落ち着かない日がしばらく過ぎた。

 リクは明らかに自棄を起こしている様子で、任務中はこれでもかと言うほど物を破壊していた。戦闘中は周囲の木を切り倒し、敵に向かって次々投げ飛ばし、息の根が止まっていても執拗に攻撃をしていた。まるで熊と言うよりも狂戦士のようだった。


 しかし、発生から一週間後のことだ。事態は動いた。

 ダリダが突然外に出てきたらしいのだ。彼女は息も絶え絶えの状態で事故の内容を語った。所属する研究班の行った小規模時間遅延試験の最中、効果範囲を測定可能最低限の規模で行う予定だったが、とある研究員が効果範囲の設定を間違えた。

 さらに偶然にも出力を過剰にあげすぎてしまったそうだ。魔術が発動するや否や、研究室の中の時間は速度を落とし続けて行った。効果のある空間内にいた研究員は互いに相対時間速度差が無く、起きてしまった事態に気が付くことが無かった。

 一人がコーヒーを取りに部屋を出た瞬間、時間速度差効果により体の血流にすさまじい速度差が生まれ、体の一部が吹き飛んだことで発覚した。外部から装置を止めるも効果範囲内にある装置に指示が伝わるわけもなく、さらに内部には減速装置しかないため修正は不可能だった。外部から再び速度を元に戻すためには何百年も要するそうだ。その空間の中にいれば数時間といったわずかな出来事なのだが。


 空間内にいた占星術師たちがダリダを外に出そうとして彼女の周りだけ時間を加速させ、外部との速度の差をゼロにしたのだ。若い力を外に出すことで自分たちの数百年先の救出の可能性を見出したのだろう。その作戦は成功、そして彼女は出てくることができたのだ。時間の流れが遅くなった中で、外部の時間でたった七日のうちにそれを成し遂げるほど、みな必死でやったのだろう。彼女は怪我を全くしていない、と言う報告を受けた。時間速度の増減による副作用が無いか検査を受けているそうだ。それが済み次第、支障が出なければここへ戻ってくるらしい。

 それを聞いてリクは落ち着きを取り戻したようだ。

 ダリダに限らず移動魔法は使用禁止にされていて野営地までは馬車を乗り継いで来るので、ここへの到着はだいぶ先になるようだ。



 それから一週間ほどして戻ってきた。陽も暮れた小雨の降る野営地にダリダの乗る馬車が着いた。馬車から降りる彼女は傘を差した。季節が戻ったように寒い夜で、吐息は白く立ち上った。彼女の姿を見つけた私たちは、雨避けのない停車場まで駆け寄った。蒸発する雨水の湯気の立つランプの照明で逆光になったダリダは何も様子が変わっていないように見えた。その怪我のなさそうな姿を見て私は安心した。それにはアルフもマリソルも、そしてリクもそうだったはずだ。

 集まった私たちを驚いたように眺めると、少しやつれた顔で微笑んだ。


「みんな、ただいま」




 翌日は雨期の晴れ間が広がった。久しぶりに見た青空に季節を先取りしたような雄大な雲が浮かんでいた。珍しく任務や戦闘行為のない穏やかな日で、広い空と雄大な雲のせいで静けさが募った。踏み荒らされて禿げたところの多い草原に五人で腰かけ、ぼんやりと空を眺めてつかの間の静寂をかみしめていた。


「バチが当たったのかしら」


 ダリダがぽつりとつぶやいた。全員の視線が彼女に集まった。


「どうかしたのか?」


 寝転がっていたアルフが体を起こした。ダリダは青い遠くのどこかをみつめたまま続けた。


「この間の事故で怪我はしなかった。でも」


 のばしていた足を抱えると、体を小さく丸めた。


「副作用で普通の人の何倍も長生きするかもしれないんだって」


 実験の事故の副作用で彼女の寿命は何倍にも延長されたらしい。検査の結果で代謝とかそういうのが普通の何千倍も遅くなっているそうだ。ただ、昨日の夜から彼女がそう言いだすまでの間、普通にものを食べたり夜は眠ったり、何一つ変わった様子はなかった。人間の寿命から考えて、永遠に近い時間を与えられたということは不老不死ということだ。それは果たして罰なのだろうか。


「不老不死、ということか。それはとても寂しいな。家族も友人も死んでいくのを目の当たりにしなければいけないからな」


 マリソルは空を見上げたまま言った。

 人は一人では存在できない。周りに誰かがいて初めて自分が存在する。自分を存在させてくれた周囲の人がいなくなるということは、自分の存在も無くなるに等しい。人それぞれの中にそれぞれの自分が存在する。その中のどれかを自分自身で好きになれたとしよう。もし、その大好きな自分を心の中に持つ人が死んでしまったら。考えるだけで寂しい。

 この五人の中のそれぞれの私はどれもいなくなってほしくないと、その時思ったのだ。


「マリソルはきついこと言ってくれるなァ。俺の前で」


 リクは膝の上で頬杖をつくと芝生をぷちぷちと抜いた。


「……すまなかった」

「ダリダはどうなんだ?今のところ、何か不自由はあるか?」


 アルフは真剣な顔をしていた。


「全くないわね。正直なところ、これから何年も何百年も何千年生きることに実感がわかないの。その間に家族も友だちも、みんなも、そしてリクもいなくなっていくってことにも実感が無いのよ」


 そういう彼女の表情は無かった。

 28年生きていた程度では人間の寿命がどのくらいなのか、それすらわからないのに、その何倍もの生はまるで見当がつかない。きっと今を生きる必死さゆえに理解できないまま人は死んでいくのだろう。途方もない時間の中でそれを理解することはできるのだろうか。


 ただ、わかるのは私はそうはなりたくない。それだけだ。


 誰もが口を紡いでしまったのはきっと、実感が無いのは皆同じなのだろう。遠くに陽炎が立ち、兵舎を揺らしていた。


「長生きすればそれだけたくさんの出会いもあるわよ。何が起きるかもわからないし」


 ダリダは再び沈黙を破った。それを聞いたリクは立ち上がり腕を腰に当てた。


「オイオイ、俺以外とも出会いがあるのかよ?でも前向きに考えてくれてよかったぜ。じゃあ、俺ぁ死なねぜぇ? 他の誰かに渡すなんてしたかぁないしな」

「お、リク。意外と独占欲強いな。ははは」

「熊ゴリラに永久に監禁されるのか、ダリダ。おまえも不運だな。わたしなら暑苦しさに舌を噛みそうだ」

「てめぇこのやろう! 口ァへらねぇなぁ、ったく」

「そうね。そんな熊ゴリラが大好きなんだけどね」


 私以外は冗談を言って盛り上がって笑い合っている。落ち込ませまいと言う彼女の気遣いに応えることが私にはどうしてもできなかったのだ。


「さて休憩も終わりだな。作業があるから先に戻る。マリソル、ユー、ちょっと来てくれ」


 アルフは立ち上がり、兵舎へ向かって歩き出した。遅れまいと立ち上がり、彼について行った。


 去り際に振り返ると、広い青い空と雄大な雲の前で逆光の二人が抱き合っていた。

 よくは見えなかったが、おそらくダリダはリクの腕の中で泣いていた。見つめてしまいそうな光景だったが、それ以上振り向くことはやめた。


 泣いているダリダはどのように感じたのだろうか。

 私にとっては事故の知らせも何もかもあっという間で、ただただ悲しいだけの出来事だった。




 あくる日は天気が悪く、目が覚めてカーテンの隙間から外を覗くと大きな水たまりがいくつもできていた。曇りガラス越しの敷地内は人気が少ない。

 そして、だいたいいつも通りの時間になると自然に集合となるはずのマリソルの姿はその日はなかった。一人で済ませる朝食の間、外の降りしきる雨を見ていた。明るくなれば人の多いこの野営地も雑踏の音がするのだが、その日は人の気配が少なかった。

 食堂にずぶぬれになった男が飛び込んできた。水の滴るその男はよく見ればアルフだった。


「ヴィトーの連中がいない」


 アルフは引きつった顔をしていた。

読んでいただきありがとうございました。

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