スプートニクの約束 第一話
国籍、不明。
スヴェンニーとエルフのハーフ。物心ついたときにはラド・デル・マルのスラムにいた。母親は人間で、イングマール系スヴェンニーらしい。馬鹿者やうるさい奴だという生まれついての言い方がイングマール独特のものらしいから、そうだと言われた。父親はエルフ。それしかわからない。
民籍表などと言うものがあるのを知ったのは、マゼルソンに会ってからだ。だが、連盟政府で生まれたにも関わらず、産まれて初めて貰えた籍は帝政ルーアのものだった。それも国に暮らす者だからと言うわけでもなく、便宜上のためだ。
名前、不明。
便宜上のルーア共和国の籍ではマレク・モンタン。連盟政府の諜報部、聖なる虹の橋に所属して与えられた籍には、ヴィヒトリ・モットラと書かれている。
そして、北公ではムーバリ・ヒュランデルと名乗っている。やがて整備される新国家の第二スヴェリア公民連邦国で作られる籍にはその名が載るだろう。
モンタン、モットラ、ムーバリ、それから……。果たして私の本名はあるのか。籍も名も、普通に生まれてさえいれば自然なものであり普通に生きるためには必要だ。
だが、私にはどちらも必要ない。
籍は軛、名前は呪いだ。その者を縛る、見えぬ外せぬ由々しい羈絆。与えた者はその者を縛り付けることができ、与えられた者は気がつかないうちに忠義を示すよう刷り込みをされる。
影を這いずり回るシロアリの私には、魂を一所に縛り付けてしまう籍や本名を持たないほうが生きやすい。偽りの名と籍を持つ私を縛り付けるのは細く脆い綿糸であり、示す忠義は空虚なもの。火を付ければ一瞬で紙のように燃え落ち、一吹きで雲散霧消の柔らかな灰にできる。
だが、過去未来ではなく今だけを切り取るならば、ノルデンヴィズにいる私は第二スヴェリア公民連邦国軍上佐ムーバリ・ヒュランデルである。
それにしても、ノルデンヴィズに戻ってくるまでかなり時間を要してしまった。来たときの何倍も時間がかかるとは思いもよらなかった。リティーロの封鎖が厳重化されているとなると遠回りせざるを得ないのだ。
モンタンとして共和国でイズミさんに会った後から二週間近くたったが、彼から音沙汰がない。“白い山の歌”の歌い手捜しは順調なのだろうか。
一度、北公に戻り閣下にお会いした後に、イズミさんたちの消息を再び追うことにした。
火山噴火の影響がいくらか弱まったのか、天気はよく、その空も以前よりも僅かばかりに青くなっていた。ノルデンヴィズでの支度を終え、カルル総統のいる前線基地へと向かう途中、職業会館裏通りを歩いているときだ。見慣れない服装の二人組の男女が前から歩いてくるのを見かけた。
すれ違い様に二人をくまなく確かめると、男の方は浅黒く焼けており、髪型はサイドを刈り上げ、モヒカンのように残った中心の髪を横に流している。女の方はやや丸みを帯びた顔をしていて、雪焼けしているのか赤くなっている。髪は帽子の下にきっちり仕舞われていて見えない。特徴的な黄色い瞳をしているが、おそらくブルゼイ族を先祖に持つのだろう。
イズミさんたちの仲間にいたあのブルゼイ族の女よりは特徴が少ない。歌については知らなさそうだ。
特徴はどうでもいい。それよりも怪しいことがある。
男の方は大きな麻袋を抱えているのだ。何か大きな荷物を運んでいるのだろうか。それにしても大きい。
すれ違うまさにその瞬間、男は麻袋を担ぎ直した。その刹那に中身が僅かに見えたのだが、そこには小さな掌が見えた様な気がしたのだ。