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スプートニクの償い 第十一話

 赤黒いコートの袖口から見えていた白い指先についていた爪は幼子のように丸くなり、白い手も小さくなっていき、さらにそれもすぐに袖の中へと飲み込まれていった。そして、縮んでいく腕を追いかけるように袖は潰れていき、やがて胴体に至ると僅かな膨らみを残すだけになった。そこで以前と同じように魔法を止めた。


 中身がなくなり波を打つようになっていった赤黒いコートの内側で何かがもぞもぞと動き出し、前身頃が左右に分かれるとそこから寝ぼけたような顔をした女の子がひょっこり顔を覗かせた。白い肌、シトリンの瞳、氷河のような髪色のその女の子は顔を上げて左右を見回した後、「ここはどこ?」と不安な顔で見つめてきた。


「ここはね、君のおうちじゃないよ」


 おかあさんは? と尋ねられるかと思った。しかし、小さな女の子は泣きそうになりながらオトガイにしわを寄せている。


 俺はククーシュカの時間を戻した。加減がわからずやり過ぎてしまうと存在そのものがなくなってしまいそうなので、身体の大きさが小さすぎない程度になったところで止めた。それが一体いくつくらいなのかははっきりとしない。5、6歳くらいだろうか。おそらく、彼女の母親が死んでしまい、いきなりひとりぼっちにされたくらいだろう。

 手を差し伸べると身体を縮ませてしまった。動きでコートがはだけると、その下は何も着ていなかった。コートをそのままかけるには大きすぎたので、俺は上着を脱いで被せた。


「大丈夫。君は一人じゃないから」と言うと、ついに泣き出して肩に掴まってきた。

「さみしかったね。もう大丈夫。お名前は言えるかな?」

「……セシリア」

「そうか。セシリアか。それで十分だよ。お腹は空いてない?」


 抱きかかえて持ち上げた。まるで小鳥でも載せているかのように軽い。

 セシリアを包み込むように抱き上げると、コートが落ちてしまいそうになった。すると、セシリアは腕の中で大きく動き出し、そのコートに必死で手を伸ばした。大事な物なのだろう。手が届かずに落ちてしまったコートを拾い上げて渡すと、顔を押しつけて匂いを嗅いだ。

「大きなコートだね」と抱き上げたまま、左右に揺らすと表情は僅かに穏やかになった。

 俺とセシリアの様子を見ていたアニエスは毛を逆立て、そして目を大きく開いていた。何も言わずに黙っているが、驚いているのだろう。どうやら俺がたった今したことの始終を見てしまったのだろう。


「イズミさん……、これどういうことですか?」

「聞くな……」

「ダメです。言いなさい!」

「“相対的時間減衰(テンポリトログラード)”……。時空系魔法において、人の域を超えたもの」


 アニエスに目を合わさず、聞こえない様なほど小さな声でそう囁くと、アニエスは大きく息をのみ口を掌で押さえて眼が動き始めた。


「ちょっと待って……。私の記憶とククーシュカちゃんが言っていた記憶が違うのって……まさか」

「何も言うな」


 俺は動揺し始めたアニエスを睨みつけた。


「もう二度と使わない。絶対に。それにククーシュカはもうこの世界にはいない。ここにいるのはセシリアだ」


 アニエスを治した時は服まで塞がった。今の状況ではククーシュカの被っていたウシャンカは当時の物に入れ替わったのか、拳一つ分くらいなほどに小さくなった。

 しかし、トンボのブローチのついた赤黒いコートだけは全く姿形を変えなかった。昔は真っ白だったと聞いていた。元に戻るなら、血の色が落ちてもおかしくない。様々な矛盾を全て無視する魔法の中で唯一変わることの無かったその事象は、どこか不思議な物に感じた。


 なぜだろうか。殺してきた者の最後の抵抗だろうか。残るのは構わない。ククーシュカだったセシリアに償わせることを俺たちに忘れさせないためだ。



 セシリア、これから君の人生が始まる。長い長い償いの人生だ。それはとても大変なことだ。

 君のすべき償いは、その愛らしい姿で一千万回笑い、百万の人々を幸せにしなければいけないことだ。

 だが、それは下手な贖罪よりも辛く険しいかもしれない。人を幸せに出来るのは幸せな人だけだからだ。


 残念だけど、俺たちは君に一つのことしかしてあげられない。それがうまくいくように君を幸せにするだけだ。


 

 君を幸せにする俺たちが、そして、君が幸せにしなければいけない百万の人が傍にいるんだ。

 もうひとりぼっちではないんだ。大丈夫、きっとうまくいく。

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