スプートニクの償い 第八話
「どうして逃げ出したんだ?」
ぼんやりとわかってはいたが、尋ねずにはいられなかった。ククーシュカは何も答えなかった。
俺たちのやり方がまずかったのは言うまでもない。だが、どうすればよかったのだろうか。毎度いつものように動けない状態に――もちろん病気ではなく関節を外したりで――して、痛みと戦闘の興奮状態の中で残ったアドレナリンにお互いまみれたまま怒鳴り合う方が良かったというのだろうか。
冷静に考えれば、その方が閑古鳥として生きてきた彼女には伝わったかもしれない。彼女は優しさに慣れていない。それにも関わらず、俺とアニエスが包み込むような、いや一方的に飲み込もうとするような押しつけの優しさを突然見せたのは、彼女にとって大きなショックだったのだろう。
しばらく黙っていると、
「イズミ、あなたはこれまで殺した人のことを覚えている?」
とククーシュカは尋ねてきた。
「ああ、ずっと昔、エルフを焼き殺したことがある。一度に16人だった。うちの4人はだいぶ苦しませた」
「その話、聞かせてくれるかしら?」
「病人に聞かせるのは、ちょっとなぁ」
「いいの。聞かせて」
ククーシュカは弱々しい声でせがむようにそう言った。
聞きたいからと言って、俺にとって簡単に話せることでもない。俺はそれを受け容れたわけではないのだ。話せばそのたびに心に、その程度の曖昧な物ではなく身体の中にきっちりとある胃袋や肺、腸に至るまではっきりとわかる不快感。脳裏どころか鼻には匂い、肌には気温、耳にはうめき声、目をつぶればその全てが手に取るように思い出せる。
それを押してまで話すのならば、何かしらの結果が必要だ。それも前向きなものだ。
話すことで求めた結果は、ククーシュカ自身の内面の変化だ。何年にもわたる彼女の暗闇から自らの手で脱出することが出来るのだろうか。彼女の言う、光の当たる場所に到達することが出来るのか、どうかである。
彼女自身の変化は彼女自身でしかもたらせない。だが、それでも可能性は薄くても俺はそれに賭けたいと思った。
俺は全てをククーシュカに話したのだ。焼き殺すに至るまでと焼き殺した後までの全てを包み隠すことなく。
話を聞いている最中、彼女は天井をずっと見ていた。太い梁の間の年季の入った冷たい石に何かを見たのだろうか。
「すごいわね」
話が終わると、彼女は天井を見つめたままそうつぶやいた。
「私は誰一人、覚えていないわ。最初に殺したのは……誰だったかしら。その後も、任務で覚えた名前も特徴も、大して覚えていないわ」
「覚えていたから、どうってわけじゃない。一人でも多すぎるんだ」
「そうね。私はたくさんの人の命を奪った。だから、これは当然の報い」
ククーシュカは黙り込むと、外を夜の風が駆け抜けて窓枠をガタガタと揺らした。平地にあるクライナ・シーニャトチカは風が強くなることが多い。隙間風が走り、高いうなり声を上げていた。その音が収まると、ククーシュカは悲しそうな顔で俺を見た。
「一人でも多すぎるならたくさん殺した私はなに? それとも一人殺したのと同じなのかしら?」
「ああ、一でも千でも殺したことは同じだよ」
本当は同じだなどとは言いたくない。だが、彼女を安心させたかった。少しでも光に近づけるように俺は背中を押したかった。
「そう……」と囁くと、微かに笑った。乏しい彼女が笑うのはどうしていつも悲しいときだけなのだろうか。