表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

58/1860

デオドラモミの錬金術師 第三話

過去編です。

 脱走学徒の死体は結局見つかることはなかった。再び小隊を連れて死体を放置してしまった場所に向かうと、乾いて黒くなった血しぶきの跡と拾いきれずに腐ったものの強烈な悪臭だけがそこにはあった。目印にと置いたはずの石もどこかへ行き、小さな塚の場所すらわからなくなっていた。死喰鳥が地面をほじくり返すわけがない。死体なぞ集めてどうする気なのだろうか。

 死体探しから戻ってから、マリソルの負傷の影響もありしばし非番の日が過ぎた。


「おい、ユウ。この間の報告書をまだ出していない。一緒に出しに行くぞ」


 喫煙所で仲間たちと一服吸っていたらマリソルが現れた。腰に手をついて、反対の手で持った紙をひらひらとさせている。隣のアルフが目を見開いて動きが止まった。


「マリソルさん、もう大丈夫なんですか? まだ一行たりと書いてないです。ごめんなさい」

「何をやっているんだ。タバコばっかり吸ってないでさっさと書いてわたしのところへ来い。一緒に行くぞ」


 彼女は私の怠惰を咎めるかと思ったが、ため息をつくだけだった。そして、ため息の後に顔をそむけて頭を掻いた。


「まぁ、わたしは問題ない。体は昔から丈夫だからな」


 そういうと背を向け去っていった。



 彼女が視界から外れた瞬間、私の肩に太い腕が左右からまきついた。


「おいぃ、ユストゥスくんん。お前マリソルと何かあったのか!?」

「私でも見てわかるほどに刺々しさが無くなってたわよ!?」


 ダリダが逃すまいとわざわざ目の前から覗きこんできた。


「しかも、ユウだとよ。俺ぁ熊ゴリラとしか呼ばれてないのに」


 両側からの暑苦しい吐息が頬に当たる。確かにマリソルの態度は少し変わった。呼び方も貧弱から名前になった。それだけだ。二人、いや三人とも何か勘違いしていないだろうか。


「いえ、何もありませんよ。この間死体探しを一緒にしたくらいです。うで毛うっとおしいんで放してもらえませんか?熊ゴリラとクジラさん?」


 私を囲む三人の、何か面白いおもちゃを見つけたような表情が腹立たしい。

ふぅ~ん、という釈然としない返事の後に絡まるうで毛から解放された。




 その翌日、休憩時間に部屋に戻ったときだ。昼寝でもしようかと食後の少し重たくなった体で自分のベッドに横たわった。この後の任務は深夜までの長丁場だ。すこし休んでおいた方がいい。幸いにも時間がある。


「すげぇパイオツだぜ!?」


 遠くなりかけていた意識を視界いっぱいに広がったルームメイトの鼻の下を伸ばした顔が現実へ引きずり戻した。鼻息を荒くしながら私を覗きこむ彼は大人向けの本、いわゆるエロ本を渡してきた。その本の表紙には小麦色の肌をした半裸の女性が描かれており、書いてある文字は声に出すのも恥ずかしいほどの過激な内容だった。おそらく本の中身の内容を何倍にも脚色したようなことが書いてあるのだろう。


「じゃ俺ら出て行くわ」


 そういうとルームメイトはどこかへ行き、部屋の中に私は一人になった。エロ本を渡して一人にしていったい何をしろと言うのだ。


―――ああ、そうか。ナニだな。


 すぐさま理解したが、とてもそんな気分ではない。それにこれは単なる絵画だ。欲望をありのままに出し過ぎていて、いまいち煽情に欠く。せっかく久しぶりに部屋で一人になったのだ。悠々自適で有意義な時間を過ごしたい。読む気にならないそれを適当に放ると再びベッドに横たわった。しかし、眠ろうと目をつぶるも、目が覚めてしまったので自分のスペースでこの間の報告書を書くことにした。



 しばらくして気が付くと私はうたた寝をしていた。部屋のドアがノックされて目が覚めた。ルームメイトが戻ってきたのだろうと思い、何も考えずドアを開けた。すると目の前には小麦色の肌をした女性の谷間が広がった。寝ぼけ眼には刺激が強く、それが目に入った瞬間におもわずギョッとしてしまった。

誰かと思い顔を上げてみると、マリソルが目と両眉を上げ不思議そうに見つめている。


「何驚いているんだ。報告書は終わったか?ユウ?」

「いま途中です。もう少しで終わります」

「何だ、そうか。なら中で待たせてもらうぞ」


 そういうとのしのしと部屋の中に上がり込んできた。特に見られて困るものはないし、報告書もあと数行なので、適当なところで待ってもらうことにした。


「男ばかりの部屋か。なかなか香ばしい部屋だな」


 マリソルはそう言いながら干されたタオルをよけて部屋の中を見回している。何かを見つけて床から拾い上げた。それをぱらぱらと読むと彼女がぴくりと動いた後に硬直した。何ごとかと思い彼女が拾ったものを見ると、さきほど放ったらかしたエロ本を持っていた。しまった、と思った時にはすでに遅かった。すさまじい悲鳴の後、顔面に本が飛んできた。


「な、なな、何を読んでいるんだ!? お前らは!? そんなもん! 捨てて、いや、男だから仕方ないのかもしれないが、しまえ! 今すぐしまええええ! さらすな! みせるな! さっさとしまえ!」


 肌の色の濃いにもかかわらず顔が紅潮しているのがわかるほどだ。早口まくしたてる彼女は腕を前で組み、前かがみになり体を隠すようにしていて、視線は泳いでいる。それがあまりにも女性的で私はマリソルをぼんやり見つめてしまった。

 そのまま沈黙が続くと、彼女は歯を食いしばり次第に眉山の角度が上がっていった。


「ユ、ユウ! おまえ、な何見ている!? さっさとそれをどっかにやって報告書を書き上げろ!」


 そういうと近くにあった枕を投げつけてきた。ぼすん、と顔にまくらが当たり、ずるりと床に落ちた。再び前を見るとマリソルが突進してきた。そして床に落ちた枕を拾うと、ばすんばすんと軽く叩いてきた。


「いつまでも見てるんじゃなーい! この! この!」


 紅潮させた顔を悔しそうにしている。


「ははは、マリソルさん。やめてくださいよ。書類書けないですよ」

「おーす終わったか―」


と表から声が聞こえた。部屋にルームメイトが戻ってきたようだ。


「それ手に入れるのなかなか苦労したんだぜ? どうだ? よかっ」



 マリソルの動きが止まり、ドアを見るとルームメイトがノックもせず入ってきた。そして目が合い、マリソルと私を交互に見ると躊躇いがちの笑い顔になっていった。


「あ、続けて、おかまいなく……。いやまさか女連れ込んでるとは、しかも」


 ルームメイトはそういうとそっとドアを閉めた。その後、廊下をかけていく足音が聞こえた。


「おい、みんな! ユーが部屋に女連れ込んでんぞ!」


とドア越しに声が聞こえた。


「おい! 待て! それはいったいどういう意味だ! 待て! コラ!」


 マリソルは枕を宙に放り、慌てた様子でルームメイトを追いかけるために外へ出て行った。



 部屋にマリソルがいた話は、私が女を部屋に連れ込んだという形で一瞬で広まった。野営地と言う狭いコミュニティだから仕方がないと言えば仕方がない。

 その後、女性の上官に二人で呼び出されて問い詰められたが、何かあったわけではなく彼女が書類を確認しに来たという事実を伝えると事なきを得た。上官も怒るつもりはなかったようで、終始ニヤニヤした顔つきで話を聞いていたし、真相が明らかになるとつまらなそうな顔になった。暗い話題ばかりの野営地では珍しい色恋沙汰ではないかと期待したのだろう。


 恥ずかしい話題と言えばそうなのだが、その件以降マリソルの評判は良くなった。お堅い印象、というより冷淡な印象だった彼女にも意外な一面があるとわかると皆話しかけやすくなったのだろう。彼女の態度も次第に角が取れていった。それはそれで私は少し寂しいと思った。


 狭い社会の中で一躍有名人になった私とマリソルはさまざまな知り合いが増えていった。だが、お互いを知り、理解を深めていくだけで日々が過ぎていくわけではなかった。悪化していく戦いの中であることにかわりはなく、大きな作戦行動や任務の後に気が付けば人数が減っていることもあった。話したこともなかった仲間と知り合えた次の日にその仲間がいなくなることもしばしばあった。

 仲間が減るのは寂しい。だから、できるだけ多くの仲間と知り合おう、お互いを理解し合い忘れないようにしようと努めた。しかし、どれだけ減ってもきっと自分は大丈夫だろう、そう思って日々を過ごしていたからこそ絆を深めようと考えていたことは事実だ。


 噂が立ってからは、私とマリソルはほとんど行動を共にするようになった。寝るときこそは別々だが、それ以外は朝も昼も夜も、食事中も常に一緒にいた。季節は進み、これからこの野営地の一帯は雨期に入るころになった。晴れの日は少なくなり雨ばかりの天気が続くのだ。天気がどう変わろうと、私たちは時間を共に過ごした。



「そういえば、ユウはどうして錬金術師になったのだ?」


 曇りがちの季節になったある日、彼女は私に尋ねてきた。それは実は私にとっては答えづらい質問だった。


「本当のところを言うと、なんとなく、なんですよ」


 私はストスリア近郊の僧侶の家系に生まれた。その当時の僧侶は簡易的な治療魔法と信仰活動ぐらいしかできない存在だったが、治療魔法が使えることは戦闘において非常に重要視されるので何もできない足手まといと言うわけではなかった。父も母も治療魔法は一流で立場も良く、裕福な暮らしを送ることができた。一人いた兄も僧侶になるべく名門校に通っていた。幼い私はその両親と兄の姿を見て育っていたので、自分も当然僧侶になると思って生きていた。

 しかし、15の時だ。私は僧侶たる資格を得るために僧侶科のある学校へ進学するために試験を受けた。その時すでに杖を持っており、自分の未来は僧侶へと導かれていると思った。その思いとは裏腹にどの僧侶科にも受かることはできなかったのだ。試験に失敗してしまった私は両親から、好きに生きていい、そう言われた。

 聞こえようによってはまるで見捨てられたような印象があるが、父も母も以前と変わらず私に愛情を注いでくれた。だが、父も母も兄も、祖母も祖父もその前も、私の家系には僧侶しかいない。その状況では好きに生きていいなどと考えられようか。

 なるかならないか、なりたいかなりたくないか、それすら考えたことが無い。自分はなるのが当然だ。そう思って生きてきた。では、何のために杖を持たされたのか。自分とその杖は僧侶のためにあるものだということ以外考えもしなかった。私は自らの意味を失った。


 あくる年、私はフロイデンベルクアカデミアの錬金術科を受けた。名門校だが、受ける人数も少ない。両親を安心させるためにとりあえず受けた名門校だ。結果、私は受かることができた。入学後はやはり勉強には身が入らず、とりあえず留年しないように、と最低限をこなしていた。実家からは離れて寮に住み、空いた時間にカフェで働き生活費を稼いだ。授業料はどうしてもまかなえず、両親に出してもらったが、それ以外はすべて自分で稼いだ。そして、気が付けば私は戦場にいたのだ。親不孝もいいところだ。



「ユウは立派にやっているとわたしは思う」


 隣に腰かけ、話を聞いたマリソルはつぶやいた。行動を共にする女性にそれを言われた瞬間、胸からあふれる暖かさが心の中にある何かがじんわり溶けるような気がした。


「家に縛られるな、というのはわたしも言うことはできないな」


 マリソルはイスペイネの商会、カルデロン・デ・コメルティオの家で育った。彼女は三人姉弟の長女で、弟は家業を継ぐ予定だ。マリソルは女であるため継ぐことができない。下の妹は繋がりを作るためにトバイアス・ザカライア商会に行った。これから何年かすれば婿を迎えるらしい。カルデロン・デ・コメルティオは海運業が非常に強く、商会も手を出せないほど海を牛耳っている。婿入りはあくまでカルデロンに有利なように見えるが、海を除いた商会の規模はトバイアス・ザカライアのほうが立場は上だ。妹や弟は決められた運命を拒否はしなかった。むしろ進んで受け入れた。好きに生きているわけではないのに、二人とも幸せそうなのだ。


「その中でわたしはヴィトー金融協会の戦闘集団にいる。二人と違うのは、幸せかどうかわからない、ということだ。不本意ながらもここにいるわけでもない。金融協会にいたくないわけでもない」


 曇り空を見上げて言った。


「わたしも、なんとなく、なのだろう。きっと」


 不満ではないが、満足ではない。それはある意味で幸せと言ってもいいのではないだろうか。ただ、人間はわがままだ。それが幸せではないのだ。正しくは、幸せであることに気が付かないのだ。実家は大富豪、戦闘においても優秀で強い心の持ち主である彼女は私の瞳にはとても幸せに写る。


「マリソルはそんなことないですよ。エースじゃないですか」

「そのエースをサポートできるユウも、だな」

「大した自信ですね」


 私はマリソルと目を合わせ、にやりと笑った。瞳に写る私を幸せだと思う人もいるのだろうか。



「ユウ、ここから帰れたらわたしの故郷に、イスペイネに一度来い。素晴らしいものを見せてやろう。雄大な海ときれいな砂浜、それからカルデロン家の紋章の信天翁(アルバトロス)が描いてある自慢の大きな鉄の船だ。人間なら1000人は運べるぞ」

「すごい船ですね。錬金術師としてはそれがどうやって浮くか確かめたいですね」

「頭の固い奴だな。ロマンを感じろ! ロマンを!」


 それから私はマリソルの故郷の話をたくさん聞いた。まだ始まったばかりだが、雨期が終われば太陽の季節がくる。そのころには彼女の故郷は溢れんばかりの活気が訪れているだろう。海と太陽の祝福を受けたマリソルが、陽がさす砂浜を無邪気に駆ける姿を見られるだろうか。


 話が終わると雨期の雨が降り出した。いつになく強い雨が。

読んでいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ