スプートニクの償い 第四話
「さぁ、一緒に行こう。ククーシュカ」
俺は手を伸ばした。彼女自らがその手を取りに来るように促しながらゆっくりと。だが、彼女はその手を取ろうとはせずなおも後退った。それどころか、腕を胸の前に縮み込ませて身体を横に向けている。
それでも俺は手を伸ばし続け、ついには彼女の顔の前まで来た。
しかし、彼女は顔を左右に振り、右手で俺の手を払った。
僅かに触れただけでもわかるほどに掌は冷たく乾燥し、砂が付いているかのように粉を吹いてしまっている。瑞々しく若い掌の持つ弾力など飢餓と寒さですっかり失っているようだった。
そこで無理に捕まえてでも、手を握れば良かったかもしれない。掌を払ったことにククーシュカはまたしても息をのみ、震える掌を見つめた。それでもなお後ずさることを止めなかった。
だが、後ろを見ていなかった彼女は足下にあった石に気がつかず、躓いて大きくふらついてしまった。仰向けに倒れ硬く冷たい地面に尻をつきそうになったので、引っ張り上げようと手をさらに伸ばしたが、つかみ損なってしまった。
しかし、いつの間にか背後に回ったアニエスがどさりと彼女を受け止め、
「大丈夫?」
と優しく微笑みかけたのだ。
使うなと言ったのに、使うとどうなってしまうかあれほど身に染みたはずなのに、彼女は高速移動を使ったようだ。
アニエスの腕の中でククーシュカはますます大きく震えだした。下顎は恐怖に支配され、歯をかちかちとならし、砕けた腰には力が入らないのか、一度は致命傷を与え、そしてそれからも殺そうと何度も試みたはずのアニエスにぐったりと体重を預けている。膝は笑い、もはや立ち上がれないようだ。
ククーシュカは突然悲鳴を上げた。
そして、脱力していた足腰に残っていた力を込め、抱えられていたアニエスの腕を振り切ろうと大きく動きはじめた。そして、僅かに出来た隙間からコートを脱ぎ捨てて走り出してしまった。
それから駆けていく彼女はあっという間に見えなくなってしまったのだ。
「追いかけないとマズい。移動魔法でどこかへ逃げられたら厄介だ」
「いえ、それはないと思いますよ」
アニエスは残されたコートのポケットの中に何かを見つけたのか、そこに手を入れた。引き出された手には、俺がいつかあげた移動用のマジックアイテムが握られている。
「そんな必死で逃げ出したのか。脅したつもりは無いんだけど、怖かったのかな」
「おそらく、長い間こういう風にされたことがなかったんだと思います。ましてや私たちを襲おうとしていました。その相手から突然寛容な態度を取られると、理解が追いつかなくて受け入れられなくなったんだと思いますよ」
「そうか……。でも、移動魔法は使えなくてもあの子は足が速い。それに夜になる前に見つけなきゃな。コートなしじゃ凍死するかもしれない。走って行ったのは……、クライナ・シーニャトチカの方か。村中なら遮る物もあるから隠れられると思ったんだろうな。森や茂みがなくて助かったよ。探しに行こう」
アニエスは黙って頷くと黒いコートを器用に畳み、三叉檄を持ち上げるとクライナ・シーニャトチカに向かって歩み出した俺に付いてきた。