スプートニクの帰路 第十話
男はゆっくりと顔を上げた。その顔はにたにたと不敵に笑っていた。
不気味さに警戒するように睨みつけながら、杖にそっと手をかけようとしたそのときだ。男は足を地面から離さずに雪原に大きな溝を描きながら後方へ大きく退いた。左足を軸に体を捻り足下の雪を思い切り蹴り上げると、俺たちに浴びせかけてきた。
氷のように硬い雪が顔に向かって飛んできたので、咄嗟に両腕で前を覆ってしまった。
「ストレルカ、奥だ! ブルゼイのガキは裏の部屋にいる!」
青白く塞がれた視界で男の叫び声が聞こえ、それと同時に奥の部屋から窓ガラスの割れる音が聞こえた。すぐさま雪と氷だらけの腕を下ろすと、男の姿はドア前には無かった。
「狙いはあの子だ! マズいぞ!」
すぐさまアニエスとともに裏の部屋に向かった。窓ガラスは割れていたが、誰もいなかったのだ。
「セシリアは!?」
「あの子は部屋を移動したんだ! 俺たちの見ていない後ろで! あの男は俺たちの後ろをチラチラ見ていたのはこっそり移動していたセシリアを見ていたんだ!」
慌てて元いたドア前に戻ると、開け放されたドアが揺れていた。
その先に、もぞもぞと大きく動く麻袋を抱えた女が橇に乗り込み、続いて先ほどの男が飛び乗ると同時にトナカイに鞭を打ち走り出した。
「クソ! アニエス、君はここで! 俺が戻ってこなかったら探しに来てくれ!」
アニエスは壁に掛けてあった杖を放ってきた。それを受け取り、外へと飛び出し橇を追いかけた。セシリアの入れられている麻袋に当たらないように炎熱系魔法を唱えた。
しかし、木に阻まれてしまい狙いが定まらない。逃げる彼らに追いつかなければ魔法が使えても意味が無い。
辺りを見回し、雪に立てておいたセシリアのために作ったスキー板を足に付け彼らを追いかけた。手頃なストックはセシリア用で小さく使い物にならなかったので、片方を杖、もう片方を落ちていた手頃な木の棒を持ち追いかけた。
スキーなど何年ぶりだろうか。四十五度以上にハの字を狭めたことがないが、それでは追いつかないのでうまく操れないながらもぐんぐんとスピードを上げていくと、開きつつあった橇との距離はすぐさま縮まっていった。
木々をするすると掻い潜り、執拗に追いかけ続けると辺りの木々が無くなった。ここは“雪崩れ遊び”をしていたところだ。それのおかげで出来た開けた場所に出たのだ。魔法の狙いを定めるために、一度板をハの字にして止まった。止まる板に弾かれた雪が舞い落ちるよりも早く呪文を唱えた。
三十メートルほど先を走っていた橇の右後ろに魔法が命中すると、コントロールを失った。熱と音に驚いたトナカイが暴走し、近くにあった石にぶつかり橇がひっくり返ると、乗せていた男女は大きく飛んだが、宙返りを繰り返すと器用に地面に降り立った。
しかし、麻袋に入れられていたセシリアはそのまま高く放り出されてしまった。慌ててスキーで駆け寄ろうとしたが、距離がありすぎた。間に合わないと思ったそのときだ。男の方がそれに駆け寄ると、麻袋を丁寧に受け止めた。
トナカイは森の中へと走り去ってしまった。
もう一人いた誘拐犯の女の方が頭を押さえながらゆっくりと顔を上げると、帽子が頭から落ちた。俺はその姿に息をのんだ。
やや丸みを帯びた顔は雪焼けしているのか、赤くなっている。耳当ての付いたハンチングから現れたのは、短い髪と横に流し額を露わにした前髪。そして、何よりも驚いたのは、その色だ。青みがかった白の下はターコイズブルーをしており、まるで氷河のようだった。さらに、瞳は黄色くまるでセシリアのそれと同じだったのだ。
「お前……、ブルゼイ族か!?」