スプートニクの帰路 第六話
“私の愛しいツェツィーリヤへ。君が生■れた■■は本当にうれしかった。母親のクラーラに似て……”
前回、気を失う前はここまで読んだ記憶がある。ツェツィーリヤという名前がうっすらと頭の中にあったせいで手紙のことを思い出したのだろう。サイドテーブルにコーヒーを置いたアニエスを呼んだ。
「なぁアニエス、セシリアって巻き舌で言ってみて。るるるる」
巻き舌をして聞かせると、アニエスはお盆を前に抱えて「私巻き舌なんか出来ません」と照れた。
「ごめん。でもさ、このツェツィーリヤってセシリアを巻き舌で言うとなりそうじゃないか?」
「そうかもしれませんね。続きを読んでみましょうよ」
俺がストーブの向かいにある刺繍だらけだが軟らかいソファに腰掛けると、アニエスは後ろに立ち首の横に顔を寄せて手紙を覗き込んだ。
“母親のクラーラによく似て綺麗な肌に髪に、目をしている。まさしく僕たち一族の子孫であることに間違いは無いほどに特徴的で美しい。愛しいツェツィーリヤ、君は間違いなく僕たちの家族だ。”
“これからさきにかいてあることは、きみがすこしおとなになってから、せめて、じゅうはっさいをすぎてからよんでほしい。”
名前の表記になると何故か細くなる文字で書かれた文章に続いて、突然文字がひらがなになり読みづらくなった。幼い子どもにも読めるように簡単な言葉が綴られているようだ。
そこから先はまるで読まれないようにするために二十行ほどの空白があった。
そして、再び文字が書かれ始めた。
“この空白を読み終えるのに、君は幾年月を費やしただろうか。今君はもう素敵な大人になれただろうか。なれたことだと、僕は思いたい。大人になれた君はさぞかし美しいだろう。これから先に書かれていることは、もしかしたらここにたどり着かないほうが幸せだったと思うようなことかもしれない。それでもいいなら続きを読んでほしい。
簡潔に言おう。
君の父親である僕、レナート・ウリンツキーは君と血のつながりは無い。つまり本当の父親ではないのだ。君は今ショックを受けているだろうか。それともどこかで気づいていただろうか。安心するかどうかはわからないが、一つだけ確かなことがある。クラーラ・ウリンツカヤは間違いなく君の母親である。
そして何度も繰り返すが、僕は、僕たち夫婦は君を愛していた。僕たちが生まれた君をツェツィーリヤという、ブルゼイ女王が戴冠式以降に名乗る高貴な名前を付けたのは、もちろん君はブルゼイ族の王族の末裔であることは紛れもない事実だからだ。
だが、国が滅んで久しくそのような今となっては王の名など全く意味をなさない。その名を授けた理由は、王族としての誇りからではない。ヘスカティースニャを後世に伝え残すためだ。
ブルゼイ族の王家のみに伝わるヘスカティースニャはとても美しい歌だが、今現在伝わっているそれさえも短くなってしまっている。それはこの世界から失われてはいけないと僕は考えているからだ。
ヘスカティースニャについて、君もクラーラから教えてもらっているはずだ。
ツェツィーリヤは北風王ルスランの妻で、ルスランの死後に女皇につき国を守り女系王家を始めた一人でありながら、歌が上手だったと伝えられている。君にもそういう風に強く、そして美しく、歌が上手で優しい女性に育って欲しいという願いを込めて付けた。僕たちは色々と求めすぎてしまっていたが、今の君は自らを美しいと思えるかい?”