スプートニクの帰路 第一話
ここから超長編です。
セシリアは辛そうな白い息を上げ、今にも泣き出しそうに頬を歪めている。親指とそれ以外を覆うミトンのような手袋を付けた掌は疲れ始めて、握り返す力も弱い。滑り落ちてしまいそうな手をつかみ取るように握り返した。
「パパー、もう疲れたよぉ……」
「もうちょいだな。頑張れ」
「セシリアちゃん、イズ……パパを困らせちゃだめよ」
「うるさい! 黙っててよ! アニエスおばさん!」
小さなセシリアは俺の裾に隠れて、アニエスに向かって舌を出した。子猫のように威嚇する姿に、アニエスはもう、と鼻を鳴らしている。
「ははは、まだ元気だな。思ってたほど天気は悪くない。ここらで一休みしよう」
俺たち三人はヒミンビョルグにいた。自殺と判断される回帰不能線はとうに過ぎて久しい。たった今、俺は『パパ』と呼ばれたが、この真珠のように輝く白い肌と、砂漠の宝石とも言われるシトリンの目を持ち、雪の積もった氷河のような髪色の小さなセシリアとは似ても似つかない黒い髪をしている。本当の娘ではないのだ。
だが、自らをパパと慕う小さな女の子に、君の本当のお父さんではないんだよと、彼女も知っているが口にはしない事実を突きつけるようなことは出来ないので、俺は今パパと呼ばれている。
ママとは呼ばれないアニエスと三人ではさながら家族だ。ノルデンヴィズでは三人で職業会館裏通りのあのカフェに行ったとき、義眼のマスターには家族に見えていた、はずだ。
家族総出でヒミンビョルグの自殺と判断される回帰不能線を越えている、と言うとまるで一家心中でもしに来たのかと思うかもしれないが、決してそんなことは無い。
様々な理由で孤児では無かったが、孤児に戻ってしまったセシリアを俺たちは引き取り――と言っても民籍表に書き込まれるような公的なものではない――、育てることにした。
そこでまず彼女の生家を探すことにしたのだ。
捜索は難航を極めた、とはならず意外とあっさりとその糸口を見つけ出すことが出来た。迷子のセシリアにお家はどこと尋ねるとわからないと答えたが、アニエスの杖を指さして「それがたくさん生えているところ」と言ったのだ。
アニエスの杖はプンゲンストウヒのホプシーだ。突然変異種で接ぎ木でしか増やせないはずの樹木だが、この世界では何かの拍子に再度変異が起きて、さらに環境が適合したのか、ブルンベイクからヒミンビョルグにかけて自生しているのだ。
セシリアは村育ちではないようだが、自生している一帯に村はブルンベイクくらいしかない。とにかく一度向かって確かめることになったのだ。そして、セシリアの記憶と感覚を頼りに俺たちはヒミンビョルグへと入ることにしたのだ。
(村のようなところで育っていないと言い、なおかつもしセシリアがブルンベイク育ちならすでにアニエスが知っているはずなので、ブルンベイクには関係が無いと考えられるので寄らないことになった。そこへ近づく必要が無いことに俺は胸をなで下ろした。アニエスをそこへ近づけたくないのだ)。