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デオドラモミの錬金術師 第一話

過去編です。ファンタジー寄りです。

――名はマリソルといった。眉目麗しい褐色の肌には、銀色の長髪と紺碧の瞳が良く似合った。


 ティソーナと名のついた大剣をひとたび振るえば、彼女の長い髪は靡き陽の光を帯びて、剣の名に恥じぬよう燃えるように輝いた。それはあまりにもまぶしく、私の心はそれにすっかり魅入られてしまった。

争いが起きれば振るわれるそれに、憑りつかれてしまったのだ。


 連盟政府歴180年。およそ40年前のことだ。

 ある橋で民間人が殺害された。その橋は最前線上にあり、敵と自分たちを分かつ国境の上にあり、関所のような状態となっているところだった。

 その事件が契機となり、攻め入る機運が世間で高まった。一部の保守ハト派の領主ですら攻め込めと言う事態までに発展したのだ。膠着状態だった前線に、その話は瞬く間に広がり戦火は拡大し血で血を洗う戦いが日夜行われていたらしい。戦況はたまに掲示される貼り紙だけが情報源なので、実際のところは知らなかった。


 攻め込む機運を上げたのはヴィトー金融協会だ。被害を受けた民間人は協会の関係者であると主張し、大規模な私兵団を率いて戦いを始めた。独断により戦争行為を始めた金融協会に政府は反発や自制を促したりはせず、積極的な介入をして広がる戦火をさらに推し進めた。

 しかし、資材と人材の疲弊のすえ戦況の悪化に伴い、協会と政府協力軍は各地各校から学徒の戦力を集めていた。フロイデンベルクアカデミアの学徒だった私はその中の一人として戦いに参加した。そこからは志願した人数が少なく、これまでに六人が戦いに参加し、皆死んでいった。私は他の学徒に比べ少し年上だったので、その年齢を理由に志願の如何を問わず送られた。


 この志願者の少なさのせいで、フロイデンベルクアカデミアはストスリアの町にある校舎が使えなくなった。なんでも、ヴィトー金融協会が土地信託の期限後に校舎の返却を拒否したとのことだ。

土地信託は何が何だかわからない。その当時の自分より大人な人間たちがどこかで揉めているのだろう、と言うぐらいの気持ちだった。それに校舎が使えなくなろうと、実験ができればそれで構わないので私には関係が無かった。


 野営地には鬼のような教官がいて、命を懸けろと叱咤激励されるのかと思いきや、初日の演説は施設の使い方などの説明だけでただのオリエンテーション同然だった。

 学徒として参加したものたちは私を含めみな若く、前線に駆り出されていたとしても戦闘行為はなく野営地での訓練ばかりの日々を過ごしていた。

 だが安全が確保されていたとしても野営地は敵陣の中であることには変わりないのだ。


 部隊として従事し始めた春先からひと月ほどたったころだ。

 戦争と言う話を聞いてここにきたが、訓練ばかりの日々に惰性を見出してしまっていた。半ば人質のような状態で戦場に送られてきて、自分の墓場はここなのではないだろうかと恐怖におののく日々にすっかり慣れて、いつしか忘れ始めてきたころだ。私はこのままここでだらだらと訓練を続けて、適当な年数経過したらまたフロイデンベルクアカデミアに戻るのだろう、そう思っていた。


 寝起きの悪い私はなぜか日の出前にはたと目が覚めた。カーテンの隙間から陽は漏れていない時間に目が覚めてしまったことを少し後悔し二度寝も考えたが、それにしては眼が煌々と冴えていた。戦いのない日々の中で学徒たちは長期休暇中のバカンス気分になるほどまでに気を抜いていて、兵舎は荒れ果ててゴミだらけになっていた。足の踏み場もないほどの物を避けて窓を開けると、まだ肌寒い季節の空の中にかなり見通しの悪い深い霧が出ていた。


 どうせ何も起きないだろう、また何もしないまま無為に過ごして陽が暮れて一日が終わるだけだろう。長い一日になるのだ。兵舎から出て散歩でもすることにした。


 金融協会の兵舎よりも先にある見張りのための塔に上ると、霧の上に出ることができた。まだ暗い野営地を見下ろすと兵舎やそのほかの施設の屋根だけが見えている。上ったからと言って何か見えるわけでもない。どこまでも霧の海が広がっているだけだ。少し珍しいものが見られたが、変化が無くすぐに飽きた。そして、降りようとした時だ。何かが空を切る音が耳元をよぎった。何かと振り向くもそれは見えなかった。気のせいかと思って前を向いた。しかし、目の前の柱に矢が刺さっていた。

 白箆を激しく振るわせるそれを見て、私は即座に理解した。これは襲撃だ。おそらく隠密のうちに見張りを仕留め、できる限り発覚を遅らせるつもりなのだろう。矢を雨のように撃つのではなく、精密な射撃をしているようだ。


 急いで本部に伝えなければ、と見張り塔を降りようとした。しかし、それでは間に合わないし、この高い塔のむき出しの階段を降りる途中で仕留められてしまう。

 そこで私はできうる限りのことをして大きな音をたてることにした。

 霧の中とはいえ標的を外す程度の弓兵だ。手練れとは思えないので捕捉できなければ当てられまい。矢に当たらぬよう姿勢を低くした。

 とにかく音の出るものをなるべく早く探さなくてはいけない。しかし、見張り塔の物見櫓には何一つない。半鐘などがあってもいいはずだが不用心にもほどがあるのではないだろうか。自分自身は何ができるか。錬金術を使ってできることはサポートだけだ。できることと言えば、物体の持つエネルギーの停滞、増減ぐらいなものだ。何かに変換させようにも同等の物がない。音を出せそうな硬いものもない。木造で鐘楼のようなものを作る金属も少ない。策が無い。手が震え出して、汗がにじみ出はじめた。

 手詰まりか。降りて射抜かれる覚悟をすべきか。


 いや、まだだ。


 音は空気の振動だ。この場で空気にエネルギーを与えて振動を起こせばいい。

 不安定な足場の上で振動を起こすリスクも何も考えず、思い立った瞬間に魔法円を練り上げ、強く空気を震わせた。低く響き伸びるような音があたり一面に響き渡った。

 空気の振動が行きわたるとともに霧の海は波を打った。野営地に一斉に灯がともり、どうやら通達は成功したようだ。


 しかし、音の震源地となった見張り塔へのダメージが測り知れなかった。軋む音とともに揺れ始めて倒れるのも時間の問題だ。

 襲撃者側も奇襲失敗と悟ったのか、鬨を上げている。


 塔はいよいよ崩れ始めた。太い木が折れる雷のような音を響かせ野営地の外へ向かって倒れ始め、私は森の中へ放り出されてしまった。

 大小さまざまな木材が落ちてくる中で慌てて身体を起こし、押しつぶされるまいと走り出した。気が付くと森の深いところへ入り込んでしまっていた。不覚だった。襲撃の真っ最中に敵陣に飛び込んでしまったのだ。夜明け前の森はまだ暗く、すでに姿の見えない襲撃者たちの気配に取り囲まれていた。物陰から様子をうかがっていたが、こちらが丸腰の錬金術師だと気づき、余裕を持て余しているかのようにのしのしと近づいてきた。暗がりの中ではっきりは見えないが大きな塊を持っている様子がうかがえる。おそらくそれは武器だろう。


 私はここが戦場だということを思い出した。惰性の訓練や見張り塔の上から傍観していただけの時とは違う、はっきりとした恐怖。


 その瞬間、眩暈に襲われ足が震えだした。戦わなければ死ぬ。殺しに来た相手に私は殺される。

大きな武器を持った敵は目の前に立ちはだかり、勢いよく武器を振り上げた。死にたくないなら戦えばいい。しかし、私にはそれはできない。

 逃げなければいけない。わき目もふらず走り出せば逃げられる。

 しかし、膝が情けない自分を笑っていて、立ち上がることすらかなわない。

 何もできない。死ぬ。眼前に迫ったそれにつぶされる。

 私は目を閉じた。


 風を切る音がした。私はつぶされたのだろうか。痛みはない。

 ゆっくりと目を開けた。


 白銀の長い髪が靡き陽の光を帯びて燃えるように輝いていた。目の前には霧の晴れ間の朝日を浴びて、逆光の中に女性がいた。

 それまでのことを忘れさせるかのごとくまぶしく、戦場には似つかわしくないほどに美しかった。それがどうしても不思議な光景だった。


「さっさと引け! 立ちあがれないならそうしていろ!」


 大剣で先ほど眼前にまで迫っていた塊を抑えつけている。火花を散らしそれを押し返し、目にもとまらぬ速さで敵を切りつけた。

 何が起きているか理解が追い付く前にぐっと腰のあたりをつかまれ、気が付くと野営地まで運ばれていた。そして、その銀髪の女性は再び森の中へ駆け出していった。


 それがマリソルとの出会いだった。


  *    *


 御大層に呼び出して何かと思えば昔のコイバナか。年寄りの話は語り口が臭すぎる。

 グリューネバルトの口から予想だにしない恋愛話が飛び出してきて、俺は片眉を上げてしまった。できる限り表情に出ないようにはしたが、表情筋は言うことを聞かない。

 腕を組んで壁に寄りかかるダリダが目を閉じ薄い笑みを浮かべている。


「ユーちゃん、どうしちゃったの? いきなり昔話だなんて」

「その呼び方はやめろ」

「それにしても懐かしいわね。マリソルなんて何年ぶりに聞いたかしら」


 ダリダは寂しそうに懐かしんでいる。ケリーバッグからペンケースのようなものを取り出した。その中身は煙管のようだ。

 ダリダが煙管を吸うときは何かあるような気がする。ただのコイバナならそんなことはしないはずだ。

それをみたグリューネバルトはダリダを睨み付けた。


「私の前は禁煙だ。吸うなら他所へ行け」

「あら、ごめんなさい。そうだったわね」


 動きを止めて煙管をしまった。


  *    *


 襲撃は少しの被害を出しただけで大事にはならなかった。怪我人は協会の剣士のおかげで最小限だった。一番の損害といえば見張り塔の崩壊ぐらいだろうか。次の日に私は大目玉をくらった。だが、事態をいち早く知らせたということでそれ以上のおとがめは無かった。


「ははは、ユストゥス! 見張り塔ぶっ壊すとはなかなかやるな! あぁ、火ぃ貸して」


 よく喫煙所に同じタイミングで現れる男がいた。ちょうど吸い終わった殻の残り火を目前の男のタバコにこすり付けると、赤く光りだした。


「仕方なかったんです! 他に知らせる方法が無かったんです。ならアルフさん、あんたならどうしたんですか? ご自慢の槍を兵舎にでもブン投げるんですか?」

「やりかねないな! ははは! 営倉どころか軍法会議ものだな!」


 塔の件でこってりと絞られた後、私はタバコを吸っていた。その時も鉢合わせて雑談をしていた。私を見てひそひそと話す人がいる喫煙所の様子ではすでに見張り塔での話は広まっているようだ。そして、その男が大声で話を始めたせいで面白半分の聴衆が集まり始めた。


 豪快によく笑うその男の名前は、アルフレッド・モギレフスキーと言う。勇者であり、女神とかいう、いるのかいないのか定かではないスピリチュアルな存在の管理下の、非常に曖昧というか胡散臭い職業に就いている。だが実力は確かなようだ。高身長のやせ形で一見バランス型だが、どちらかと言えば力押しだ。槍が得意でブルゼイ・ストリカザという槍を使っている。ブルンベイクよりも寒い地域の生まれだ。

くだらない話で盛り上がっていると、女性が近づいてきた。


「おっと、ブルジョワ剣士様のお出ましだ」


 アルフは顔を上げ近づいてきた人を見るとタバコを地面に押し付けて消した。

 すると、われ関せずと言う顔になりそっぽを向いた。集まっていた聴衆も左右に掃けた。何が何だかわからない俺はその女性とアルフを交互に見つめてしまった。


 近づいてきた女性は私の目の前で立ち止まり、腕を組んだ。


「のん気にタバコ休憩とは感心だな。貧弱導師様」


 その澄んだきれのある声はどこかで聞いたことがある。


「足手まといは去れ」


 見下ろすように睨まれていた。私はまだ状況が理解できず口を開けてぼんやり見つめてしまった。

その女性はふん、と言うと振り返った。

 その時、女性の跳ねる髪は日光浴びて輝いた。話し声とともにそれは記憶を揺さぶり、いつかのあの朝のようで恐怖の後の似つかわしくない感動を思いだした。私の前に仁王立ち、そして取り囲む敵を瞬く間に薙ぎ払った、あの忘れじの後姿だ。


 私はあの女性に助けられたのか。

 あれほど美しい女性が大剣をふるうのか。


 助けてもらえたことへの感謝を口にするのも忘れ、言葉もなく、遠くなっていくその背中をただ見送った。


「おい、ユストゥス。どうした?」


 アルフレッドに呼ばれて気が付いた。


「いや、別に」

「ボロクソに言われたなぁ。ははは。あれは金融協会の派遣の剣士だな。連中は全員女でなかなか戦闘狂の集団らしいぞ。噂じゃ秘密組織のエージェントがいるとかって話だ。今の女がそれかどうかわからんが、派遣されてる中では一番強いらしい。名前は、なんていったか。確か、マリソルだったか?連盟政府のはずれにあるイスペイネ自治領の豪商カルデロン家の娘らしい」

「マリソル……」


 未だ遠くに見える彼女はそういう名なのか。

 確か、海と太陽、という意味だったはずだ。紺碧の瞳は深い海の、そして白銀の髪と褐色の肌は太陽の祝福を余すことなく受けたものだろう。


 またその美しい輝きを目の当たりにすることができるだろうか。



「おい! タバコ!」

「あっつ!」

 吸口まで火が回り小指と薬指が熱くなり手を放すと、灰を落として火は消えた。

読んでいただきありがとうございました。

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