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スワンが空翔ぶその日まで 最終話

 ストスリアの町に赴き卒業祝いパーティの最中に、聞いてはいけないことを聞いてしまった。


「これから二人はどうするのですか? 仕事とかは?」

「ははは……」


 カミュの一言で体内のアルコールが吹き飛んだ気がした。

 笑いながら頭をかくオージーは瞳孔が開いており、空のコップをストローでずるずる音をたて吸うアンネリは虚空を見つめている。


 なんと、就職先が決まっていなかったのだ。二人とも。


 その割に俺自身の中の驚きが思ったより少ない。それはうすうす心のどこかで二人の就職活動について考えていたからだ。二人の実験を手伝っている限り、それをしている余裕もなかったのはわかる。あわただしい日々の中で俺もいつしかそのことを忘れていた。


 二人の様子を見たカミュは引きつった顔になり、タブーに触れてしまったことに気が付いたのか咳払いをした。


「ご、ごめんなさい」


 椅子にもたれると猫背で腕を組んだ。気まずい沈黙が訪れてしまった。


 夕方も近く、人で騒がしくなり始めた店内には給仕の女の人の声が響きわたっている。

 アンネリはずるずる音をたてるのを止めて、ストローから口を放すとおでこをテーブルに乗せた。


「そういえばわたしたち、就職活動まぁーったくしなかったわね」

「そ、そうだな」


 オージー背もたれに頭を乗せて天井を見つめている。


 体にたまった空気をすべて吐き出すかのような深いため息を二人同時についた。



 この二人の場合、フロイデンベルクアカデミアに来たのはいわゆる「モラトリアム」ではない。日本で例えて言うならば、すべての就活に失敗したから大学院へ進むことにした、とは話が違う。自分たちが身に着けてきたスキルを目に見える形で世間へ示したかったからだ。

 エイプルトンでは成績優秀で、ビブリオテークに司書長見習いとして就職を奨められるほど将来有望だった。そのような人材が就職活動に失敗などするはずもない。ならば今すぐ司書長見習いとして入ればいいかもしれない。

 しかし、そこまで甘い話はないようだ。最近の傾向では、多くのビブリオテークは組織の若返りを図ろうとして、新しく雇う条件に年齢制限を取り入れているところも少なくないそうだ。二十を超えて数年たった二人の歳は、この世界では後輩の扱いにも慣れた一人前の扱いを受ける年齢だ。募集は20歳以下、つまりそれより上は新人ではないということだ。

 もちろん、中途採用のようなものもあるがコネや繋がりを積極的に作っておかない限り、20歳以上での採用はないようだ。二人はと言うと実験に没頭していて錬金術に関する知識はすさまじく即戦力とはなりうるが、コネ作りを全く行っておらず、社会に出て働くというにはあまりにもコミュニティが狭すぎるのだ。俺もかつて大学に残れたのは、先輩や良くしてくれた先生、ひいては出身大学であるというコネを使ったからだ。


 何とかできないものか。俺のコネと言えばあのパン屋かトバイアス・ザカライア商会ぐらいだろうか。パン屋は人手不足だ。しかし、この二人が店先で「いらっしゃいませー」と言う姿は想像がつかない。パン焼きの炎について研究をはじめそうだ。

 商会ともなればさらにコネの世界だ。俺ごときの繋がりでは何の足しにもならないだろう。出来ればもうちょっと錬金術を駆使できるようなところはないだろうか。


 俺は顎を撫でた。実はもう一つ、あるにはある。錬金術を使えそうな職種が。


「俺ちょっと外の空気吸ってくる」


 俺は少し席を立ち、離れたところまで来るとカミュを手招きで呼んだ。

 それに気が付いた彼女は席を立ちやってきた。


「カミュさぁ、ちょっといい?」


 彼女を連れだし店の表に出た。




「外は少し冷えますね。どうかなさいましたか?」


 春先とは言え、暗くなり始めた夜の町はまだ肌寒い。腕を軽くこすり合わせるカミュに俺は尋ねた。


「俺は未だに世間知らずでよく知らないんだけど、錬金術師ってどうなの? 不人気職としか知らないんだけど」

「どうなの、といいますと?」


 カミュは首をかしげて覗きこんできた。


「こう、なんだろう。戦力的に、というか」


 彼女は瞬時に理解したようだ。目を大きく開いて口角を上げた。


「そういうことですか。イズミ」


 腕を腰に当て話を始めた。


「はっきり言いましょう。錬金術師はワーキングプアです」


 最初の一言目から辛辣なことを言い出した。カミュは錬金術師の置かれている立場を俺に説明し始めた。

 錬金術師は研究色が強いため、やはり戦闘や冒険よりも研究職に携わることが多いらしい。『血が惜しいなら錬金術師』という言葉も存在するくらいだ。

 研究という仕事は、どれだけ働いたとしても自己研鑽の延長としてしか扱われない。つまり、研究所に収益をもたらすためには何かしらの成果を上げてそれを結びつけなければいけない。研究に積日の労苦を費やしても成果出なければただの無駄遣いにしかならない。

 そもそもの話になるが、研究には莫大な費用が掛かる。一応仕事ではあるため給料もでる。しかし、研究所には研究費も給料も賄えるほどの潤沢な資金が最初からあるわけではない。

 ではその費用はどこからでるのか。大きなお金を扱えるパトロン、つまり政府や商会だ。そういった後ろ盾の顔をうかがいながら研究をするのだから、当然成果の出ない研究は補助を打ち切られる。

 連盟政府は研究を後押しする方針を立ち上げているが、ほとんど名ばかりで技術発展を妨げているのだろう、と言うややこしい話になってしまう。


「二人が陥りかけた詐欺ビブリオテークの話にも関連してきます。たまに成金の富豪が酔狂で研究施設をつくりますがすべからく閉鎖に追い込まれています。給料ですが、研究のため切り詰めるのが普通で『血が惜しいなら錬金術師。血(税金)の出も少ない導師様』という言葉が続きます。要するに稼ぎは少ないということです。しかし、それとは違って、冒険や戦闘に参加する錬金術師は割と高収入です。ですが―――」

「ですが? 何かあるの?」


 カミュは一呼吸おいた。


「壮絶にきつい、と有名です。戦士のような筋力がものをいう職種は体力的にきついだけで寝れば治りますが、彼ら錬金術師は精神的にきつく味わった苦痛は寝たところでは治りません。どう精神に来るか、職業別の特性を鑑みて言うと、僧侶は体力もあり自己防衛も可能で治癒も行えますし、魔法使いは強力な攻撃に特化していてそれによる防御も行えます。勇者、賢者は言うまでもありません。しかし、錬金術師は完全にサポートオンリーで自身での攻撃防御がほとんど行えません。やはり足を引っ張ってしまうという自責の念による不仲もままあります。ただ、他にはできない彼ら独自の強力なサポートが可能なので常に引く手あまたな状態です」

「多少きつくても稼ぎたい人がいそうな気がしないでもないけど」

「それでもその道を選ばない人は多いのです。特に戦闘を主軸にしたチームや組織に加入した錬金術師は辞めてしまうまでの期間が非常に短いことでも有名です。やはり何度も組織を辞めると噂は立ちますし、その後の評価にも影響がないとも言えません」


 評価、つまり次の組織への就職活動に与える影響と言うことか。シーグバーンが、彼は研究者だが、そうだったように転々と移動していたことは確かにいい印象はない。なるほど、さすが不人気ナンバーワン職業なだけある。辛くなるのがわかっているのに、わざわざなろうという人は変わっているのだろう。

 サポートはできない、強力な魔法さえも使えないようなお荷物魔法使いだった俺はベンチウォーマーをしていたので何もできないということがどれほど辛いかよくわかる。仲間は命を懸けている中で俺ができることは荷物番ぐらいだった。その時間は恐ろしく長く感じるのだ。

 仲間たちが誰一人欠けることなく戻ってくるのだろうか、不安。自分は何もできなかったのに一人でも欠けてしまったらどうしよう、焦燥。戻ってきた傷だらけ血まみれの仲間たちを治療もできない中で無傷の俺はそれを眺めているだけ、無念。それにとどまらず色々なことを考えてしまうからだ。

俺がした思いをまた彼らにさせてしまうのではないだろうか。


 しかし、彼ら二人がかつての俺と違うことがある。強力なサポートがすでにできるということだ。知識もある彼らはおそらくすぐに応用できるのではないだろうか。それに好き放題実験をやりたいタイプの二人は、無限にお金が存在する研究所でもない限り、いずれ厳しい現実に突き当たるのではないだろうか。

 それならば、これまでの知識を戦闘に好き放題生かしてくれたほうがいいのではないだろうか。


 いや、待て。これではかつて受けてきた『値踏み』と同じではないか。

 それだけではない。俺は二人を連れて行くための都合のいい理由を探しているだけだ。

 ではどうするのが二人にとって一番いいのだろうか。



「イズミ、黙っていては何もわかりませんよ」


 はっと気が付いた。カミュが俺の目をまっすぐに見つめている。


「申し訳ない。色々考えてね」

「イズミはどうしたいですか?言わなくても察しましたが、まずそれを聞かせてください」

「オージー、アンネリ、二人を仲間にしたい」


ふふふ、とカミュは笑った。


「わかってますよ。その次のステップについてです。もうイズミの中では二人は仲間なのはわかっていますから」

「そのあと……」


 カミュは笑っているが、彼女に聞かれたことを考えると、自分の中で具体的にその後を全く考えていなかったと気づいた。とりあえず仲間に引き込むことしか考えていない。それで終わりではなく、二人には俺たちと同じようにこれからがある。

 どうしたいのか、争いを止める。だがそれは最終目標だ。考えるべきはそこに至るまでのステップだ。まず、彼らは俺よりも戦闘に関しては素人だ。加えて俺自身が錬金術師のサポートを交えた戦闘を経験していない。


「どうやら具体的に考え始めたみたいですね。今は戻りましょう。主役二人を待たせてはいけません。仲間にするにしても二人の同意がまだですよ。リーダー」


 また色々と考え始めたところでカミュが肩をぽんと叩いた。


「ああ、そうだね。まずは二人に聞いてみよう」


 考えはまとまっていない。どうやら課題は山積みのようだ。しかし、まずは二人を仲間に勧誘することだ。

 これから仲間の勧誘と言う、リーダーとしての初めての仕事をする。

 これまでは、部下、弟子やアルバイトと言った人の下に就く立場だった。いよいよ自分の意志で動かす立場になるのだ。意思決定とすべての結果が直結することになり、責任も大きくなる。

 不思議とはやる気持ちが強くなった。これまでの俺なら「めんどうくさい」とか「やりたくない」と言う気持ちに支配されてただただ気が重くなっていたはずだ。


 自分でも早歩きになっているのがわかる。落ち着きなく腕も揺れる。これからどうなっていくのか、自分で指揮をとれるのか、不安は尽きない。二人にきつい仕事を頼むのだから、断られるかもしれない。しかし、まだ始まってはいないのに無理だと逃げてしまうと前進できないような気がする。

席に戻り、俺は立ったままで二人を眺めた。そして、


「俺たちと旅をしないか?」



と意気揚々と勧誘しようとしたのだが、アンネリは一滴も飲めないアルコールを舐めてしまったのか、テーブルに突っ伏していた。その横でオージーも頬杖をついて揺れている。どうやら二人とも酔っぱらって寝ているようだ。


「イズミ、焦りすぎです。少し落ち着いてください。ふふふ」


 カミュがクスクス笑っている。

 何を話しても聞いていなさそうだ。勧誘については明日にしよう。


  *    *


「身元不明の男性の亡骸が敷地内の山中で見つかった。どう見ても剣による切創だらけだが、死因は滑落死と判断が下りた。私も検死に立ち会ったが、死喰鳥ライヘレッセンにも啄ばまれて無残なものだった。身元は不明と言うことだが、あれは間違いなく、だな。不思議なことに府立研究所から支援打ち切りの連絡も今朝来た」


 小さな卒業式の翌日、四人で教室の片づけをしているときのことだ。グリューネバルトは俺だけを呼び出した。そして部屋に入るや否や彼は話を始めたのだ。


 シーグバーンが死んだ(殺害された)という知らせを聞いても、俺は少しも驚かなかった。

 あれだけのことをしておいて、のこのこと再び目の前に現れ、やったのは自分ではないと反省したそぶりを見せたかと思うと、詐欺師と手を組み若い希望を握りつぶそうとしたのだ。そこまでのことをしたのだから、あの男は死んで然るべき価値のない人間だと心のどこかで思っていた。命を粗末にすることへ抗っていたにもかかわらず、正義感で死ねばいいと思っていたのだ。

 しかし、それは本当に正義感なのだろうか。もしそれが正しいと言うのなら、正義を語ることは命に価値をつけることと同じになる。そして、誰がその殺人に関連があるかということにも確信ではないが心当たりはある。昨日のあれはきっと合図だった、と。もはや俺が何かを語ることはない。したくない。だから俺は何も言わずグリューネバルトを見つめた。目が合うと彼はゆっくりと立ち上がった。


「どうやら惜しい人材が死んだようだ。いや、不良債権が一度に三つもなくなったことはむしろ喜ぶべきだな」


 午後のきつい日の差す窓辺に近づき、五人の男女が描かれた絵を持ち上げた。そして視線を上げ、窓の外の山を見た。


「どれ、今日は気分がいい。厄介者が一度にいなくなった。昔話でもしてやろう」



 するとドアをノックする音がした。

 入れ、とグリューネバルトが言うと、ドアは軋む音と同時に開いた。

 そちらへ顔を向けると、見覚えのある黒いコートが揺れていた。


「あら、お取込み中かしら?」


 ドアノブに手をかけたまま驚いた表情をしている。


「イズミくんが心配で様子を見に来たのだけれど」

「かまわん。過保護なのは相変わらずだな。ダリダ」

読んでいただき、ありがとうございました。


アカデミア編で削除した文章

差が出るのは表に出した結果で、我々研究者は裏で差を作るのだよ。誰も言わなければそれはチャンピオンデータに過ぎない。

ここで時間を変えなければ違いが出ない。それがコツだ。

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