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スワンが空翔ぶその日まで 第四話

アカデミア編最終話です。

 俺は教室に入り辛かった。見るに堪えない二人の落ち込む姿が脳裏に焼き付いている。


 昨日、窓の割れた教室で俺は一人だけ興奮状態だった。怒りのあまり、口の中は乾き、肩で呼吸をしていた。

 シーグバーンが去り、しばらくするとアンネリがゆっくり膝から崩れ落ちて泣き出した。

 彼女を泣かせたのは間違いなく俺だった。俺たちをだましたシーグバーンが悪いというのは事実ではあるが、もはや自分自身に対する言い訳でしかない。彼らの目前のゴールをぶち壊したのは俺だ。

 カミュは何も言わずに割れた窓ガラスを掃除し始めた。オージーは膝立ちのアンネリを慰め、ガラスの破片が散らばった場所で膝をついてしまった彼女が怪我をしていないか気遣っている。アンネリを気遣う彼の表情もどことなく虚ろに曇っていた。耳に入った泣き声は乾いていた口の中を今度は不愉快に粘らせた。

 割れた窓から入った外気が吹き抜けると、カミュもオージーもアンネリも、どこか遠くに感じた。

感情のままに止める必要はあっただろうか。何か他に穏便な方法があったのではないだろうか。考えるほど次第に五感が罪悪感に閉ざされていく。

 そして言葉少なに全員を町まで送り、解散になった。



 卒業さえできればどこでもいい。例え性質が悪くても。

 そんなはずはない。そんなことをすればフロイデンベルク、グリューネバルト、ひいては二人を育て不本意ながらも研究の道を示したエイプルトンにも失礼ではないか。

 でも、彼らは卒業したがっていた。犯罪者に差し伸べられた手にすがりつくほどに。

 詐欺ビブリオテークに投稿しても卒業はできる。だから、それでもよかったのではないだろうか。



 重い雲が垂れ込めた冬の日、俺は一人でいつもの石垣にいた。どうすれば正解だったのか、自責の念や言い訳を考えることで混乱していた。

 カミュはすでに一人で教室に向かった後だ。彼女が気を使い、いつも通りに接しようとしてくれている気持ちが伝わってくる。教室に向かおうとしない俺が二人に顔を合わせづらいというのを察しているのだろう。入り口の門の下で俺は少しここにいるよ、と言うとそうですか、といつも通りの返事をした。

 そのいつも通りが少し冷たいような気がして、本当は叱りつけてでも連れて行ってほしかったのかもしれない。


 季節は完全に冬になった。雲が落ちてきそうな空からいずれ雪がちらつくのではないだろうか。それは見ているだけで気が重くなりそうな空模様で、耐えきれず顔を下に向け茶色い地面に視線を落とした。

すると、むしむしと芝生を踏む音が近づいてきた。


「イズミとか言ったな。枯れた芝生が好きな老馬ようだな」


 顔を上げるとグリューネバルトが俺を見下ろしている。外を歩いているところは初めて見るが、外に出たところで彼の硬い表情と棘のある物言いは変わらないようだ。


「ダリダから話を聞いた。色々かぎまわったようだな」


 ぼんやりと見つめる俺から視線を離した。


「いつまでもそうしていろ。貴様一人でな」


 そして服の中をごそごそと探った。


「これはお前からあいつらに渡せ。うじうじするのはそれからにしろ」


 そういうと彼は大きめの封筒を渡してきた。金で箔押しされた模様は紋章なのだろうか。王冠を被ったライオンが球体を咥えていて、その周りを自分の尻尾を飲み込む蛇が取り囲んでいる。その上品な箔押しの封筒の送り主は『アカシカル・アルケミア』と書いてある。早く受け取れと言わんばかりに顎を動かし催促をする彼は言った。


「この間の返事が来た。査読依頼を受けてもいいそうだ」



 ああ、そうだ。本来はこうあるべきなのだ。論文を書く側が査読を依頼する。

 ジャーナル、ビブリオテーク側の取るべきスタンスは、評価させてください、ではなくて、評価してあげてもいい、が正解なのだ。確かに何様だと思ってしまうかもしれない。俺が大学にいたころ、大学院生はよく「上からコメントしやがって」と言っていた。そうだとしても査読は厳しくあるべきだ。

 それに、一週間そこいらで仕上げた論文でもアクセプトするようなところはろくに査読などしていないに決まっている。短期間で作りあげて内容がお粗末とはいえ、それをないがしろにするようなところはいいはずがない。

 俺は思わずグリューネバルトの手から奪うように封筒を受け取ってしまった。

 それを鼻で笑うと遠い目をした。


「どうやら二人とも気が付いたようだ。それをさっさと渡すんだな」


 彼はそういうと姿を消した。



 受け取った封筒は早く渡さなければいけないとわかっていた。それにこれを渡せば二人と正面から話せるのではないだろうか。そう逸る気持ちはあった。しかし、会わせる顔を見つけられない俺はしばらくそのまま動けなくなってしまった。

 するとオージー、アンネリ、カミュの三人が現れた。突然の登場に体が一瞬こわばってしまった。


「イズミくん、こんなところにいたのか」

「なんで教室来ないのよ? そんなに枯れた芝生を眺めるのが好きなわけ?」

「イズミ、入りましょう。風邪ひきますよ」


 胸が締め付けられ息を飲み込んだ俺とは裏腹に、二人の落ち込んだ様子はもうなかった。どうやら落ち込んでいるのは俺だけのようだ。気の抜けた返事をして彼らを見あげた。


「イズミくん、これを見てくれ」


 オージーは一枚の紙を差し出してきた。そして続けて


「これはあらゆる論文の参考文献を集めたものなんだ。タイトルと著者とビブリオテークの名前が書かれているんだが、何かに気づかないかい?」


 受け取りぱらぱらと見ていくとビブリオテークの名前に同じものが並んでいるのが見えた。改めて読み返すとそこには『アカシカル・アルケミア』と書いてあった。


「ここの知名度は低いが蔵書量と引用量は『アルク・ワイゼンシャフト』の比ではないようだ。ほぼどの論文でも三割以上がそこのものを引用するほどのところみたいなんだ。知名度ばかりに目が行っていて、ボクたちも知らなかった」

「あの老害が奨めてきたところ、実はとんでもなくすごいところだったんだって。でも、どうしよう。もうなんだか謝れない雰囲気」


 アンネリが深いため息をつきながら顔をしかめた。


「アナ。ボクたちはきちんとグリューネバルト卿に謝ろう。もう一度査読してもらえるところをどこか探してもらえるようにお願いしよう。今回の件もだけど、ボクたちはまだ業界を知らな過ぎたんだ」

「はぁ~あ、めんどくっさいわね~」


 肩を落としたり、眉をしかめたりで明らかに二人とも意気消沈している。しかし、昨日の出来事の直後とは違って少しだけ前向きな、これからの行く末が見えているような、そんな風に見えた。

俺は何を悩んでいたのか。目の前で雑談をする二人が時折見せる笑顔を見ていると、もはや何に対して罪悪感を覚えていたのか忘れてしまいそうだ。

 まるで枯れた芝生を喰っていたかような姿の自分が馬鹿馬鹿しい。



「その件なら、もう大丈夫ですよ。さっきグリューネバルト卿から封筒を預かったんで」


 何も悩んでいなかった顔を装い、作り笑いをしながら俺は箔押しの封筒を差し出した。

 オージーとアンネリが小さな声でえっと言うのが聞こえた。二人同時に俺の方へ向いた。


「査読、出してもいいそうですよ。『アカシカル・アルケミア』に」



 時が止まったかのように二人は動かなくなった。

 二人はたがいに目を合わせると次第に口角が上がり始め、こぼれそうな笑顔になると抱き合った。そして、俺の方へ歩み寄って手を握ってきた。


「イズミくん、ボクたちを止めてくれてありがとう」

「イ、イズミ、ありがと」


 俺は二人とは目を合わさず手を放し、背中を向けていい加減に返事をした。

 自分のしたことは間違いではなかった。目頭が熱くなったから。


 それからは論文の提出、リバイスの繰り返しと追加実験の日々が始まった。

どこぞの詐欺師に渡る予定だった論文は、グリューネバルトに目の前で縦に引き裂かれた。それは、内容を見ればさることながら、まぁ仕方ないのだが、もうちょっと穏便にしてほしかったのは事実である。アンネリは涙目になって下唇を噛んでいたし、オージーは額と脇の汗がすごかった。

 ここまできたのだ。俺たちは研究を最後まで手伝わない理由はない。


 寒い風の強い日も、雲一つない冬の寒い晴れの日も、一夜にして世界を銀色にした雪の日も、俺たちは実験と解析と論文作成に当てた。目まぐるしい日々の中で時が経つことも忘れていた。




 ある寒い朝のことだ。

 アカシカル・アルケミアから一通の小さな封筒が教室に届いた。


 上品な小さい封筒には以前よりも大きく立派に紋章の箔押しがされていて、宛先を確認すると、アウグスト・ヒューリライネン、アンネリ・ハルストロム、二人の名前が書かれていた。

 リバイスのときは、赤いペンでコメントが山ほど書かれた論文がぎゅうぎゅうに詰め込まれた大きな封筒が届くはずだ。それに宛先も教室の名前までしか書かれていなかったはずだ。

朝一についた俺とカミュが教室の入り口に無造作に置かれる郵便物を集めているとき、それはするりと地面に落ちた。まるで今すぐにでも見つけて貰いたかったかのように。開けることはできないので二人が来るのを待つことにした。

 ほどなくして二人が入ってきた。封筒を渡そうと立ち上がった途端、オージーが襲い掛からんばかりの勢いで俺の手元から封筒を奪い取った。

 挨拶もせずオージーは封筒を震える手で落ち着きなくがさがさと破り開け、目が文字を追い右に左に流れて行った。

 後ろから入ってきたアンネリがなになにー?とオージーの肩に顎を乗せ、覗きこむと表情が固まった。

 オージーは安易に話しかけることを許さないかのような顔をして手紙を読んでいる。アンネリはごくりとつばを飲み込んだ。

 しばらくすると、オージーの目が止まった。そして


「終わった」


と一言だけつぶやいて、顔を手で押さえ天を仰いだ。

 アンネリは胸を押さえて大きく息を吸い込んでいる。

 一体何が終わったのか、それをはっきり言わない。悪い意味なのか、そうでないのかもわからない。


「どういうことですか?」


 耐えきれなかったのか、俺を押しのけてカミュがオージーに聞いた。



「終わったんだよ。実験が。アカシカル・アルケミアへの保存が決まった」



 ついに終わったのか。二人の研究の成果が認められた。

 二人の論文は八回のリバイスを超えて、ついに『アカシカル・アルケミア』にアクセプトされたのだ。



 いつしか歳を越し、真冬の中でも木々のつぼみが目立ち始めて、聞こえるはずのない土の中の動物の胎動が聞こえてくるような、そんな季節になっていることに気が付いた。

 終わると同時に流れ始めた俺たちの季節。いつもの石垣も心なしかざわざわしているような気がした。


「う~ん、終わったぁ~……」


アンネリは体を伸ばした。間接が軽い音をたている。


「終わったんだ。ボクたちの研究は」

「意外とあっさりだったわね。もっと、こう、ばんざーい! みたいなのかと思ってた」


 本当にあっさりとした終わり際だった。

 たった一通の手紙が来て、それで終わり。その一通が来るまでいったいどれほどの道のりがあっただろうか。その長い道のりの間で、きっと終焉は壮大なスペクタクルのクライマックスになるのではないだろうか、そんな期待をしていたのだろう。しかし、実際は小さな封筒一つだけだった。

 もちろん、その小さな一通は赤ペンだらけの論文でパンパンになった大きな封筒の何倍も重たかった。

膨らむ新芽のから朝露が落ちる。その木はこれからどんな葉を作り、花を咲かせるのだろう。

春が近い。

 そういえば日本では卒業シーズンだ。しかし、ここは何か足りない。


「卒業式はいつなのですか?」

「フロイデンベルクアカデミアの卒業式は九月。とっくに過ぎてしまったよ。ははは」


 苦笑いするオージーは頭をかいている。


「卒業生が私たち二人だけじゃ盛大に式はやってくれないみたい。あーあ、また卒業式、出られなかったね。縁が無いのかしら?」


 アンネリは石垣に腰かけながら足を前に投げ出し、空を見上げた。

 二人とも仕方がなさそうに笑っている。きっと残念なのだろう。



 大学の卒業式、思い出すと俺は胸がいっぱいになる。あの時の気持ちは忘れられない。

 式があったのは国家試験の結果発表直後だった。満開を過ぎて風に舞い始めた桜の下、俺たちは袴を着て卒業式にでた。式の後は同期と徹夜で騒いだ後、眠りもせずなぎさや桜子と騒ぎまくった。そして、遠く南の島へ卒業旅行にも行った。

 長い冬が終わり、ついに到来した春はまぶし過ぎて、どれだけ喜びを体現しても次から次にそれは溢れてきた。

 その時が人生の喜びのピークだった、そんな風には言いたくない。でも、生きてきた中で一番幸せだった瞬間だ。仲間もいて、友達もいて、そして苦難を乗り越えられた。それは本当に幸せだった。


 オージー、アンネリ、カミュ、そして俺。何カ月も一緒にいた俺たちはもはや仲間であり、かけがえのない友人だ。そして幾多の苦難を乗り越えてきた。

 何かが足りない。俺が味わったあの気持ちを味わってもいいはずだ。いや、味あわせたい。

 俺たちは文字通り長い冬を越してきたのだから、その春の到来を心からもっと喜んでいいはずだ。その足りない何かがあれば、きっと。


「やりましょうよ。俺たちで二人だけの、二人のためだけの卒業式」


  *    *


 いつもの石垣には五人が集まった。しぶるグリューネバルトも無理やり誘い出し、それを見届けてもらうことにした。彼を連れていくとすでに揃っており、二人はガウンを着て帽子をかぶっていた。

俺とカミュは彼ら二人にフロイデンベルクアカデミアの紋章の入った金のメダルを渡した。それはどうやら学位記のようなものらしい。

 校風が破たんしていても卒業式には伝統があるようだ。どのようなものかと言うと、先生を誘拐して無茶なことをさせるらしい。毎年それで加療を要するハメになる先生もいるとか。やはり最後の最後まで破たんしているようだ。しかし、さすがにグリューネバルトにそれは頼めないのでやらなかった。この小さな卒業式に参加してくれたことで二人も納得してくれたみたいだ。


 そして、式も終わりが近づき、帽子を投げる時が来た。

 実は、俺はこの瞬間を待っていたのだ。このときのために式を申し出たといっても過言ではない。

杖を握る手がわずかに汗ばむ。

 二人が帽子を投げ、最高点に到達したまさにその時、俺は地面に杖を突き立て魔法を唱えた。

それを見た二人は驚き慌てふためいて頭を手で覆った。

その姿に思わず俺はにたにたとしてしまった。



 頭を押さえるアンネリの手の上に、ちいさな薄桃色の花びらが音もなくのった。

 ゆっくりと目を開ける二人。何も起きなかったのかと上を見上げている。


 きっと、二人は桜の花びらの中にいるはずだ。

 俺は帽子が空を飛んだ瞬間、それを桜の花びらに変換したのだ。

 この世界でソメイヨシノは見当たらないので、よく似たものをあらかじめ作っておいたのだ。


「俺のいた国では卒業シーズンに咲く花があるんですよ。卒業生はこのトンネルを抜けて次のステップへ向かうんです。これは俺の魔法の修行の成果です」


 ひらひら舞い落ちる桜の花びら。

 卒業式に桜、あまりにもベタだが、一度見てしまうと無いほうが物足りないのだ。

 オージーは手のひらに舞い降りた花びらを見つめた。アンネリは桜吹雪の中を飛び回っている。文化の違う二人の目には、どう映ったのだろうか。はしゃぐ姿はいつかの俺たちに似ているような気がする。


連盟政府歴221年 弥生の月

フロイデンベルクアカデミア学徒錬金術師

アウグスト・ヒューリライネン、アンネリ・ハルストロム

上記二名、導師号課程修了をここに記す。





――式が終わり、興奮が覚めたころだ。


「咲き誇るギンセンカは舞え、ここに朝露の無垢は汚された」


 少し離れたところでカミュは何か言うと、剣を顔の前に掲げ右下へ払うと煌めきを放った。

それはまるで何かの合図のようで、俺は踏み込んではいけないような気がした。

読んでいただきありがとうございました。

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