彼女の商量 第三話
通りを職業会館に背を向けて歩き出したレアの後をついていくと、進むほどに通りに散らかるゴミは増え、ノルデンヴィズの深い闇の底へと下っているような気がした。
道ばたでうずくまり寒さではない何かに対して小刻みに震える人がいようとも、暗く細い路地の奥でペール缶の倒れる音とともに怒号が響こうとも、誰一人助けたり止めに入ったりはしない。そのような、何か普通では無いものことが視界に入るたびに、アニエスは口をゆがめて首を左右に振り縮こまっていく。
どこまで潜り続けるのだろうか、このまま地獄まで導かれてしまうのかと不安になっていると、石造りの建物の列に紛れてるようにたたずむ黒い汚れと蔦の這った古めかしい建物の前でレアが止まったのだ。
その建物は、意識して見ればとても目立つが、早雪でも常緑のアイビーによって覆われた壁に視界から建物は隠されてしまっているので、何も考えずに歩いていれば気づくこと無く通り過ぎてしまうほどに景色に溶け込んでいる。
くすんだガラス窓の内側にはテーブルがいくつか並んでいるのが見えた。一応のカフェのようだ。しかし、看板も無く、ドアも民家の物と変わらない見た目で、店内でコーヒーや雰囲気を嗜んでいる客の姿は無く、一見すると営業しているのかどうかもわからないような静けさを放っている。
レアが軋むドアを開けたのでそれに続いて店内へ入ると、カウンター越しに明るめのカーキ色のチョッキ、コーデュロイ生地の蝶ネクタイをした初老の男性がグラスを磨いているのが目に入った。彼は店内に入ってきた俺たちを見ると、少し顎を引き気味のままかすれた声で、いらっしゃい、と一文字一文字に時間をかけるようにゆるりとそう言った。
店内にはトランペットが奏でるスロージャズか何かが気にならないほどの音量で流れており、大きなサンベリア、アロエやモンテスラが飾られ、古いテーブルや椅子だけでは殺風景になりそうな店内に緑をもたらしていた。しかし、よく見ればどのテーブルや椅子にも何かで叩かれたり、刃物で切られたりしたような傷が目立った。
レアはずいずいと進んでいき北側の窓に面したやや暗い席に着くと、窓を背にして座った。彼女がそちらに座ったのはおそらく外の様子が俺たちから見えるようにしたのだろう。だが、見えているのは狭い路地だけだ。
警戒しつつも通路側の席を引きアニエスを座らせた後、続いて腰掛けた。