彼女の商量 第二話
防寒をしていない顔やコートからはみ出ている掌に、ふいに吹き付けた冷たい風は北から運ばれてきたものだろう。目を細めて開かれた出口を通り抜けた。
外の眩しさに目が慣れて辺りを見回すと、視界に覆い被さるように並び青い影を作り出している建物には既視感があった。どうやらノルデンヴィズのどこかの通りのようだった。通りの端には雪が乱雑に盛り上げられている。道を通るためだけにいい加減に避けられたようだ。その上にはゴミが散乱している。
足下の石畳は隙間から枯れて乾いた茶色い雑草がびっしりと生えて、整備されずに落ちくぼんだ轍には、ただ溜まっているのか、それとも絶えず流れているのかわからない薄汚れた水たまりが延々と連なっていた。常に風が弱く吹き抜けていて、近くの建物から風なりの音が絶えず聞こえている。
人通りはないわけではなく、そこを通る誰もが上着のポケットに深く手を突っ込み、肩をすくめ、決して視線を合わせないようにしながら横を通り過ぎていく。
「ノルデンヴィズはちょっと勘弁してくれ。俺たちは脱走を繰り返したし、監視も撒いたから北公から完全に目を付けられてる」
レアは背中を向けたまま、「言わなくても知ってますよ。だから、この辺りに連れてきたんじゃないですか。ぼさっとしてないでついてきてください」と呆れるかのようにそう言った。
人はいるが、夢も未来も無く醒めきった目をして早雪や真冬でなくともどこか寒々しいであったろう通行者たちの雰囲気から察するに、ここは街の北側のようだ。確かめようと後ろを振り返ると、思った通りに職業会館の屋根が僅かに見えている。
街の北側の一部地域は職業会館裏通りと呼ばれ、平和だと言われているノルデンヴィズの影、つまり危険地帯の一つだ。様々な非合法なことが行われている場所が多く、それに興じる役人もいるため監視が緩く、確かに追われる身を一時的に隠すには最適かもしれない。
そして、クイーバウスの零れ水の巣窟にもなっているのだ。外部から来るのではなく、その地域に定住している住民の多くはクイーベルシーたちで、彼らは元はと言えばクイーバウスからの脱走者であり、通報すれば自らも捕まってしまうので誰がいようとも基本的に何も言わない。
しかし、カルルが離反を表明し事実上の独立後、自治領制度は取り払われ一つの共同体になり、そのうちの一つであるクイーバウスは自治領ではなくなっているはずだ。
「もうクイーバウスはアンヌッカから解放されたんだろ? 圧政自治から解放されてクイーベルシーも関係ないから俺たちもチクられるんじゃないか?」
「安心してください。彼らのだいたいが水汲みの件でこちらでは前科者になってます。北公が共同体であることを正式発表するまでは各自治領での法律が適用され続けるのでまだ前科者です。広場の噴水から水を汲んで売る行為はノルデンヴィズ独自の景観保護観点においてルール違反なので。
それに、自治領時代に形成された彼らのコミュニティがまだ根強く残っているので、裏切り行為になりかねない通報なんて安易にはしませんよ」