過去と未来を紡ぐ場所 第十七話
ドキリとして肩から腰が飛び上がるような感覚がした。もちろん前屈みになって強調されたI字谷を目の前にアピールされたからではない。
“サボった”というのは、人間とエルフに和平をもたらして戦争を終わらせて女神の目的を果たします、とこの目の前で前屈みになり覗き込んできている女性に誓い、それに向けて突き進むことを一度足踏みしてしまったことなのだ。
正直なところ、言い訳はしたい。今ではもはや争いは人間とエルフの間だけでは無く、人間同士でも起きているのだ。俺は知らないだけかもしれないが、エルフの間でも争いが起きているかもしれない。
だいたい“和平”と言う言葉自体、曖昧ではないか。なにをもってして“和平”なのだろうか。個人レベルでの小さなイザコザも含めた争いさえも完全になくなったというのが最終目標なら、この星の生きとし生けるもの全てを焼き尽くすか、完全にマインドコントロールするかにしなければいけない。それでも生命は踏みつけられるほどに強くなりあっという間に蔓延るし、コントロール出来ないもしくはうっかり外れてしまった異端がある物語の主人公になるかもしれない。
だが、言い訳など面と向かって言えるわけもなく、見えない糸で釣られているかようにぴったりと向けられていた視線を逸らして「ぇっ、あ、まぁ、ごめんなさい」と即座にもぐもぐ謝ってしまった。
すぐ謝ると反省してないだろといつかのように怒り出すかもしれない、謝ってからそれに気がついてさらに顔が引きつってしまった。
しかし、女神は「いけないんだ。サボり」と仕方なさそうに笑うだけだった。そして、姿勢を戻し電子タバコをポケットにしまい、「まぁでも、いいのよ。休みも必要でしょ」とスカートを押さえながら丸椅子に深く腰掛けて優しく微笑んだ。
予想外の反応に少し拍子が抜けて肩が落ちてしまった。
とはいえ、サボったことに間違いは無いのだ。いくら女神の寿命が何百年あろうとも、数ヶ月もやるべきことを放ったらかしにして、さらにろくに仕事もせず女性を連れ立って放浪していたなど許されるものではないはずだ。
サボり始めてからしばらく経って共和国で様々な話を聞いて、和平に向けて再び前を向こうとはしていた。しかし、手段はおろか最終目標ですら未だにはっきりさせられていない。
“和平”というおおよその目標をさらに明確にして、それを果たすための手段を具体的にさせてからこの女神には伝えようとしていたが、こうも早い段階で会うことになるとは思っていなかったのだ。サボりの言い訳を考える暇も無かった。
先ほど会ったときから、心のどこかでは話題に上りませんようにと願い続けていたのは事実だ。
だが、女神は優しかった。こちらへ向けている笑顔に負の感情の翳りは無く、それどころか全く怒っていない様子だった。おそらくだが、これまでの長い間の元勇者たちの行いのせいで、この女神のする人事的な評価の閾値は下がりきってしまったのだろう。
「あんたがブルンベイクで誰かさん押し倒して、ノルデンヴィズの家でレナー○・コーエンでハ○ルヤなことしてたときからサバティカル休暇で子作りしてるってことにしたから。オウイェス、シー、ハー! アイムカミング!」
女神は鼻の穴を膨らませて、両腕を前に突き出し腰を前後に動かす仕草をしている。まるで俺がそのときにアニエスとナニをしたのかを見ていたかのような言い方と仕草にぎくりとした。サボりを咎められないことにはホッとしてしまったが、オマケで放たれた余計な一言が胸に強烈な恥じらいを生み出すような感じがした。
神の眼に戸は立てられぬ。だが、ピーピングビーナスめ。許さないぞ、クソ。
幸いにも隣にいるアニエスは首をかしげていて女神が言ったことの意味を理解していない様子なので、触れずに流すことにした。耳打ちで説明すると怒り出すかもしれない。いや、絶対怒る。
しかし、その冗談のおかげで気になっていたことから解放され、表情筋のこわばりがとれて緩くほぐれた顔になっているのが自分でもわかる。鼻から大きく吸い込んだ呼吸が悩みだしてから初めて肺に到達したような清々しさに包まれた。
「でーも、」
女神は表情を変えて腰に手を当てると、安堵に呆け始めた俺を睨みつけた。
「さっき、あんた未来見ようとしたでしょ? それはダメー。人間には出過ぎたことよ」
腕で胸の前に大きなバッテンを作り、首を左右に振った。