過去と未来を紡ぐ場所 第十三話
白い空間の本棚から乱暴に出されて、無造作に開かれた日記。
背表紙がとれて紐の軛が無くなれば、記憶を束ねた何百ページにもわたる紙の束は秩序を失い、日記の役目から解き放たれてしまう。40年間という、人には長く、ダリダには短いその期間に積み重ねたモギレフスキー家の思い出はたやすく散らばってしまうのだ。
このままにしておいてはダリダの長い生涯の糧を無下にしてしまう。
だが、開いたページが閉じられることも、めくられることもないだろう。
ここには風がない。水もない。もしかしたら時間の流れも無いのかもしれない。いるのは静かに並んだ調度品と、俺とアニエスの二人だけなのだ。思い出を風化させやがて消し流そうとする物は何一つない。
誰にも邪魔をされない空間でアニエスが縮こまってから一時間ほどしただろうか。寄りかかり震えていた彼女も落ち着きを取り戻したのだろう。
日記を見ても何もわからなかった。記憶の中の犯人捜しに必死になっていたことからも興が冷めてしまい、訪れたのは絶望だった。
無限に広がるかのように見える空間は真っ白い。光は溢れているが、それは壁に反射をしているわけでもない。無限遠から来て、無限遠へと還っていく。その無限の光路の一部をかすめ取って目で見ているだけなのだ。
昔、絶望は何色をしているか聞かれたことがある。それは白だと、知りもしないのに答えたことがある。後にも先にも反射しない、そしてすぐ傍にあるわけでもない白なのだ。見えている視界がすべて白くなる。それが絶望だ、などと宣ったことがある。
このまま出られないのではないだろうか。その可能性が大いにある。
もし、ブルンベイクのパン屋を焼いたのが誰であるかはっきりと知ることができたとしても、この空間からは出なければ意味が無い。出られずにここで朽ちていくのではないだろうか。日記の中身を探すことで疲労していた体に、その何もなく無限に広がる白い空間は、変化の訪れがないことへの恐怖をじわじわとかき立てるのだ。
パニックはない分、精神が壊れていくには時間がかかる。白い魔物の胃袋の中でゆっくりとかされていくような、具体的な絶望に近づいて初めて、俺はその色を身をもって知った。
抱き寄せたままの両手で顔を擦った。くたびれた匂いがする。アニエスが落ち着いたのではなく、俺も落ち込み始めたのだろう。
「なぁ……」
みっともないとは思いつつも、まだ下を向いたままのアニエスに話しかけた。
「どうやって出ようか……」
腕の中で彼女がもぞもぞと動くと、「ククーシュカちゃんにも会わなければいけないのに。時間もだいぶ経ってしまいましたね」とくぐもった鼻声で答えた。
「間に合わないかもな」
「そうかもしれませんね……」