表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

52/1860

スワンが空翔ぶその日まで 第二話

アカデミア編後半です。

「ねぇねぇ聞いた!? さっきの!! あの老害が初めて肯定的なこと言ったのよ!?」

「アナ?」


 オージーはたしなめるように彼女の名前を呼んだ。そして頭にポンと手を乗せた。


「わ、わかったわよ! もう! さ、さわらないでよぉ」


 さわやかな晩秋の晴れた午後、アカデミアの庭は乾いた落ち葉で満たされていた。

 いつもの会議場所となったあの石垣で俺たち四人は話をしていた。嬉しそうな二人を見ていると俺まで何かを達成できたような気分になる。


 二人はこれから本格的に論文を書きはじめる。それが完成し、どこかのビブリオテークにアクセプトされればこの二人の研究は終わり卒業だ。

 手伝い始めて数か月、俺たちの長いお休みも終わり、いよいよ本格的な旅が始まるのだ。争いを止めるという大義を抱えた、リーダーとしての活動だ。それを考えると多少の不安はある。しかし、まず目の前にあるのはこの二人の卒業を見届けることだ。

 冬も近く空気の澄んだ秋晴れの空を見上げた。久しぶりに見上げたそこには雲の数も少なくなっていた。


しかし、その中でカミュが立ち上がり、様子をうかがうように遠くを見始めた。誰よりも早く一人緊張感を高めている。


「喜んでいられるのも今のうちかもしれません」


 そういうとカミュは剣の柄を握る。どれだけ力を込めたのか、柄の革からじりりと音がした。


 遠くのほうから杖を突いた男性が近づいてきた。

 やつれて土気色の顔、伸びてぼさぼさの髪、生えた無精ひげ、そして見覚えのあるおどおどとした歩き方。


「シーグバーン、何の用だ」


 オージーが前に立ちはだかると、その男は立ち止まりおずおずと口を開いた。


「オ、オージー、久しぶりだね。それからアンネリも」


 それを聞いたアンネリは膝がすくみ立っていられなくなったのか、その場にへたり込んでしまった。恐怖におののき震え出し血の気の引いた表情で口をパクパクと動かしている。


「すす、すっかり悪役だね。も、もう一人のぼくが申し訳ないことをしたよ。は、ははは。二度と出てこないから大丈夫だ。グリューネバルト卿がキミたちの論文を認めたようだね。お、おめでとう」


 シーグバーンはすまなそうな顔をしてため息まじりにそう言った。力なく崩れているアンネリを見て


「本当はぼ、ぼくはもっと小さな女の子が好きなんだよ。大人になった女なんて興味が無いんだ」

「だとしても、アナには二度と近づかないでくれ」


 すぐさまオージーは反応し声を荒げた。シーグバーンを睨み付け、手でアンネリの前を遮っている。


「お、おわ、おわびと言ってはなんだが、とてもいいビブリオテークを紹介し、しよう」


 そういうとごそごそとポケットを漁りだした。何かするのかとカミュは構えた。

そして震える手で角の折れた封筒を差し出してきたので、俺はそれを受け取った。その封筒には見覚えがあり、送り主を確認すると『アルク・ワイゼンシュタイン』と書いてあった。俺がずいぶんと前に受け取ったところと同じ送り主のビブリオテークだ。あの日の朝、途中まで読んだきりでおそらくまだ引き出しの奥底で眠っている。


「こ、ここはリジェクトやリバイスの可能性がひく、低いんだ。それはつまり、良くできた優秀な論文が多く投稿されている証拠なんだ。き、きみたちの論文を読んではいないがぼくと同じ教室なんだから、だい、大丈夫なはずだ。それに、ここの査読者はぼくの知り合いなんだ」


 シーグバーンはふらふらと杖を突き、石垣に腰かけると、その比較的新しいビブリオテーク『アルク・ワイゼンシュタイン』の説明を始めた。


 そこに投稿される論文は、リバイス(書き直して再提出みたいなもの)指示をされてしまうようなクオリティでは出せず、著者が完成させたもののみを投稿するので、保存完了までの時間がとても速い。リジェクト(保存拒否)は当然ない。

 普通のビブリオテークならリバイスが何度もかかり、コメントを送ってきた査読者たちを納得させるデータを出すための追加実験をしたり文章を書きなおしたりするので、アクセプトまで早くても三カ月は要するのだ。その苦労の末にリジェクトも少ないことではない。そして、誰でも、もちろん研究者以外の企業や組織から民間人に及ぶまで誰でも無料で見られるということが売りのビブリオテークだそうだ。

 提出する者はみな誇りを持っていて、世間に早く露出させることができる。しかし、それにはやはり莫大な費用が掛かる。保存するために必要な料金は論文の量や質に依存するということだ。


「や、やはり成果を多くの人に見せたい研究者は多くて人気でね。ぼぼ、ぼくが口利きをして順番を早めてもらう、よ」


 オージーはアンネリを抱き上げ立たせると、二人でその手紙を読んだ。


「世間に早く、そして広く出すことができる……。もしかしたらこれはチャンスかもしれない……」


 そういうとアンネリの様子をうかがった。二人で目を合わせると頷いた。


「シーグバーン、あなたは信用に値しない、人間関係を容易く壊すような犯罪者だ。でも、あなたの実験に対する姿勢、そして手技は素晴らしいものがある。人間としては許してはいけないが、同じ研究者としてあなたの意見は検討に値する」


 オージーはそういうと手紙を折り、ポケットにしまった。

 それを聞いてシーグバーンは引きつった笑顔をした。


 どうやらオージーとアンネリはそのビブリオテークを前向きに検討するようだ。

 俺には考えられない。犯されそうになっても、殺されようとしても、その相手を信じるのはなぜなのだろうか。しかし、この数か月間見てきた中で、確かに実験などに関してシーグバーンはプロ中のプロだと素人目に見ても分かるほど明らかだ。何があろうとも研究者としては信用しているのだろう。


「そ、そうか。ならばぼくは早速話をつけてくる。あまり長居するとみんなが気の毒だ。また来るよ」


 そういうとシーグバーンは杖を支えにして石垣から立ち上がると、おぼつかない足取りでその場を去っていった。





「どこだ。それは。知らん」


グリューネバルトは一蹴した。オージーがまだ説明を始めるでもなく、ビブリオテークの名前を言った途端に、だ。


「シーグバーン……先生の紹介です」

「盗人がよくもまぁいけしゃしゃあと顔を出せたものだ。それを信用する貴様らも、なかなかだがな」


 グリューネバルトは険しい表情を書類に向けている。書類を机に放ると引き出しを開け何かを探し始めた。


「まだ決まっていないならここにしろ。貴様らごときにはおあつらえ向きだ」


 そう言うとグリューネバルトは封筒を机の上に置いた。封筒は青いろうで封がされていた。封筒には『アカシカル・アルケミア』と書いてある。しかし、これは受け取ったものではなく、どうやらグリューネバルトがそこへ宛てた封筒のようだ。


「ここ以外に出すと言うなら、私は許可を与えない。出すと言うなら研究費から保存依頼料は出さんし、フロイデンベルクアカデミアの名も書くな」


 オージーとアンネリを強く睨み付けている。あの出来事以来、グリューネバルトと二人の関係が改善され少しだけ優しくなった空気が、なぜかわからないがいつかと同じように張りつめだした。


「紹介を受けたところは論文が多くの人の目に触れることを売りにしています。ボクたちの発見を世に示したいという考え方に一致しているかと思います。それでもだめですか?」


オージーはすぐにはいと返事をせず、珍しくグリューネバルトに刃向ったのだ。しかし、それに立ち向かうようにグリューネバルトは無言で視線をさらに険しくした。いくつも見てきたこの男性の何も言わない行為は「だめだ」という意味の方が多い。


それを理解したのかオージーは

「シーグバーン卿、わかりました。少し検討させていただきます」

と早口になった。


そして、失礼しますと言うと四人で部屋を足早に後にした。


「どうなってもしらんぞ」


ドアが閉まるとき、グリューネバルトの声が聞こえた。





「なんなの!? あの老害!!」


 やはりアンネリも思うところがあったようだ。廊下に出た瞬間、顔を真っ赤にした。


「仕方ないよ。確かにグリューネバルト卿は反対するとは思っていたよ。でも話せばわかってくれると思っていたけどどうもそうではないみたいだ」


 オージーは首を前に曲げて下を見ている。


「アクセプトされた事実があれば卒業できるんですか?」


 俺は尋ねた。教室がお金を出さない、学校の名前も記載しない。それでは個人的にやったものという扱いで、学校側には何のメリットもないような気がする。


「アクセプトは卒業の条件だから、確かにそうなんだ。だから、いい加減なビブリオテークに出す人も後を絶たない。でも、最近はそんなところも明るみに出始めていて、目立たなくはなってきた。だからよほどのことをしなければそんなところに送ることはないはずだ。今回シーグバーンに紹介されたビブリオテークは比較的新しい。どこよりも群衆の目に触れることを中心的に取り入れていて革新的だ。それに話題の最中に詐欺ビブリオテークをわざわざ新しく作るとも考えられない」


 アンネリがオージーを上目づかいで覗き込んだ。


「ねぇ、オージー。大丈夫ならわたしたちでお金を出して投稿しちゃいましょうよ」


 アンネリの提案にオージーは何も言わずに見つめ返す。

 俺は反対ではないけれど、心のどこかに本当にそれでいいのか、止めたほうがいいのではないかという自分が居座っていた。

 この二人は卒業を焦っていないだろうか。アンネリの行動を鈍らせ、オージーを混乱させていた問題は解決されたはずだ。それ故に二人の実験は滞りなく進めることができた。焦る理由があるとしたら、残ったものは一つしかない。やはり長い年月を費やしているという自責の念から二人は早く卒業したいと思っているのだろう。

 オージー、アンネリの、この二人のことだからどうでもいい、そういう風には割り切れない。それではまるで手を取り合い、実験を手伝った日々を無碍にするようで気分が悪いからだ。でも、早く卒業させたいからと言って背中を押す気にもなれなかった。




 あくる日、シーグバーンは再び石垣に来ていた。彼はすぐ動いたのか、すでにアルク・ワイゼンシュタインに話を付けてきたようだ。

 グリューネバルトの話をすると


「そうか。仕方がない。予想はしていた。ならばお金はぼ、ぼくが半分だそう。この間のことは本当に申し訳ないと思っているんだ。でも、もう半分はキミたちの名誉のために自分で出してほしい」


 杖に両手を乗せ、遠くのほうを見つめて話を続けた。


「グ、グリューネバルト卿は権威主義者だから仕方がない。じぶ、自分の権威を守るためにアカシカル・アルケミアを奨めたのだろう。自分が今まで出してきたところよりも知名度が、ひく、低いところにしたんだ。仕方ないよ」


 フロイデンベルクアカデミア、錬金術第五教室は政府から資金援助を受け取り、シーグバーンを雇っている。お金を受け取り続ける限り彼を雇わなければいけないとなると、彼が条件を満たしていないにもかかわらず雇用契約更新を特例で認めてきたこともあったのだろう。

 それ故にシーグバーンがグリューネバルトと過ごした時間はオージー、アンネリよりもだいぶ長いのだろう。だから、二人よりもグリューネバルトのことについては多くを知っている。

 その彼が言うとおり、グリューネバルトはやはり権威主義者なのだろうか。自分の保身のためにするとしたら、それはアカハラではないだろうか。


 だが、逆もそうであるはずだ。グリューネバルトも同じようにシーグバーンをよく知っているはずだ。


 二人の背中を押せない。でも卒業はさせたい。俺にはそれが選べない。

 学術業界に詳しい知り合い、誰かいただろうか。


 そうだ。ぴったりな人がいるじゃないか。ダリダ・モギレフスキーが。

読んでいただきありがとうございました。


実生活が忙しくなり若干駆け足気味になっています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ