魔法使い(26)と勇者(45) 第三話
――目覚めなさい。目覚めなさい。
――女神に選ばれし勇者イズミよ。
――不慮の事故で死んでしまったあなたはこのせか、
――あ、まだ寝ているんですか。早く目覚めなさい。
――死んでしまったあなたは、勇者として……
――いい加減に起きなさい。そして返事をしなさい。
――女神の忠告は無視してはいけません。
――勇者の管理者たる女神の呼び掛けには三コール以内に答えるのが常識です。他の勇者たちはみなそうしています。
――例えあなたがトイレであっても食事中であっても睡眠中であっても、です。わかりましたね。わたしがここまで譲歩してあげているのです。
――その寛大な心に感謝して話を聞きなさい。
――わかったときにはあなたの世界では何と言うのですか。早く答えなさい。
――はい。よろしいですね。きちんと返事はできるのですね。
――あなたは一度礼儀作法と言うものを徹底的に学ぶ必要がありますね。
――つまりまだまだお子ちゃまということです。
――そういった一般教養を一切教えてこなかった両親はいったい何を考えているのでしょうか。顔が見てみたいものです。
――では改めまして、
――勇者の管理者にして守護者、そして転生の導き役の女神。それがわた
――何をしているんですか。話を聞いていますか?
――足がそんなにむずむずしますか?
――何がそんなに気なるのか私には理解できません。
――一体何回言わせる気ですか。
――もうわたしは頭にきました。説明する気も失せました。
――この夢うつつの状態では意味がありません。
――わたし自身が無礼極まりないあなたに礼儀作法の一切を直接教えます。
――気がついたら近くの町に行きなさい。そこで待っています。
シバサキさんと出会う半年ほど前、俺が事故を起こして死んだ直後のことだ。
死んだことを実感しているという、よくわからない精神状態のときのことを微かに覚えている。
眠っているような、起きているような、ふわふわとした気分の中で、薄明かり下パイプ椅子に座らされて、知らない女の人のよくわからない冗長な話を聞いていたことがあった。
しかし、無意識に近い状態で理性はコントロール出来ておらず、やたら胸元が開いた服を着ていたので本能的にそこばかり注視してしまっていたので、それ以外の特徴は覚えていないし、近くに町に行きなさいということしか聞いていなかった。それに最後のほうはなんだか少し怒っていたようだ。
話が終わると目の前が次第に暗くなり再び意識が遠くなっていった。
それからどれくらいたったのかわからないが、手のひらに何かが触れる違和感が最初の感覚だった。ちくちく刺さり、それを握ろうと柔らかくてくすぐったい。
次に草の匂いがしたのでゆっくり目を開けると、あたりは一面の草原が広がっていた。そこは日本に生きていたころには見たこともないような広さだった。ついに死んであの世かと思った。
しかし、手にも足にも痺れは無く、手の触覚だけではなく地に足も着いているような感覚があった。うつ伏せになったまま身体をさすると、事故に遭った時の服装だが大出血したのにもかかわらず血は付いておらず破けていたわき腹部分は何ごともなかったように修繕されていた。
起き上がり、座りなおしてからしばらく寝起きのようにぼぅっとしていた。
色々と気になることは山ほどあった。ここはどこなのだろうかとか今何時なのだろうとか。
しかし、幸いにも自分が誰であるか、昨日までのことは覚えていたので冷静でいられた。冷静だったと言うよりは、ただ拗ねていただけなのかもしれない。事故に遭う直前に自分が置かれていた状況もしっかりと覚えていたからだ。
あたりをよく見ると植物もいつも見ていた慣れ親しんだものとは少しずつ違っていて、海外旅行で飛行機を降りた瞬間の少し混乱したような気分になった。
それまで寝ていたのかどうなのかわからなかったが、身体が目を覚ましてきた様子だったので、遠くを見ようと思い近くにあった高さのある岩によじ登った。そこから見えた景色は歩道橋の上から見下ろした環七を思い起こさせたが、下をのぞいてみても車の音など一つも聞こえないし落書きもステッカーも見当たらない。頂上から見えた景色はやはりどこまでも平原が広がっていた。少し離れたところに轍が見え、誰かが通った後がある。
見ているとこれまでのことが小さく感じられるほどだった。
人が多すぎる町から遠く離れることはできたが、簡単には戻れないほどに人里離れたところにいるかもしれないというのに、元いたところでは得られなかった静けさに心持穏やかになった。眺めが良くて風が気持ちいい。しばらくこのままでいようか。何もない平原を風の音でも聞きながらぼんやりいつまでも見つめていたくなった。
それから半日ほど経っただろうか、岩に根が生えていたように動こうとしなかった体を動かそうという気になった。美しいが変化に乏しい風景に飽き、ふとさきほどの轍のほうを見るとたまたまキャラバンが通過していたので岩から駆け下り、走り寄って町はどこか、と尋ねた。
キャラバンの人たちには当然だが怪しまれてしまった。周囲何キロにもわたって何もない道だけが続いていて、迷子になるにはあまりにも人里から離れすぎているからだ。ただ、まれにそういう人が現れるらしく、一度は怪しまれたものの快く教えてくれた。轍のあるその道はグレタ街道と言いい、最寄りの町はキャラバンから場所から500キロほど先とのことだ。
500キロ……。東京から京都くらいある。キャラバンに載せて貰う、にもお金がかかるだろう。
残念なことに無一文だ。まず向かうよりも先に日銭を稼がなければいけない。
でも行かないといかないでそれはそれで怒られるんだろうな……、