帝政原理思想と皇帝の末裔 第二話
ヘリツェン・マゼルソンの邸宅にはこれまで入ったことは無い。一番近づいたのは玄関前までで、かつて選挙戦の最中に殺害された息子であるカストを送ったとき以来だろう。黒塗りのセダンが長く突き出た庇の下まで来ると、待ち構えていた黒服に囲まれて車のドアが開けられ隠されるように邸宅内に案内された。
マゼルソン家は帝政時代には侯爵家で、古くから続く家柄だ。建物内部は外観に劣らず豪勢である。壁の飾られた肖像画に見える歴代の当主たちが増築し続け、時代時代のエルフの建築史を物語るような作りをしていて、並ぶ調度品は素人でも価値がわかる物ばかりだ。この家にある物すべてが歴史的財産のようだ。所持すら禁止の九芒星の金床の勲章が付いた服を着て斜め上を向いた貴族の肖像画から皇帝の正面からの肖像画まで、帝政時代の物も当たり前のように飾られているのはマゼルソン家の影響力の大きさ故だろう。
一族とルーアの歴史のトンネルを使用人と護衛に囲まれながら進んでいくと大きなドアの前に案内された。ヘリツェンの書斎だ。
だが、半円形の書斎は思ったよりも広くなかった。正面の机、左右には本棚。そして、円形の壁には窓があり、弱い朝日が差し込みレースカーテンを白くしている。広くは無いのだろうが、窓のから差し込む光のせいで広く見えている。
「久しぶりだな、イズミ」とマゼルソンは九芒星の金床の小さな盾を磨きながら言った。この帝政原理思想の男は、法律省のオフィスにとどまらず、自宅の書斎にまでそれを持ち込んで飾っているのだ。
「お呼びだとお伺いしましたが?」
盾を磨き終わると机の上に置いた。そして右手でつまむようにして回し、正面へと向けてきた。
「久しぶりの再会だというのに怖い顔をしている。だいぶ君も貫禄がついてきたな。そして……ほう、君がルーア皇帝の血を引くという、アニエスか」
「アニエス・オルゥジオ・パラディソ・モギレフスキーと申します」
アニエスは帽子を取り、見せつけるように髪をほどいた。
目をつぶり軽く首を振ると、真っ赤な髪が雪崩れるように広がり、長い髪は伸びきると重たそうに一度はねた。
血の様に流れる髪を見たマゼルソンは驚いたように肩を上げた。
「おお、なんと美しい!」
感嘆の吐息を漏らすと、大きく開いた目を光らせた。
「なるほど、まさしく皇帝の赤。ルーアの赤。紅の主に違わぬ気品」
左手を胸に当て、右手大きく掲げると頭を下げている。
「先代バルナバーシュ帝は若くして崩じてしまわれた。短命の血であるといえばそうだが、些か早過ぎた。死は亡者に価値を与える。齢若ければ若いほど、その死の価値は代えがたい物になる。やはりバルナバーシュ帝の青き死は無駄では無かったようだ。私の目が黒いうちに帝政の黄金時代を垣間見れるとはな」
皇帝のあるべき姿を見いだし法悦に浸るマゼルソンを、アニエスは強く見つめた。
「失礼ですが、ルーア共和国法律省および政省兼任長官ヘリツェン・マゼルソン殿。私はあなた方の帝政思想に利用されるつもりはありません。私はただの町娘、ましてや人間にすぎません」
彼女の初対面とは思えない堂々とした話しぶりに俺は驚いてしまった。だが、それ以上にマゼルソンは喫驚しているようだ。大きく開かれた目をそのままに止まっている。
「物怖じしないその態度。尊敬に値する。まるで私が不敬を働いている様にすら感じる。これぞ、ルーアの御稜威。私が生まれてもいない、腐敗の時代よりもさらに前に戻ったようだ」
深く目をつぶり、満悦しながら鼻から息を出した。
「だが、君がそうなれたのは誰のおかげかな?」
マゼルソンの急な問いかけにアニエスは焦ったのか、えっと息を飲み込んで肩を揺らした。
「ギンスブルグ長官夫妻の話ではかつては相当臆病な性格だったそうじゃないか。そう堂々たる姿勢には隣にいる男が必要なのだろう。君がその威厳を持つために不可欠な男から引き離すようなことはしない」
そう言いながら再び九芒星の金床の盾を手に取った。そして椅子を横に向けて、盾を目線よりも高く掲げて下から覗き込んでいる。
「イズミも君も戦略上怒らせたくはないのでな。奪うようなことは決してせんよ。第一、君たちは移動魔法が使える。縛り付けるのは無理だろう」
外からの光を受け盾は古いながらもよく磨かれており、キラリと反射した。
「なに、今日はついでに顔を見るだけだ」
ユリナはマゼルソンをアニエスに会わせるのが目的だと言っていた。しかし、それはついででしかなく、これからユリナの知り得ない重要な用事があるようだ。
「本来の用事は別にある」
入れ、と言うとドアがノックされ、失礼しますと声とともに誰かが入ってきた。
振り向いたそこには黒い髪をオールバックにした色白の肌、細く切れ長の青い目の男がいた。もはや誰が出てきももう驚くことはない。だが、俺もアニエスも振り向き様にそれが誰かであるかがわかると同時に杖を取り上げ、二人そろってその男に向かって構えていた。
突然殺気立ち始めた俺たち二人をマゼルソンは冷めた顔をして交互にみている。
「モンタンがお前たちに会いたかったそうだ。上司を使って人を呼び出すなど、私もとんだ部下を持ったものだ。暴れるなら外でやれ。この家は歴史的に価値がある。壊せばエルフの歴史の破壊に等しい。弁償では済まないぞ」
モンタンは両手を前に突き出し攻撃の意思がないことを示しているが、たたえている笑顔に全くの隙が無い。
「お久しぶりです。連盟政府であなた方を見つけるのは困難を極めまていましたが、共和国に来たと一報を受けたので、この場をもうけさせていただきました」
距離を取りつつ横に移動したが、俺たち二人は糸で繋いだようにモンタンから杖を放さなかった。
「なんだ? 死刑宣告でもしに来たのか?」
「ご冗談を。さて、今この場で私はモンタンですが、ムーバリ・ヒュランデルとしての連絡をさせていただきます」
モンタンは顔をぴしりと険しくした。何をするのかと緊張が走り、杖を握る手に力が入った。銃を構えて引き金を握るまでの動作よりも、隙を作るための小さな魔法を放つほうが早い。モンタンは銃を構えていないが、つばを飲み込みにらみつけた。
「大変――」