秘術巡る血族 第八話
「おかえり。赤いのの調子は?」
ユリナの尋ねに対して俺は首を左右に振った。それを聞いたユリナは腕を組み、壁に体を預けたまま、首を回して窓の外を見た。
「ん、ま、そりゃそーだよな。自分もこんな風になっちまう可能性があるってのは、辛いよな」
ユリナは壁から体を起こすと、
「ところで、シンヤのとっつぁん起きたぜ。何が聞きたいんだ?」
「聞きたい。というか……」
シンヤは呼吸を僅かばかりに速め、瞼を薄く開けていた。皺の間から黄色くなった白目と真っ黒な瞳を首に合わせて緩やかに動かしている。目覚めと同時にユリナが目やにを拭き取ったのか、目の周りは綺麗になっていた。
聞きたいことではない。むしろ言いたいことがあった。しかし、それに俺は悩まされることになった。
エルメンガルトとの間にできた子どもの話をしていいのだろうか。無責任に子どもを産ませていなくなっただろうと少し責めたかった俺は、今この場にはもういない。やってしまったこととやって成し遂げたことは完全に別物だ、と人は言うかもしれない。だが、自分を犠牲にして、このような姿になるまで戦い抜いた人間を責める道理が、果たして俺にはあるだろうか。
この無残な姿を見て、俺はシンヤに同情したのだろうか。同情。違う。責め立てようとした俺は同情以外の何かで動かされ、孤独の中で世界を置き去りにしてしまったシンヤに、純粋に家族がいることをただ伝えたかったのだ。
しかし、だ。エルメンガルト・シュテールは俺たちとの別れ際に言った。
“家族にゃいろいろあるんだよ。家族でもお互いに個々の人間で、お嬢ちゃんとこみたいに仲が良いのが原則じゃあない”
さらにヘリツェン・マゼルソンも息子カストの葬儀後に言った。
“理解しあえた? 親子である私ですらわからなかったというのにか? 図に乗るな”
確かにどちらも家族の中だけの話で、部外者である俺は何も言うことはできない。道理も何も責めることすら意味を持たないのだ。
ヘリツェンの息子カストはもう召された。だが、カストは父ヘリツェンを偉大な政治家、そして一人の父として尊敬していた。エルメンガルトはやがて娘と再会できる日が来るのは間違いない。和解し歩み寄り、お互いは触れていたか、それともやがて触れ合う未来は確実にあるのだ。
しかし、ここにいるシンヤはどうだろうか。
エルメンガルトはおろか、その娘にすら会うことはもうできないかもしれない。確かにこれまで見てきた勇者たちはどうしようもない連中ばかりだった。だから、コイツも女なら誰でも良く、無責任に孕ませて居なくなるような男だから、どうでもいいとしか思っていないに違いないと擦れたようになるのは俺は嫌だ。
世のため人のために、何百年分もの時間を孤独の中で過ごせるような男が、そのような男では無いと俺は信じたかったのかもしれない。孤独故にそうなった。では、孤独だから好きにして良いのか。もちろんそれは免罪符じゃ無い。
それでも、俺はこのボロボロになるまで戦い抜いた戦士を、シンヤを信じたいのだ。
俺はクライナ・シーニャトチカでの話をすることにした。
実はエルメンガルトとあなたの間に子どもができていて、その子が生まれる前にあなたは彼女の元を去ったが、彼女はあなたを恨んではいない。親子ともに元気で生きていて、エルメンガルトはクライナ・シーニャトチカに戻り、娘は今恋人とともにユニオンにいる。親子げんかはしている様子だが、二人とも幸せに生きている。と安心させるように語りかけた。
遠い耳にもそれは確かに届いてたのだろう。話の途中から表情が現れるようになったのだ。もはや失われた筋力を使い、震えながら差し出してきた左手の人差し指を俺は両手でそっと掴んだが、それは乾いたように冷たかった。俺はそれを自分の体温で暖めながら、様々な話を聞かせ続けた。シンヤが居なくなってからの日本の様子、いろいろな日本人がこちらへ転生してきていること、その中でできたカトウと言う後輩の話、愉快な仲間たちの話、ユリナの旦那が偉くなった話……。だが、シバサキの話だけはどうしてもする気にはなれなかった。
長い長い話の中で、驚いて薄い目を開けるだけ大きく開き、たまにはにかむように笑い、そして、懐かしむように目を細めていた。
やがて楽しげな夢を見ているような、ゆっくり頷くような反応を繰り返すようになると、シンヤは目をいつの間にか閉じて、胸の呼吸は再び穏やかに下がっていった。
「寝たか」
背後にいたユリナが鼻から息を吸い込みながらベッドサイドへと寄ってきた。
「ああ、そうみたいだな」
「今日は、もういいか? ここには私以外にほとんど誰も来ない。久しぶりの客でシンヤも疲れたはずだ」
ユリナが窓を閉めるとはためいていたカーテンは穏やかに垂れ下がり、風の音が止むとシンヤの微かな寝息だけが残った。