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秘術巡る血族 第七話

 穏やかに部屋を抜ける風はまだ冷たいが、暖房で暑くなった体にはちょうど良い温度だった。白いカーテンが冬の風にはためくと、心地の良い冷たさが頬を伝う。


「おーす。死んだか? シンヤさんよぉ」


 ユリナは居室に入るなり、気さくに、だがどこか翳りのある声色の挨拶をした。外の白い光が燦々と差し込む部屋の隅には大きなベッドが置かれていた。その上には子どもほどの大きさに盛り上がった布団があり、それは非常にゆっくりと、人の呼吸よりもだいぶテンポが遅れて三センチほど上下している。


「なんだ。寝てんのか。窓開けっぱなしかよ。凍死しちまうぞ」


 まるで幼い弟をあやすような優しい口調でそう言った。

 俺もアニエスも今すぐにでも駆け寄り、シンヤの様子を覗いたいと逸ったが、ユリナはベッド脇の手すりに手を乗せて覗き込んだ後に、俺たち二人の方を見て口の前に人差し指を立てた。そして、そっと掌だけを動かして手招きをした。

 眠るシンヤを起こしてはいけないと静かに足を運ぼうとしたが、逸る気持ちを抑えきれず思わず早歩きになり、ベッドの中にいるシンヤを慌ただしく見た。


 そこには信じられない姿をした男がいたのだ。

 髪の毛はすっかり無くなり、その毛の無くなった頭皮さえも皺だらけになっている。顔と額の境目もわからなくなるほどに皺は刻まれて、その中に紛れて閉じられた瞼があった。皺と目の境はそこについてしまった目やにでしか判別がつかないほどである。真っ直ぐに伸びた鼻筋の先にはソラマメの形をした小さな鼻の穴があり、さらにその下には一横指ほど開かれた口があった。どちらも乾燥しきっていて、呼吸に合わせて上下する胸に合わせて空気の流れる僅かないびきのような音を立てている。


 ユリナとシンヤの歳は離れていないはずだ。しかし、そこに横たわるのはただの歳を重ねてきただけではなく、人間が生きる以上に加齢を重ねた、まるで息をする化石ようだったのだ。

ユリナはシンヤの掛け布団をそっと取り上げた。


 露わになった体はくの字に折れ曲がり、硬くなってしまった関節はもう真っ直ぐに伸ばすことはできないのだろう。突然の冬の風に当てられ寒そうに僅かに手足がうずいている。


「ったく、しゃーねーな」


 ユリナはシンヤの脇と折れ曲がった膝の下に手を入れると持ち上げて体の向きを反対側にした。床ずれを起こさないようにしているのだろう。


「外を向きたがるが、ずっと同じだとマズいからな」


 ユリナは丁寧に動き、慎重にシンヤを扱っている。彼女は力が強いが、その力を抑えに抑えて居るようにも見えた。薄青い色をした上質な寝間着の袖がめくれあがり、シンヤの腕や足が見えた。黄色く乾き小さな鱗のように光を返す皮膚には、まばらに生えた縮れ毛やほくろ、シミがある。それ以外には何も無く、そこに豊かにあったはずの筋肉も落ちきってしまって尺骨橈骨、脛骨腓骨まではっきりとわかるほどになっていた。体は生きるためだけに必要な物以外をすべてそぎ落として小さく軽くなり、アニエスでさえも軽々持ち上げられそうなほどなのだ。


「シンヤは、よいしょっと」


 ユリナはシンヤを床に納めた。そして、めくれ上がってしまった寝間着の袖を直して毛布を掛けながら言った。


「シンヤはイズミが思ったとおり、連盟政府で現役勇者やってたときに高速移動を使いまくった。もちろん、人助けのためにな。その結果が、これだ。時空系魔法を使ってできた、時間のほとんど止まった世界で、普通の人の何百倍も速い時間を孤独に過ごしたんだ」


 アニエスはベッドから一歩一歩と後ずさっていった。しかし、視線をシンヤから逸らすこと無く、口を押さえて震えている。逸らさないのではなく、釘で打たれたように逸らせないのだろう。だが、ついに腰を抜かしてしまい、左膝が崩れてしまった。

 俺は慌てて腕を掴み支えると、「ユリナ、ごめん。ちょっと出る」とユリナに言い残し、力の抜けたアニエスを支えて俺は病室を出た。


 ドアを静かに閉めて向かいに置いてあったベンチにアニエスを座らせて、彼女の前に屈んで真っ直ぐに顔を見つめた。瞳は涙で溢れ、今にも流れてしまいそうだ。輝いた瞳で俺を覗き込んでは下を向き、視線を真っ直ぐ合わせることができないのだろう。帽子をそっと取り上げて、前に垂れてきた髪の毛を左右の耳に避けた。


「俺はシンヤに聞かなきゃいけないことがある。もう少し話してくるから、ここで待っていてくれ」


 両手を肩に置くと、アニエスは大きく頷いた。


 一度額を合わせた後、頭をぽんと掌で押して俺は病室に戻ることにした。

 基本的に面会中は看護師やドクター以外は近づけない手はずなので、窮屈な帽子は取っても大丈夫なはずだ。ショックを受けたアニエスがどこかへ行ってしまわないか不安なので、俺はアニエスの事情を知っている看護師に付き添っていて貰うように頼み、そしてドアを開け放したままにして居室へと戻った。

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