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秘術巡る血族 第六話

「モリブンドゥス」


 病院ではよくある、衛生さを重視した無機質で寒々しく青白い空間ではなく、クリーム色の暖色系を基調とした柔らかい照明の並ぶ廊下を歩きながら、ユリナの背中はそう言った。


「ラテン語だ。意味は、まぁ、シンヤの様子を見ればわかる」


 連盟政府には無い近代的な雰囲気の病院の廊下にアニエスは少し戸惑いを見せている。ラテン語についてアニエスは何のことわかっていない様子だが、それよりも見慣れぬ雰囲気に押されているようだ。


 共和制移行を記念して建築されたグラントルア共和制記念病院はグラントルアの名を冠するも街の中心部から離れており、緑に囲まれた郊外にある。それゆえにギンスブルグ邸からもかなり近い位置にあるのだ。邸宅からほど近い位置にある事を考えると、設立時にギンスブルグ家が資金を出したことがうかがえる。そして、その近さ故にシンヤは収容されたのだろう。


 トレンチコートの前を開けて裾を左右に翻すユリナ、髪をギチギチに束ねつば広の女優帽にサングラスのアニエスと共和国軍服を着た俺の三人は、屋敷からウィンストンの運転する車に乗り十分ほどのところにある病院にいた。シンヤはそのさらに奥、建ち並ぶ病院の棟からさらに離れたところにある平屋にいる。


 敷地内を歩き近づいてみると、日本庭園を意識しているのか、枯山水のようなものが後付けされていた。おそらく、日本で生まれたシンヤの希望でそうなったのだろう。だが、その建物の外観とは異なり、内部の廊下は近代的な様相をしていた。


 前を歩いているユリナが首だけで振り向くと、


「イズミ、おめぇ最近まで日本にいたならホスピスって知ってるだろ?」


と尋ねてきた。


「ここはあんな感じだ。だが、プールやらバーやら色々ラグジュアリーな設備はうちが金をかけて作ったが、利用者には時間が無いばかりか、みんな痛くならない薬のせいでろくすぽ動けなくて使う余裕も無いのが残念だがな。維持費もバカになんねぇが、いつでも好きなときに使えるって心の余裕を与える意味も、あると思いてぇもんだがな」

「あ、あの、ホスピスっていったい何ですか?」


 アニエスはそう尋ねたが、ユリナは言った後にすぐ前を向いてしまった。そして、ヒールの音をカツカツならして先を進んだ。アニエスは答えが返ってこないことに不安を覚えて口を曲げて、俺の顔を伺ってきた。

 ちょうどそのとき、痩せ細り肌の色合いを紫に近づけた余命幾ばくかの一人のエルフが歩行器を震える手で掴み、ピンクのエプロンをした消え入りそうな笑顔の看護師に付き添われて、季節から閉ざされた緑と光のあふれる中庭の方向へとその足をゆっくりと向けていた。

 俺はその様子を一瞥した後に、「あんな感じの人たちが、残された時間を大事に過ごすところ」と言うとアニエスは首を下げて悲しげな顔をした。


 シンヤがホスピスにいると言うことは、つまりそういうことだ。それと同じになるかもしれないことを考えると、具体的なことを彼女に言うことはできなかった。


 大きな窓の外は屋外では無い。今が早雪なら生き生きとした緑はないはずだ。だが、そこには様々な草木や花が生い茂り、屋内とは思えないほどの開放感を演出している。ガラス戸の前には内部庭園でのハープ定期演奏会の案内看板が置かれているが、ひと月に一度のようだ。おそらくハープの音色を聞くこと無く旅立つ者も居るのだろう。


 窓の連なる長い廊下の角を何度か曲がると、まるでそれが終わること無くいつまでも繰り返されていくのでは無いだろうかと錯覚する。施設の大きさの割にすれ違う患者たちの数が多くないのは、お互いにあまり顔を合わさないようにするための配慮だろう。不健康な姿を見て、それが誰であっても精神衛生に良くない影響があるのは明らかだ。ましてや心身共に弱っている彼らにとって、それはやがての自分の姿になるかもしれないと不安をかき立ててしまう。

 彼らの目に映る物は、眼前に迫る死の恐怖を取り払い、受け入れるために、活気では無く穏やかで、それでいて美しく開放的な物だけでなければいけないのだ。


しかし、包み込むような優しさの回廊は、生を謳歌し死という結末をはっきりと感じ取っていない自分たちの目には少々不気味に映ってしまうのだ。


 それから、何人か、ほんの二、三人のチューブを繋がれた枯れ枝のようなエルフたちとすれ違った後、優しい色合いのドアの前でユリナは止まった。ドアの脇には“08 シンヤ ソデヒラ”とエルフの文字で書かれた、古めかしく黄ばんだプレートが取り付けられている。この数年、同じところに収まり続けているうちに劣化したのだろう。


「もう一度聞くぞ、赤いの。おめぇはシンヤと同じになる可能性を持っている。それに絶対にそうならないという保証も無い。それでもいいんだな?」


 ユリナがこれほどまでに言うのは一体どれほどの状態なのだろうか。だが、アニエスは怖じ気づくこと無く深く強く頷いた。それを見たユリナは四回ほど独特なリズムのノックをした後、シンヤの居室のスライド式ドアをゆっくりと開けた。


 廊下よりも明るい居室に目がくらみ、視界を真っ白に飛ばす。その中から光が漏れ出すと、シンヤのネームプレートが光を受けて反射した。

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