秘術巡る血族 第四話
「長湯ですっきりしたか。で、わざわざ出向いてきたのは何のためだ? 仲人でもしろってか?」
俺はいつか作ったままギンスブルグ家のクローゼットに放置していて樟脳の臭いがこびりついた共和国の軍服、アニエスはユリナに借りた服を窮屈そうに着て、ギンスブルグ邸宅内にあるユリナのオフィスを訪れていた。久しぶりの快適な浴場を心置きなく満喫して思わず長湯をしてしまい、俺は軍服が少し暑苦しく首元をくいくいしきりにひっぱってしまい、アニエスも先ほどまでパタパタと手でほてった顔を仰いでいた。
デスクで仕事をこなすユリナは肘をつきながら書類を見たりだらだらと何かを書き込んだり、そして、組んでいる足先で貧乏揺すりをしているのか、ときどき椅子が揺れているのが見える。
「シンヤに会わせてくれ」
それを聞くまで大した用事では無いだろうとあまり聞く気はなかったのか、ユリナは盛んに振るっていたペンと足の動きをピタリと止めた。そして、流し目の後に険しい顔で見上げてきた。
「死んだのか?」
「いや、生きてる。勝手に殺すな。生きてはいるが」
ペンを投げるように机に置くと背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。
「会わせるのは構わねーが、その理由を聞かせろ」
「俺たちは連盟政府のクライナ・シーニャトチカでエルメンガルト・シュテールに会った」
「おっほー、こりゃまた懐かしい名前を。生きてりゃ今もうクソババァだろ」
「そこでエルメンガルト先生は、当時のシンヤを青年だったと言っていた。だが、あんたの話を聞くともう老人だそうじゃないか。シンヤは移動魔法が使える世代の勇者で、それ以外にも高速で移動することができたそうだな」
俺がそう言うとユリナはアニエスの方をチラリと一瞥した。
「ああ、なるほど」と大きくため息をすると、「時空系魔法の話か。どうせそこの赤いのも高速で移動する魔法を使うことができるから、同じになっちまうんじゃねぇかと心配できたってとこか」とわかりきったような反応を見せた。
「……そうだ。でもなんで高速移動のことがわかったんだ?」
「だぁー、そこから説明すんのかよ。めんどくせぇな」
組んでいた足をゆっくりとパタパタと動かしながら、両手で顔をこすりおっくうな反応を見せた。そして、椅子の金具に悲鳴を上させて飛び起きるように立ち上がった。
「私らはアニエスに最初に会ったときに“テメェが一番ヤベェ”って言ったのは覚えてんな?」
俺とユリナが初めて会ったときだ。まだ何も知らなかった、共和国はおろかエルフすら知らなかった頃、シロークの共和国への送迎のときにリティーロの街外れに忍び込んでいたユリナがアニエスに向けて放った言葉だ。それからギンスブルグ家に移動してからも女中たちはアニエスのことを怖がっていた。
シローク金融省長官当選工作のための長期滞在中に、女中たちもアニエスの人となりを次第に理解してそのようなことはなくなったが、その後もグラントルアへ買い物に出るときはつば広の女優帽で髪の毛をガチガチに隠し、絶対に人前にさらすなと強く言われていた。
デスクを指先でこんこんと叩きながら回り込み、俺たちの前に立ちはだかるようになった。
「先代のルーア皇帝のフルネームは知ってっか?」
「えーと……、バル、バル、バナ、バナナ、なんとか」
「アホ、失礼だぞ。バルナバーシュ・フェルタロス・ジー・ベタルヒム・ヴェー・ルーアだ。ベタル宮に住まう傷口の様に赤いルーア家のバルナバーシュ君って意味だ」
アニエスの目の前へと移動すると、人差し指を胸の谷間に突き立てて左右に揺らすように動かした。
「で、おい、赤いの」
話を振られたアニエスは胸元のユリナの人差し指と顔を混乱した面持ちで交互に見ながら、はい、と慌てたように返事をした。
「おまえのフルネームは?」
「アニエス・オルゥジオ・パラディソ・モギレフスキーですけど」
それを聞くとユリナはあれと首をかしげた。そして、「ああ、すまん。聞き方間違えた。ダリダさん、おめーのカーチャンの旧姓は?」と再び尋ね直した。
「ダリダ・オルゥジオ・センツァ・フェリタロッサですが……。フェリタロッサ……?」
アニエスは表情少なくこぼれ落とすように囁いた。ユリナはそれを聞くと、口角を上げた。
「もうわかったんじゃねぇか? フェリタロッサはエルフの言語風に発音すれば、フェルタロスだ」
「どういうことだよ。似てるだけじゃ無いのか?」
「ちげーな。同じなんだよ。つまり」
ユリナは腰に手を当てると、
「赤いの、おまえは帝政ルーアを支配したルーア王家の血を引いてんだよ」
書斎の外を誰かが台車を押して通過する音が聞こえた。車輪が床の僅かな隆起に跳ねる音よりも小さく、まるで音を立たないように殺している様な足音はおそらくジューリアさんのものだ。
ユリナの言葉に覚えていた違和感を忘れて俺は黙ってしまった。真実に言葉を失ったのは俺だけではなく、張本人であるアニエスも同じようにも何も言えなくなり、時間が止まったように二人で動けなくなってしまった。台車が通り過ぎて音が離れていくとアニエスは空をかむように口を動かして、「そんな……」と吐息のように囁いた。
「私が、ルーアの末裔……!? そんな、聞いたことありません!」