秘術巡る血族 第三話
ポータルから臨むグラントルア郊外の空は薄く晴れていた。
早雪であり寒いことに変わりはないが、頬に当たる風に突き刺すような冷たさは無い。南下した分だけ暖かくなったのだろう。火山噴火による影響の降灰などは、暖流のもたらす南風のおかげで少なかったそうだ。もし、早雪ではなく暖流がいつも通りだったのなら、降灰は一切なかったかもしれない。しかしそれでも火山性のガスによる日照不足は免れないようだ。
俺とアニエスは移動魔法でグラントルア郊外のギンスブルグ家の敷地内に移動した。足を踏み入れて辺りを見回すと、急に訪れた寒さであっという間に枯れた茶色の原っぱのいつか二人で星を見た東屋のある庭先に出た。キューディラであらかじめ連絡をいれておいたので、早朝にも関わらず庭先ではジューリアさんをはじめとした女中さんたちが勢揃いで出迎えてくれた。
しかし、彼女たちは様子が違っていた。いつもなら腰に手を当てた仁王立ちでどっしり構えるジューリアさんの後ろで番犬のように銃を構えているのだが、ジューリアさんまでも物腰穏やかに整列し恭しく丁寧な言葉遣いと上品なカーテシーで俺たちを迎え入れたのだ。そして、到着と同時にユリナにも連絡が行ったようだ。彼女はタイミング良く会議では無かったので、スーツ姿で軍部省のオフィスから直行して現れた。
「おめぇら、生きててのか。急に音沙汰無くなったからついに死んだのかと思ったぞ」
「その割には驚きが少ないようにも見えるけどな」
「あんだよ、うっせーな。挨拶だよ。ゴアイサツ。ゴキブリは簡単に死なねぇことくらい知ってら」とユリナは掌を扇いだ。
横にいたアニエスが、ゴキブリ……と小さくつぶやくと汚れた服を指でつまんでいる。確かに俺たちは今相当に汚れている。
「で、何の用事だ?」
尋ねられたので要件を伝えようとすると、ユリナは右手を前に突き出して言葉を止めた。鼻をスンスン言わせて眉間に皺を寄せている。
「いや、待て。おまえらくせーな。よく見りゃ服もどろんちょじゃねぇか。風呂入ってこい。服も全部クリーニングしといてやる」
と親指で大浴場の方向を指さした。
それを聞くとアニエスはぱっと明るい表情になりこちらを見てきた。このところの放浪生活で風呂に入る機会も少なかったので嬉しいようだ。炎熱系と氷雪系の魔法を組み合わせて水は作れるが、労力に見合わず浴びるほどにしか使えない水でさっと流すだけの日々ではどうしても汚れがたまってしまう。それを洗い流せるとなると気持ちが逸るのだろう。
「それはありがたいなぁ。じゃ早速」
二人並んで浴場への近道を進もうとすると、
「おいおい、おめぇら混浴するほど睦まじいわけじゃねぇだろ? イズミ、おめぇは待ってろ。そこの赤いのが入った後に入ればお湯飲めるぞ」
とユリナはニヤつきながら俺たちを止めた。下品なことを言ってた俺たちをたじろがせて楽しむつもりなのだろう。
だが、入浴後の浴槽の水を飲むような変態行為までは及んでいないが、もはや睦まじい男女の間柄であるという自覚はあり、その程度の誘導では二人とも動揺しなくなっていた。だが、からかおうとしたユリナに少し腹が立ち、売り言葉に買い言葉が出てしまった。
「それはそれでありだな。アニエスが寝相が悪くて、毎明け方に毛布をむしり取られることぐらいしか俺は知らないからなぁ」
と思わずやや鼻を上に向けて言い返してしまった。それにアニエスは、余計なこと言わなくて良いから、と横で顔を真っ赤にして袖を引っ張り腕を揺らしている。その反応が予想外ではあったようで、ユリナは口をへの字に曲げ両眉を上げた。
「あー……、そ、そうか。ま、広いから好きにしろ」
何かを理解したユリナにニタニタネチネチさらに被せるように下ネタを言われるかと思ったが、意外なことにそれ以上は何も言わなくなった。強気のユリナのこれまでに見たこともない間の抜けた顔は、若干反応に困っている様にも見える。
再び歩き出そうとしたが、ユリナはアニエスをつま先から頭の上まで嘗めるように見始めた。そして、彼女へとずいずいと近づき前屈みになった。
「な、何ですか……?」
引きつるアニエスに思い切り顔を近づけて、ユリナは顎に手をやると、
「ところで、赤いのが着てるのは一体どこの軍服だ? 見覚えがあるような、無いような」と尋ねてきた。
「ああ、これはインぐっ……!?」と俺が何も考えずに言いかけるとアニエスが脇腹を小突いてきた。驚いて彼女の顔を見ると、口を一文字に閉じて睨みつけている。
ああ、そうか。不用意に他国に正規の軍服であるものを持ち込むのは、有事が起きた際に利用されかねないので危険だ。アニエスは北公の軍では中佐と決して立場が低くない。ましてや今、北公と共和国の立ち位置が不明ならなおさらだ。だがクリーニングはして貰いたいので、誤魔化さなければ。
「イン、インテンシティーのある服だろう? 軍服っぽく見えるが実は彼女の故郷で流行ってるんだよ! ブルンベイクの最新ファッション!」
「そうなんですよ! ど、どうですか!? ユリナさん! 似合ってますか? うっふふふ!」
とアニエスは見せびらかすようにくるりと回った。
「あっそ」とユリナは表情を変えずに姿勢を戻した。そして背中を向けると、「くせぇからさっさと行ってこい」と言って女中部隊を引き連れて屋敷の方へといつも通りの大股で歩いて行った。