逃避行 第二十一話
エルメンガルトが煙を俺の顔へと思い切り吹きかけてきた。
「そういえばあんたたち、変わった魔法も使えるようだね。ポータルに高速で移動、あれかい? 古の占星術士が使うとかいう時空系魔法かい? 一度だけ見たことがあるよ」
ぶわっと目の前に広がった灰色の視界で、目に刺さるような強烈な刺激と彼女の言葉使いとほとんど煤のような煙の匂いに意識を混乱から解き放たれて、むせながら彼女の方を見た。
「勇者とか自称してた男が私を助けてくれたときに使ってたな。
体つきもガッチリしていて、男前であんたの1000倍いい青年だったよ。
私もそのときはまだ三十代で、ストスリアで教鞭振り回してた。オバサンでもイイ女だって褒めてくれた。
その後、私とできちまった子供を残して、雷鳴系の魔法を使う小娘とまた旅に出てどっか行っちまったけど」
膝に頬杖をつくと、「懐かしいねぇ」とうっとりとしている。
「名前はシンヤとか言ったね。連れ立ってた小娘はユリナとかだったかな。
何でか知らんが、思い出そうと思えばすぐに思い出せるもんだね。
二人は親子ほども年が離れてたのに同い年だって言い張ってたからな。
小娘の方は魔法使いのくせに喧嘩っ早くて、何でもかんでもすぐに手が出る狂犬だったさ。拳で殴るだけじゃなくて魔法もとんでもなく強かったな。聖典の載るレベルの無茶な威力の魔法を当たり前に使ってた。
そういえば、もう一人、頼りない中年もなんだかふらふらついてきてたが……ありゃ誰だったかな。私にちょっかい出してきたかと思ったら、シンヤに毎回ぶちのめされてたよ、へっへっへ」
おそらくユリナたちの話だ。世間は意外と狭い。エルメンガルトは感慨深そうに遠くを見るような眼差しになり、話を続けた。記憶の細い、今にも切れてしまいそうなそれを慎重にたぐり寄せるように。
「教師を一時的に休業して、娘が生まれてここで一人で育てて、少し大きくなってからストスリアに行ってまた教師を再開して……。
そこで喧嘩して出て行ったきりか……。なんで喧嘩したんだかな、思い出せんよ。名前は、確か、マイ、マリ、ミリザ、メ……」
「その二人は変わった家族名を持ってなかったか? 女の方はイクルミで男の方はソデヒラとか言う」
エルメンガルトが目を閉じてしかめ面になるまで頭を力ませてまでするその記憶の糸巻き作業を止めるようなことを思わず尋ねてしまった。
情報の横やりで混乱させてしまうかと思ったが、エルメンガルトは首を回して見つめてきた。驚いているのか両眉を上げている。
「おや? 知ってるのかい? ああ、そうだね。言われりゃあ確かにそんな名前だったね。次々思い出すよ」
「あ、ああ。遠い話できたことがあるんだ。二人とも英雄だしな。今、どこにいるかは知らない」
俺はユリナと知人であることを伏せた。話を聞く限り、何やら根が深そうだ。
だが、明らかにおかしいことがある。シンヤが青年? ユリナとルーア共和国に逃げたときにはすでに寝たきりの老人だったと聞いている。
それにいつか女神から聞いたシバサキの昔話では、二人はまだ同じくらいの少年少女だったはずだ。
「そうか、元気なのか……」
エルメンガルトは心地よく温かい物に両手で触れたときのように微笑んでいる。
「不思議なくらい動きが速いんだよ。時間をほとんど止めてるから雷でも避けられるとか言ってたな。
寝ぼけたことを言っているかもしれないが、シンヤの動きは本物だったよ。
でも、高速で移動する技を使うとものすごく疲れるらしいかったね。枕元でよく囁いてたよ。朝になったら居なくなっちまってたからよく覚えてる」
シンヤは移動魔法が使えた。つまり彼も時空魔法を使える。
そして高速移動をしているのはエルメンガルトの話からわかる。アニエスが戦闘時に使っている物と同じだ。
それでいて、シンヤは少年から青年、今では老人となっている。それも二十年足らずの間に。
もしアニエスとシンヤの魔法が同一の物だとしたら……。
少しばかり嫌な予感に背筋が凍った。一度共和国へ行かなければいけないのだろうか。だが、それをすることでまた何か動乱の中へと飛び込まなければいけなくなるような気がするのだ。
アニエスをチラリと見ると、彼女は小首をかしげて俺を見ている。
彼女のためだ。遅かれ早かれいずれは。
「エルメンガルト先生はこれからどうするつもりだ? 俺たちはまた旅に出る」
「私は村の廃墟に戻るよ。まともに戻っちまったんだ。村長と話をつけて全うに生きるさ。
さっきの騒ぎもちょっくらやらかしちまったっていえば許してもらえるさ。
これまでさんざとち狂ったことしてきたんだ。今更何も変わりゃしないよ」
エルメンガルトは片手をあげて鼻で笑った。
「あんたらは戻らんだろ? 私から村長には伝えておく。発狂した私がまた追い出したってな。安心して消えな」
そして、立ち上がると背中を向けて無人エリアへと向かって歩み出した。
「先生――」