スワンダーフォーゲル 第三話
アカデミア編です。
たくさんのバジリコの葉っぱがフォークを避けて皿のはじに集まった。
カミュはフォークにパスタを巻きつけて、ぐるぐると回したままテーブルを見つめている。
カミュの様子がどこかおかしい。表情が多くなった最近の彼女はわかりやすい。
「どうかしたの?カミュ?」
「ごめんなさい。下品でしたね」
俺が尋ねると、彼女の腕はぴたりと止まり小さなパスタの塊を口へ運んだ。そして飲み込んだ後、ふぅーんとため息をついて再び上の空になった。
オージー、アンネリは昨日の実験でデータは取れたらしい。今日の午前中に再びアカデミアを訪れた後、めずらしくカミュからご飯を食べませんか、と誘ってきたのだ。そして、散歩道の途中にあるお店で遅いお昼ご飯を食べていた。ランチタイムを過ぎていて、学生街のストスリアは落ち着きを取り戻していたころだ。
アカデミアでデータの解析などを行うオージーたちの様子を見ているとき、カミュは時々不満そうな顔をしていたので、何か話したいことでもあるのだろう。もしかしたら、実験を手伝うことで俺は訓練をすることができているが、カミュはただ横でその様子を見守ることしかできないことをあまりよく思っていないのだろうか。一昨日の訓練の時から大剣はもっているものの、服装も鎧ではなくカジュアルだ。
「ごめんね。なんだか俺だけの訓練みたいになっちゃって。カミュは暇だよね? 実験も割と早く解散になるし、その後どこか別のところで訓練する?」
話しかけるとフォークを一度おいた。
「いえ、そういうことではないんです。ないんですよ」
気にはなる。俺は食べるのを止めて彼女を覗き込んでしまった。でも彼女個人のことらしいので無理に詮索はしたくない。話しづらいなら勝手に話し始めるのを待った方がいいような気がするのだ。
水を一口飲んだ後、「そうなんだ」といって、トマトで真っ赤なパスタにフォークを立てくるくる小さく巻き取った。
お客の少ない店内の音が聞こえる中、俺は上の空の彼女をしり目に黙々と食べ続けた。しばらく静かな時間が過ぎた後。
「あの、データの扱いってあのようなもので本当にいいのでしょうか?」
姿勢を正したカミュが突然話し始めた。俺は静かにフォークを置いた。
「どういうこと?」
今朝のことだ。
俺たちは錬金術の教室を訪ねた。ドアは開いていて、近づくと中からは濃縮したコーヒーの匂いが漂ってきた。どのように濃縮したのかはわからないがとにかく強烈な匂いで思わずむせ込んだ。教室に入り書類の山をかき分けるとオージーとアンネリがいた。
二人とも服装は昨日から変わっておらず、目にはクマができていて髪の毛はぼさぼさちりちりになっていた。誰が入ってきたのかと二人同時に頭をゆらりとこちらに向けて、ぎらついた眼差しで見つめてきた。
「キミたちか……おはよう……」
「あー」
しゃがれた声で力のない挨拶をした後、目をぐっと力強く閉じ、まぶたを指で押している。聞かなくても分かる通り、二人はずっとアカデミアにいたのだろう。昨日の実験のデータはまとまったのか尋ねると、まだと答えた。
「データをとれたのはいいのだが、あまりにもデータが出過ぎていてね。まとまらないのだよ」
「うー」
アンネリはほとんど意識が無いのだろうか、うなり声にしか聞こえない返事をしている。
オージーはデータについて説明してくれた。しかし、相変わらずの横文字ばかりで理解することができなかった。通訳してくれるアンネリは話が始まると眠りだしていまい、最初から最後までわからないまま終わった。
「この数値はあまりにも大きすぎるんだ。だから数値を少し変えないといけない」
しかし、展開されるわからない言葉の中であってもそれには強い違和感を覚えた。
どのように変えるつもりだろうか、それが具体的でない。比較を変えるのかそれとも数値そのものを変えてしまうのか。それは一歩間違えばねつ造になるのではないだろうか。同じことを思ったのか、カミュがえっ、と息をのんでいる小さな声が聞こえた。
床に無造作に落ちていた計算式がぐちゃぐちゃに書かれた用紙を取り上げ、今度はその説明が始まった。やはり何を言っているのかわからない。
「この魔力減衰係数をかけた数値があるだろう?こっちがゼロベースの絶対基準値でこっちが計測数値だ。これらを適応させるにはある程度二つの差が出すぎないことを前提としてやらなければいけない。だから初期条件が多少変わってしまうが調整は必須なのだよ」
口を半開きにして「はぁ」と間抜けな返事をしてしまう。横のカミュはこちらを振り向きながら首を後ろに下げて不服そうな顔をしている。
「グリューネバルト卿への報告の時間もあって、早く卿の求めるデータを出さなければいけないのだ。どんな形であれ、結果を出さなければいけない」
「急いでいいんですか? データや解析が雑になってしまうような気がするんですが」
そう尋ねると、オージーは無言で俺を見つめた。何かを察せと言うのだろうか。
カミュは腕を組んで息を大きく吸い込み、ソファの背もたれに寄りかかって目をつぶった。
説明が終わり、オージーは何かを考えていたのか顎を指でつまみながら静かになったり、再びペンを動かしたりを繰り返した。それがしばらく続いた後、データ解析が終わって内容をまとめられたのか、彼は立ち上がった。そして白目をむいて小刻みに揺れているアンネリをそっと起こすとふらふらとした足取りでグリューネバルト卿の部屋へ向かっていった。俺たち二人もそれについて行った。
グリューネバルト卿の部屋もやはり書類だらけで埃っぽかった。唯一きれいにされている窓辺には一枚の絵があり、そこには二人の女性と三人の男性が描かれている。そしてその女性の一人には見覚えがある。
卿は奥のデスクに座り、入ってきた俺たちをじっと睨みつけている。
「グリューネバルト卿、先日この方たちに手伝ってもらった実験のデータの解析と考察です」
オージーは辞書のように分厚い紙の束を渡すと、グリューネバルトは飛ばし気味に中身を見ていた。
「挨拶もなしか。失礼な人間だな」
右に左に文字を追いかけ書類の上を動く卿の視線。卿のその言葉は誰に向かって言っているのかわからなかったが、俺とカミュに向けられていたのだろう。
それに気づいた瞬間、脇の下がヒヤッとした。日本にいたころの教授に怒られる直前のあの嫌な感じそっくりだ。言葉を選んでしまい詰まっているとオージーが口を開いた。
「も、申し訳ございません。お時間が合わず、紹介が今になってしまいました。それはボクの責任です。このお二方には実験を手伝ってもらい大きな成果を得られました」
何かと偉そうなオージーが小さくなって額には汗をかいている。
「大きな成果、ねぇ」
あらかたの情報を理解したのか、書類を机の上に放ると
「こんなしょぼいデータでいいと思っているのかね。オージー。これは理想的ではないのだよ。お前はまだ条件を変えてから一回しかしていないだろう。そんなものはデータでもなんでもない。それでは町の馬の尻とやっていることが何一つ変わらん。いや馬の糞だな」
「……はい」
つばを飲み込んでオージーは答えた。グリューネバルトは表情を変えない。
「一度の実験でビブリオテークにだそうなんて甘い考えはするな。いいな。明日まで。いや週末までに回数をこなしてデータにしろ。おまえたちには時間が無い。手伝わせてるなら実験者として扱う。馬車馬のごとくやれ。いいな? お前だよ、そこの名前も知らん男」
「はい」
呼ばれているのが俺だとわかると思わず、上ずった声で返事をしてしまった。それに一瞥をくれると「さっさとやれ」と手で追い払われた。
部屋から出ると四人とも緊張の余韻の中にいた。張りつめていた糸はいきなりほぐれることはなく、出てからもしばらくは張っていた。
人は違ってもまるで教授に怒られたときと同じだ。話が始まる前から徐々に張りつめだして、話の途中は最高潮に張りつめて、皆はい以外に言うことはできず、終わってもなおそれに支配される。
誰も話を始めることなく、オージーに無言で廊下へ案内された。
途端に緊張感から解放されたアンネリがうわごとを言いはじめた。
「にゃああ、イッヒヒヒ」
オージーが近づいてそっと肩を貸すと寄りかかり脱力して眠った。
「イズミくん、カミーユさん、今日はお疲れ様。いや、申し訳なかった。今日は解散にしよう。アンネリが辛そうだ。明日また来てくれ」
その後、俺とカミュはアカデミアを離れストスリアの町へ戻った。
皿の端に集まってしまったバジルをパスタに混ぜてカミュは再び食べ始めた。
「私はあのデータの扱い方が気に入りません。私の性格のせいなのかもしれませんが、イズミが苦労して得られたデータをあのように変えて扱われるのが気に食わないのです」
「確かに、そうだけど」
俺は大学にいたころを思い出した。大学院生は毎日データを急かされていて必死になっていた。雑用や学生講義、実習の準備や手伝いやそのほかのことで追い詰められている中のわずかな時間の中で院生たちは実験をしていた。
その姿を見ていると、結果を出し未来へ発展のバトンを渡したいという夢見がちではあるが壮大な目的はどこか遠くへ追いやられて、ただ怒られたくないという目前に迫る恐怖を回避するためだけに実験をしているような印象を受けた。中には学位さえ取れればいいという院生もいたが、それでも極限まで追い詰められていた。そしてこぼれていく水のように仲間たちは減っていった。
日々ボロボロになっていくのを傍で見ていて、もしかしたらある程度は仕方ないのではないだろうか、と思ってしまっていた。たまにする手伝いでとてもいいデータが出たときに、それを彼らがどう扱おうと許せてしまいそうだった。
現場から遠くに離れているからこそ言えるのだが、それは絶対に許されるものではない。紛れもない研究不正だ。
「イズミは許せるのですか?」
「そういうわけではないんだよ。でもなぁ」
カミュに大学時代の話をしてしまおうか。しかし、異世界の話を何もない知らない人に説明するのは難しい。
わかり辛い説明でカミュを悩ませたくないので、彼女の意見を聞くことにした。
「カミュ、どう思ってるかを教えてよ」
「そうですね。私は、私の実家は銀行業をしています。それ故に記録やそういったものに関してはかなり厳しく育てられました。顧客からお金を預かる以上、1でも間違えるわけにはいきません。そのようないい加減なことをしてしまったら信用を失ってしまいます。もし万が一間違ってしまったならば、それを直ちに顧客に真実として伝え、解決しなければいけません。それは同じようにデータを扱う実験でも同じことが言えるはずです。データをきちんと扱うことで結果に信用される。それによって正しい結果を得られる。もし間違っていたならば、間違っていることをきちんと明らかにして解決策を導く。データをきちんと扱えなければ、結果には信用されないので得られるわけもないと思います。それどころか結果にすら到達しません」
確かにそうだ。
ただ、彼女にないのは『融通』なのだ。融通とは難しくて、どこまで利かせて大丈夫なのかの見極めが非常に難しい。
融通を利かせて、数値を変える。はっきりとしていないこの一言は、内容次第ではねつ造にもなるし、そうならない場合もある。強固な信用の上に成り立ち、疑わしきは排除せよ、というそれこそ融通の利かない彼女の信念の前ではその言葉は間違いなくねつ造にしかならないのだ。
AはBだから、そのAをCすれば結果はDになるだろう、と言う仮定をして研究は始まる。その仮定の中での結果は正しく、なおかつ求められる結果だ。しかし、正しい結果へ導く融通と求める結果へ導く融通は違う。では、正しく求められた結果とは一体何なのだと考えると混乱が起きる。そうなるといずれにせよ、融通はどこかに出てくるのだ。確かにカミュの言うことは正しいが、一つだけ間違っているとしたらそこだろう。
「もしもの話だよ? 決められた期限までに偉い人にデータを出さなければいけないとする。そして求められたデータでなければめちゃくちゃ怖いその偉い人にめちゃくちゃ怒られるとする。それこそ人権剥奪レベルにね。でも時間が無い。実験をしているが欲しいデータが一向に出ないとなったらどうする?」
「もしも、と言うよりほとんどオージーたちと同じですね。私たちの場合、データが出ないということを報告しないほうが怒られます。出ても出なくてもそれをすべて報告します。いわずもがな、そこでいい加減なことをしたら失業します」
俺は何も言えなくなった。
カミュの言うことは正しい。出ないなら出ないなりに報告をするべきなのだ。しかし、学術業界は成功の取り合い競争の世界だ。失敗しました、とか、実はありませんでした、なんて論文は学術の根底を揺るがすほどの内容、たとえば相対性理論を否定するようなもの、でなければ出しても意味がないのだろう。
学術界はチャンピオンデータやうまくいったことだけを積み重ねて成り立つ輝かしい世界なのだ。
と、ろくに実験もしたことのない人間が難しいことを考えても仕方ないのだろうか。
「俺たちはどうすればいいと思う? 内容も具体的に理解できていないうえにただ実験を手伝うだけの俺に何ができると思う?」
俺たちがその論文に何番目かの著者として名前が載るならば、その理解できていない状態は完全にアウトなのだが、ここは日本ではないのでそこは考えないでおこう。
「悩ましい、ですね。データの持ち主も扱うのも、そしてこれからにそれが響くのも彼らだけですから。私ならはっきり言ってしまうと思います」
「そうだよねぇ。どうしようか」
「唸っていても仕方がありません。実験はこれからも継続して行うので、その間に考えましょう。そしてイズミは療養中です。しっかり食べてください」
そう言って残りのパスタを食べはじめた。
食事の後、少しばかり街を散策をしたあと、西日が傾いた頃に解散した。
読んでいただきありがとうございました。