逃避行 第十四話
雷鳴のように現れて、同じく雷鳴のように去って行った老婆の言動に混乱させられながらも、無人街に戻った不気味なはずの静けさに安堵を覚えてしまった。
「あれが例の……。だいぶキてるな……」
ブルゼイ族のお姫様であることは気になるのだが、第一印象があまりにも強烈でそれが気にならなくなってしまった。
アニエスもどうやらそのようだ。背中を見つめながら手のひらで口を覆っている。
「すごい変わってますね。とにかくこれからどうします?」
柱と一部の壁だけの家に歩み寄り、残った壁材に手をつけた。壁の石はまるで誰かが生活のために削り出したようなものではなくなり、ずっと昔からそこにあったかのようにひんやりとしている。
「直しちゃおう。これじゃ住めないから」
まず二人で壁材の石を集め始めた。崩れている石たちはもともとこの家を形作っていた物かはわからないがとにかく手当たり次第周りにある石を集めた。
石だけでは作り上げることはできないので、それを支えるための柱の材料も近隣の家の物をお借りすることにした。
そして、二時間ほどで積み上げた山のような材料を使い、まだ形の残っている他の家を参考にして立て始めた。魔法とはなんと便利なものか。
魔法を駆使して家を修理していると、アニエスが話しかけてきた。
「そういえば、ご飯とかどうします? 召使いしろみたいなこと言ってましたけど」
「放っといていいんじゃない?」
そもそもなぜあの偏屈者の指示通りここに住まなければならないのだ、と思いつつそう吐き捨てた。しかし、アニエスは寛容なことに「それ冷たすぎです」と口をすぼめた。
「それに私たちも食材が無いですよ。調理しろってことは食材はあるんですよ、きっと。使用人を食べさせられない主人は恥曝しみたいなものです。召使いといった以上、私たちも食べられますよ」
微笑みながらそう言ったアニエスを見ていると、自分が小さい人間のように感じてしまい、恥ずかしくなってしまった。
「ご、ごめん」
情けなく謝ると、アニエスは口を押さえて小さく笑った。
日が暮れ始めた頃には家ができあがった。
石を積み上げ粘土で隙間を埋めて、落ちていた窓をはめ込み、むき出しに放置されていた埃だらけの薪ストーブを運んで設置した。ベッドも廃屋から借りることができた。
少々面倒くさかったが、二人でそれぞれが得意な魔法を駆使して水の確保もできた。即興で作った割に本格的な家することができたのだ。魔法とはなんと便利なものか、改めて思った。
家づくりが終わると先ほどの老婆を探した。家から村側に戻ったところを少し探すとすぐに見つかり、召使いにするというなら料理はすると言ったところ、かなりの量の食材を押しつけてきた。
早雪の蓄えのことを考えていないのかと尋ねようとしたが、ふんがと鼻を鳴らすとすぐにまたどこかへ消えて行ってしまった。
アニエスは甲斐甲斐しく料理し、さらに拾って使えそうだった器を綺麗にしてそこへ盛ると老婆に渡したいと言い始めて探し始めた。
またしてもすぐに見つかったのでトレーを渡すと、受け取るとふんとあしらわれてしまった。
それから数日間、一日一回の食事を届けるような生活が続いた。食料も節約しているため一日一食が限界だった。食事を運ぶとき以外は何かを言われることはなく、静かに過ごすことができた。
一度だけだが、真夜中に家のドアを思い切り杖で叩かれて起こされたことがある。
夜中にアニエスと狭いベッドで並んで寝ていると、誰かがドアを棒か何かで叩いている音が聞こえた。襲撃かと思い驚き目が覚めたので急いで服を着て、二人で杖を持ち構えると外から何か話し声が聞こえた。聞こえづらいが耳を傾けると、それはあの老婆の声だった。
「あんたたちぁ旅の僧侶なんだろ! ケガしちまったから治しておくれ! ケガ人がいるんだ。夜も昼も関係なしに治療するのは当たり前だよ!
それに私はお姫様だ! 治せなかったら承知しないよ! 痛いってのにこっちから出向いてやったんだから、放っておいて良いわけないんだよ!
さぁ治療しな! やれ治療しな! 僧侶は治療することだけが生きがいで、喜んで二十四時間営業するのは当然なはずだよ! 休みなんてのはあっちゃいけないんだよ。断るなんてあり得ないよ!」
何やらとんでもないことを言っているのはわかった。アニエスと顔を見合わせてドアを開けると、顔を真っ赤にした老婆が杖を振り上げていた。
それからも何かをやんややんやと喚き散らしていたが、聞き取ることができなかった。本当にブルゼイ語でもしゃべっているのではないかと思うほどだ。
だが、肘からは血を流していたので、怪我をしたの本当のようだ。だが、それ以上にアルコールの匂いがしたのだ。
どうやら久しぶりに手に入った濃度の高い酒を飲み、思い切り酔っ払って転んで怪我をしたようだ。大したことの無いケガだったので治癒魔法で治し、痛みが取れると急におとなしくなり、何かの鼻歌を歌いながらご機嫌で自分の家に戻っていった。
そこでの暮らしはこれまでの放浪生活に比べて安定していた。
適当な時間に起きて、ヤシマの治療院へ向かい、ほとんどやってこない怪我やら病気やらの人をそこでダラダラと待ち、またしても適当な時間になると自分たちの宿へと戻る。
アニエスは少し先に戻り、老婆と自分たちの食事を作り、老婆に届ける。そして、二人で食事をしてその後は夜を楽しんで寝るのだ。
以前のような本当に何もしていない生活とは違い、治療院でモグリの僧侶をやっている分、精神的にも不安定では無くなった。
だが、疲れはたまるようだった。体の調子が思うように行かないときもある。足はパンパンに浮腫んでいて、アニエスが冗談でぐにと人差し指を押しつけると、その痕が戻らないこともあった。どうも怠惰な生活に慣れてしまっていたようだ。