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逃避行 第十話

 それでも俺たちは移動魔法を使わなかった。


 今は安住の地を求める放浪二人旅の途中だから使わないという約束以外にも、俺とアニエスの間には暗黙の了解があった。

 他愛も無い会話の折りに、話題がそれに近づいてくると「なんかさぁ」と言うような頭の悪い言葉の形で察し慮ることをお互いに強要した挙げ句、誤魔化してしまうのだ。


 なんか、などと曖昧な物ではなく、少なくとも俺の中でははっきりしていた。

 ククーシュカに対してと焚火での一件についてである。


 移動魔法を使ってククーシュカの来られないどこか遠く、例えば共和国(グラントルアからもさらに人里離れた田舎)に移動してしまえば、直接足で共和国まで来たことのない彼女は移動魔法のマジックアイテムを持っていたとしてももう追いかけてくることはできない。

 そうすることで、ククーシュカはおろか、北公からの追跡さえも不可能になり完全な高飛びが成立する。

 俺が掲げたあの砂糖菓子のように甘い理想を実現の物とするためには、そうするのが最も早い方法のはずなのだ。


 しかし、それを俺は意地でも言葉にしなかった。頭の中にあるイメージでさえ、言葉で再現することを拒んでいた。


 そして、もう一つの方についても同じように誤魔化していた。

 焚火での襲撃以降、俺はあのときアニエスが言ったことについて話す機会は無かった。アニエスの気持ちは嘘偽りなくわかったのだが、それについて切り出す勇気が無かったのだ。

 また話せばアニエスは許す。例えそれが心からで無くても、彼女は許してしまうだろう。それに俺はまた甘えるのは間違いない。

 死にかけたとき、それから焚火のとき、一度目はアニエスの中ではなかったことになっているが、俺にとっては二度も聞いたアニエスの気持ちに対して、明確に答えず過ごし続けているのだ。

 そのたった一言の答えに抱く恥ずかしさ、気まずさから切り出すことができずに悶絶し続けていた。


 アニエスも同じだったのは間違いない。

 話になりそうになると「なんか」と誤魔化した俺に、目を閉じて表情を隠すようにしながら愛想笑いしかしないのだ。会話はいつもその愛想笑いで終わる。

 そして、再び旅を始め、歩いては走りを繰り返すのだった。



 野宿と安宿を転々として雪の森と平原、凍てついた川をいくつも駆け抜けた。

 目的のない道中を進む俺たちを目的にするククーシュカは、あれほど安静にしろと言ったにも関わらず時々襲撃をしてきた。

 止めろと言って止まるような性格でもないのは知っていたが、それでも遭遇のたびに安静にしろと言い続けた。

 彼女はとにかく強いと思っていたが、武器頼りにしていたところがやはりあるようだ。力はないが速さと関節技を組み合わせるアニエスとはとても相性が悪い。

 狙いはアニエスであり、強いアニエスのサポートに入るのはかえって邪魔にしかならないのだ。

 アニエスが戦い、ククーシュカの関節を外して、その隙に逃げ出す。俺はただそれを見ているだけ。なんとも情けないものだ。


 繰り返される襲撃。


 疲れていくのは俺たち二人だけではない。ククーシュカも疲れ果てていくのは目に見えていた。痛みを与えられるのはいつもククーシュカばかり。

 痛みに耐える辛そうな顔、孤独にされるときの悲壮に見た顔。俺は見ていられなかった。

 会うたびに痛みは白く重たく彼女の背中に積もっていく。戦うことでそれが少し払われているような、でも戦いが終われば戦いが始まるとき以上に彼女の背中に積もっているような、その姿は見ていられなかった。

 たまに遭う彼女の目じりには汚れが付き、度重なる雪と泥水で赤黒いコートは汚れ、まるで涙を流してもひたすらに立ち向かってくる女性を邪魔者扱いして追い払っているようだった。


 だが、南東方向へひたすらに歩みを進めるうち、次第に襲撃の頻度も少なくなっていた。それには少しだけホッとしたのだ。

 ただ襲撃に遭わなくていいというだけでなく、孤独と戦いながらも追いかけてくる辛そうなククーシュカの顔を見なくて済むからだ。

 疲労、襲撃、モヤモヤと抱えた負の感情、そのせいでアニエスとの言葉数も次第に減っていった。南東方向は果てしなく広い。

 移動魔法を使っていれば一瞬ですらない距離を進むために何日も何日も歩かなければいけなかった。

 広く長い分、沈黙の時間も長く辛い物になりつつあった。


 領地を跨ぐ際には許可が必要だったりそうでなかったりと領地によりけりのようで、厳重な壁から、腰の高さも無い程度のただの石堤などさまざまな領地の境界を乗り越えた。

 もちろん関所があろうが無かろうが、すべて無断で乗り越えている。

 そして、気が付けばいつしか北公の暫定領土から出ていたのだ。経由したいくつかの町や村で長く滞在することはなかったが、ククーシュカの襲撃もだいぶ減ってきたので俺たちはある村で立ち止まることにした。



 よく乾いた曇りの明け方。

 遠くまで開けた平原は僅かにうねり、その丘とも言えないほどの隆起の上に立つと、水平線と交わりかすんでしまいそうな辺りに村が見えた。

 こんもりと小さくまとまった冬の森が散見し、さらにその先に木と石と茅葺き屋根の建物が並び、そのほとんどが平屋であるが一つだけ背の高い建物が見えている。


「あそこで知り合いが治療院をやってるんだ。いったんそこに寄ろう」


 そこはクライナ・シーニャトチカと言う村で、ヤシマとその彼女のいる村なのだ。

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