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逃避行 第八話

 だろうか、などと連語のだろうに終助詞を付けて不確定なことにして誤魔化しているだけだ。もはや疑問でも何でもない。


 間違いなくそうなのだ。俺はアニエスを都合良く弄んでいるだけなのだ。


 俺はそれを心の底に沈めて、無視し続けていた。いつしかそれは大きな氷の塊なっていき、浮力に耐えられず水面に頭を出しては自らの存在を気づかせようしていた。

 ククーシュカの言葉によってついにそれをむんずと鷲づかみにされ、目の前にすべてを晒された。


 思い起こせば寒気がする。


 分離不安気味だった彼女が心に平穏を取り戻し、俺から離れられるようになったのではなく、距離を取りたかったのではないだろうか。

 シャツをお守り代わりにしているから傍にいなくても大丈夫になったと都合のいいように捉えていたが、彼女がはっきりとそう言ったわけではない。

 無理やりに行為に及ぶことを止めようとしない俺をただ怖がっていただけなのではないか。


 彼女は家族を失った。身寄りのいない彼女にとって俺は最後のつながりだ。

 だが、その最後に残った俺はどうしようもないクズで、それでも彼女は孤独になるのを恐れたから、その歪んでいて暴力的で一方通行な俺に弄ばれていても無理に付き合っているのではないだろうか。


 俺は最悪だ。アニエスの孤独を理解したふりをしていただけなんだ。


 自らの杖はこれほどまでに重たかっただろうか。杖の重さに耐えきれずに地に引かれ降りていく自らの腕が視界に映り込んでくる。


「あなたは私とくればいい。北公の連中は私の敵。追ってきても蹴散らす理由が私にはある。今すぐその赤いのを片付けるから、少しどいて」


 意識が遠のいていたのか、はっと顔を上げるとククーシュカが目の前にいた。

 彼女は銃の砲身を持ち、左足を軸に体をひねらせるとバットの部分を大きく振りまわした。回転する力も利用して俺を吹き飛ばそうと脇腹を狙っている。

 俺は避けられない。このまま殴られて、気に頭をぶつけて意識を失えば、アニエスは殺される。それでも、俺は身体を動かせなかった。


 しかし、そのときだ。


「させない!」


 誰かの大きな声がすると、すぐ横から氷の塊が飛び出して銃を大きく弾き飛ばしたのだ。弾かれた銃はくるくると宙を回り、雪の上にどさりと落ちた。

 直後に肩を強く押されるような感覚に襲われ、それによろついていると「イズミさん、しっかりしてください!」と杖を掲げたアニエスが目の前に立ちはだかりじりじりとククーシュカに迫っているのが見えた。


「そんなことに惑わされないでください! 私がどう考えてるかなんて……」


 アニエスが言いかけたところでククーシュカは目にもとまらぬ速さでキンジャールをコートから取り出し、両手で構えた。


 左手は前に突き出すように構え、右手は顔の前を覆うようにしている。たちどころにふくらはぎが膨らむと同時にアニエス目掛けて突進した。

 アニエスはすぐさま杖を横にして左手の刃を受けた。ククーシュカは右手の刃で首を狙おうとしたのか、一度手の中で回転させ刃を外に向け振り下ろした。

 アニエスにククーシュカを押し返す力はない。だが、刃が食い込みククーシュカ自身の力で動かなくなった杖を軸にしてアニエスは足元に潜り込み、股の間に足を通し膝をかけた。


 うまく入ったのか、ククーシュカは青白い髪を大きく翻しながら雪の上に倒れ、右手の刃は手から滑り落ち、雪の上に刺さった。

 だがそれでアニエスは止まらず、刃が食い込んだままの杖を放り投げると左手でククーシュカの右足を掴み外に向けた。

 スカートがたくし上げられ露わになったククーシュカの黒いボトムスに、アニエスは左ひざを付けて軸に大きく回転し、さらに中腰になった左足を中に入れた。そして右足をククーシュカの右足首を抑えると抑え込んだのだ。

 しかし、すぐさまククーシュカは体を返そうとしたのでアニエスは離れ、「そんなのどうだっていいんです!」と膝をつき肩で息をしながら苦しそうに声を上げた。


 ククーシュカは雪の中で起き上がると、足を確かめるように動かしている。

 足に問題がないとわかると、落ちていたキンジャールをゆっくりと持ち上げた。そして、左足を前、右足を後ろに大きく開き、やや長めの短剣であるキンジャールの背に手を添え低い姿勢で構えた。

 アニエスも放り投げた杖を持ち上げ、石打を天に向け中間と持ち手を持った。だが仕草はゆっくりとしていて、まるで隙を見せているかのようだ。

 しかし、ククーシュカは踏み込まず、アニエスが構え終わるまで待っていた。


 俺は何が起きたのか、わからなかった。しっかりしてください、と言うアニエスの言葉が頭の中で響くと、まるで意識が戻ったように世界がはっきりと見え始めた。


 そうだ、二人のやりとりにおいていかれぼんやりと尻をついて見守っている場合ではない。

 ククーシュカはアニエスを殺そうとしている。アニエスは防戦だが、致命傷を与えられないわけでは無い。それに興奮すると自制心が効かなくなる。どちらかが傷つく前に俺が止めなければ。


 しかし、いざ止めに入ろうと手を伸ばした瞬間、ククーシュカの足が震えて雪と土を蹴り上げ、キンジャールでの突きを繰り出そうと走り出した。アニエスは敵意に応じるかのように同時に姿を消した。


 あの魔法を使ったのだ。


 攻撃対象が突如姿を消したことに警戒したククーシュカは、すぐに前に出ていた右足を雪の中に潜らせて勢いを殺し、体を回して止まった。

 そこへアニエスは右に左に土埃を上げククーシュカへと目にもとまらぬ早さで近づいていく。それを目で追うククーシュカだが、追い切れなくなると同時にアニエスの杖を左脇腹に受けていた。


 ククーシュカは体を大きく「く」の字に曲げて足は宙に浮いている。アニエスの杖打撃はククーシュカの左脇腹に吸い込まれるように入ったのだ。

 アニエスは俺との戦いの最中は手加減をして、殴る直前に魔法とを解いていた。しかし、今の速さは目で追うことが出来なかった。アニエスはククーシュカを加速したまま、殴ってしまったのだ。

 ククーシュカには致命傷になってしまう。止められなかった。


 だが、ククーシュカは宙で大きく足を開き、右足を軸に身体を回転させると勢いを殺して、左足で雪を蹴り上げながらしっかりと立ち止まったのだ。


 そして、表情を変えずにまだ左脇腹付近にあった杖に手を伸ばすと、


「あなたの魔法、効かないみたいね」


 と低い声で囁いた。

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