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逃避行 第三話

冬夜の友よ。(エイン・フェンダー・)酒がうまい。(ヴィンタナフト・ゴー)雪が降ろうと(ズィスト・ブート ア)も僕らのノル(フ・エス・シュナイト)デンヴィズ。(・ウンザー・ノルドン)愉快な良い街。(ヴィズ アイナ・アン)愛がないな(グニーム・ウンド・グ)らここへおいで(ータ・シュタット)……”


 豪快で笑っているかのような歌声とそこに混じる口を押さえたような女性の笑い声、軽快にテーブルを叩きリズムを刻む音、やたらときつい食べ物の匂い、魔力スチームストーブの熱気。凍り付いた窓は枠の角を結晶で丸く飾っていた。

 遅い時間でもあるにもかかわらず、食堂では常連たちが大騒ぎをしている。


 その騒ぎから離れた窓にほど近いテーブル席で、向かいに座るアニエスは色味と量は少ないが匂いだけはやたらと強いパスタをつまらなさそうにフォークでつついている。早雪のせいで量が少ない分を、強い香りで補っているのだ。

 先に食べ終わっていた俺はカップの底が見えてしまうほどの色合いのコーヒーを飲んでいた。

 色と同じく味も薄いが、申し分ないほどに苦みがある。きっとうまく淹れてくれたのだろう。

 背もたれに頭を載せて窓の外を見ると、霜の張る窓越しに濃紺に塗られた夜の街と僅かな街明かりを照り返す灰色の低い雲が見えている。


 早雪と噴火による悪天候の中、こういった食堂で出されるものはどことなく貧相なのだ。だが、厳しい状況にもかかわらず店を営業していて、温かい食べ物を提供してくれるだけでありがたい。

 カウンターや他のテーブル席で歌を歌ったり、大声で談笑したりする他の常連客は皆とても陽気だ。

 提供される食べ物の量も質も俺たちさして変わらないが、そこまで盛り上がれる理由は、常連と言うよりもほとんど身内のような彼らにとって食べ物の量や質は重要ではなくこの場所にいて仲間と時間を共有することで充分だからなのだろう。


「女将、そういえば知ってるか?」


 思わず漏れたあくびを遠慮せずに長く大きくしていると、歌声に混じっていない低い焼けた男の声がしたのでカウンターの方へ首を回した。


「あのイズミとか言う例のあの怪物みたいな見た目の男がこの街に出入りしているらしいぞ」


 カウンターでは髭面の見るからに職人の顔をした男が初老の美人女将と噂話をしている。

 ああ、俺たちの話か。街の噂では、俺は赤毛で赤い目で、身長は230センチ、裸の上にサイズの合っていないボロボロのフロックコートを着た男という完全に怪人として流れている。バレてはいないだろう。

 男は酒が薄いと文句を言いながら、迷惑そうに顔をしかめ腰に手を当てている女将に絡んでいた。


「聞いたよ。怖いねぇ。やだわ、世の中物騒になったもんだねぇ」


 そのとき髭面の男はふとこちらへ振り返った。話している二人を遠巻きにぼんやり見ていた俺は、男とばっちりと目が合ってしまった。

 男は身体をよじり椅子の背もたれに肘を載せ、俺とアニエスの方へ体を向けている。


「おれたちゃ仕事の関係であんまり家の外をうろつかねぇが、兄ちゃんら、旅のモンらしいけど気を付けろよ? イズミとか言う怪物に喰われちまうぞ! ははは! なんてな!」


「うるさいよ。まだ若い兄ちゃんたちじゃなくて、あんたが喰われちまいな!

 あんたなんか喰えば、イズミだってたちまち腹を壊しておとなしくなるんじゃないのかい?

 おっと、喰われるならツケを払ってからにしな! 勝手に死んだら末代まで祟ってやるよ」


「ははは! なんだぁ、女将は心配してくれるのか! 安心しろよ。言われなくてもおれがその末代だからな!

 な、なぁ女将、なんならおれとか、家族になろうぜ? そろそろ考えておくれよ」


「こいつときたら……。あんたはツケをチャラにするために、この店の店主と結婚するつもりかい? 兄ちゃん達みたいに毎回きっちりお勘定払ってほしいもんだよ」と美人の女将は額に手を当て首を左右に振っている。その答えに男はがっくりと肩を落とした。



 俺とアニエスは町外れの店へと通い詰めるうちに常連となっていた。

 最初はよそ者を見るように白々しい対応をされていたが、今ではすっかりいるのが普通になっている。

 そこで常連面をして横柄な態度をとるのは性に合わず、何よりあまり目立ちたくなかったので、話しかけられさえすれば話はするがこちらから積極的に話に入ることはない。


 そのような中で、話しかけてくるのはだいたいいつもその男だ。


「ははは、そうですね。気を付けます」


 面白い話をしていることもあるが、それはさすがに笑えない。俺とアニエスは二人して愛想笑いを返した。


「だがなぁ、話はそれだけじゃないらしいんだ」


 カウンターのツケが溜まった男は椅子の背もたれに腕を載せたまま、女将と俺たちを交互に見ながら話をつづけた。


「なんでもイズミを探している女がいるらしいぞ。そいつも大概不気味でさ、赤黒いコートで街中をうろついていて、イズミを見ていないかとあちこち聞いて回っているらしい。

 だが、これがまたエラいべっぴんさんらしい。騙して連れ込もうとした奴を半殺しにして路地裏に捨てていったそうだ。

 なんでも、そいつはイズミに親を殺されたとか、好き放題弄ばれて捨てられたとかいろいろ噂があるらしいぞ。復讐のために探してるらしい」


「あんな化け物に復讐しようだなんてすごい度胸じゃないか。

 なんならいっそのこと、早いとこ見つけてさっさと殺しちまってくれりゃあいいのにね。早雪で気持ちも落ち込んでるって言うのに困ったもんだよ」


 女将は男に色の薄いエールのお替りを出しながら驚いている。男は出されるや否や大きく飲みこんだ。


「バケモンの癖にイイ女弄ぶとか、ズルいよなぁ、ったく。でも、その女ってのが美人なら、一度会って協力してやりたいモンだぜ」


「アンタみたなブッサイクなんざ、目が合っただけで半殺しにされちまうよ。生きてられるだけマシさね。髭なんかそのイズミより濃いんじゃないかい?」


 他の男たちが大声を上げて陽気に笑っている。

歌詞はなんちゃってドイツ語で、正しいドイツ語ではありません。

ドイツ語を参考にして作った、中央残留・向陽語族エノクミア語の強烈なノルデンヴィズ訛りで歌われています。

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