僕たちの失敗 第十話
《グロテスク描写あり》
一般的なグロ閾値がわかりませんが、極端に低い方もいると思うので最初にお伝えします。
「昨日、暗くなり始めた頃にお嬢のパン屋が突然燃えだしたんだ。
とんでもねえ強烈な爆発音がして回りの家の窓ガラスもバンバン割れて、すぐにパン屋から黒煙が壁を這い上がるみたいに上がってった。
最初はただ火事かと思ったんだが、熱量が薪や油ぐらいで出せるようなモンじゃなくて、煙の臭いも金属を焦がしたみたいなツンとするようなもんだったんだ。
様子がおかしいって村人が集まりだしたら、出火直前に黒いローブの見るからに怪しい連中が散るように去っていったのを見たって奴が何人もいたんだ。
そんで、とにかく消せってことで消火作業を始めようとしたら、村の外っ側の建物からいっぺんに火があがったんだ。
そっちの火の回りもバカに早くて慌てて消火してたんだが、路地やら道やらを塞がれるように炎が上がってるのは間違いなく襲撃だって定期的に村に買い付けに来てたトバイアス・ザカライア商会の商人の男が騒ぎ始めたから、村人は避難したんだ。
でも、避難の途中でその商人は行方不明になっちまった。んで、探しに来たんだ。協力してくれたから礼の一つでも言いたかったんだが……」
やや肩を落とし気味に語った男の服は、よく見れば灰や煤が付いているだけで焦げてチリチリになっているわけではない。
言われてみれば、確かに漂うのは煤の臭いだけだ。街全体が焼かれれば嫌でも漂うはずのあの匂いがしない。
かつてエルフを焼き殺したときに嗅いだ、火事場の焼死体から放たれる強烈で、元は代謝を回し続ける生物の体の一部であったことを何日も思い起こさせるべっとりと鼻の奥にこびりつくようなあの硫黄の悪臭が全くしない。
髪の毛一本でも匂うほどで、一人でもその状態になっていれば顔を背ける前に吐き気を催す凄まじい匂いを発するはずだ。
それに肌にべたつくような脂の感覚も無い。
そして何より、日本にいた頃受けた法医学の講義で見た焼死体、例えばうずくまるようなものや、上半身だけ焼け残り断末魔の表情がはっきりと残したような死体を一つも見かけていない。
もしかしたら、住民はほとんどが無事なのだろうか。犠牲者がいないと思って良いのだろうか。
だが、ひとまずそれはおいておこう。それよりも黒のローブに俺は心当たりがある。
「黒いローブ……。もう少し具体的に教えろ!」
思わず男の胸ぐらに掴みかかってしまった。すると、男は困ったかのようになり、両手を前に突き出してきた。
「おおい、落ち着けよ。具体的って……、見かけたのはお嬢のパン屋から出火した直後だけで、あちこちで火があがってからそいつらを見た奴はいねえから、黒いローブを着て小さい穴の開いた仮面をした連中だったって話しか分からねぇ。
だが、見た奴らの話ではみんな同じ格好だって言うから、その姿は確かだ。閣下の支援部隊がこれから来る。あの商人にも証言して貰いたかったが、どうやら厳しいみてぇだな」
冷静にならなければと思い、目をつぶり息を吸い込んで男の胸ぐらをゆっくりと放した。
男はほっとしたように襟を正している。
「乱暴にしてすまない。その見た目に思い当たる節があるんだ」
間違いない。聖なる虹の橋だ。紛れもなく連盟政府の手によるものだ。
理由は深く考えなくてもわかる。モギレフキーベーカリーは北部離反の首謀者カルル・ベスパロワを保護隠匿し、さらに離反の本拠点となった場所だ。
村全体に被害が及んだのも、カルルさんを匿ったのは村全体で行っていたからだ。反逆者を庇ったが故に焼き討ちされたのだろう。何故目立つように姿を見せたのか。言うまでもなく見せしめに違いない。
「おい、あんた。これは連盟政府の仕業だぞ……」
「父は……、母は……、父と母は無事なんですか!?」
アニエスが立ちあがり俺の言葉を遮るようになると、今度は彼女が男に詰め寄った。
男はしまったと気まずそうな顔になり、「すまねぇ……」と首を右下に向けて視線を逸らした。
「最初にここで火があがったとき、ものすごい熱量で誰も中に入れなかったんだ。かなり高度な魔法で焼かれたみたいなんだ」
「でも、でも」とさらに詰め寄ると、男はアニエスの勢いに一歩一歩と後ずさってしまった。
「言いてえこたぁ分かる。でも、何も見つからねえんだ。ある程度鎮火した後に探したんだが……」
見開いていた目がさら大きく開かれ、瞳が揺れて輝きだした。すぐさま顔を伏せると、「そうですか……」と囁いて下を向いた。
「とにかく、お前もお嬢も早く逃げたほうがいい」
「私は……少しここにいます」
「そうか。だが、残念だがおれたちもだいぶ探し」と言いかけた男をアニエスは紅い瞳を燃え上がらせるようにして思い切り睨みつけた。
男は気圧されて気まずそうに首を下げると、急いでいる風を装いながら左右を見回した。
「おい、お前、お嬢を頼んだぞ。恋人なんだろ?」
まだきちんと伝えたわけではないが、この際既成事実にしておこう。俺は大きく頷いた。
男は口をへの字に曲げた後、
「お前のこと信じて言うが、村人が集まってる場所は村人だけの秘密なんだ。
ホントなら教えたくないが、その場所はお嬢に聞けばわかる。みんなはそこで閣下の支援部隊が来るのを待ってんだ。
悪いがおれは先に行かせてもらう。商人がいないか、もう少し探して俺は戻るぞ」
と言った。
「ああ、任せろ。俺が責任を持って守る。その商人が見つかると良いな」
俺が頷くのを見ると男は駆けだし、「お嬢を泣かしたら承知しねーぞ」とまだ弱い煙が立ち上るがれきの中へと消えて行った。