スワンダーフォーゲル 第一話
ここからはアカデミー編です。
ストスリアからの馬車の中にいた。
ガタガタ音をたてる客車というよりもほとんど荷台に乗っているような感覚だ。道にある石を踏んでいるのか何度も大きく揺れ、端のほうには藁が無造作に置かれている。隣に並んで座るカミュは何度も体勢を直していてお尻が痛そうだ。向かいには眼鏡をかけた背の高い男とさきほど乱入してきた女が座っている。男のほうは真面目そうな顔をしていて、女のほうは腕を組んだまま俺たち二人を睨みつけている。
「訓練中に勝手に入ったり、いきなりアカデミアまでついてきてくれなどとお願いしたり、色々と申し訳ない」
その真面目そうな男性はアウグストと名乗った。さきほどの爆発のあと現れた女性を追いかけてきた男性だ。
「いえ、俺たちはまだ治療中で、それが終わったら忙しいですが今のところ少し余裕はありますから」
「身元も定かではない人に安易についていくのは感心しませんが」
カミュが警戒をしている。また寄り道になってしまって申し訳ない。
「いや、すまない。さきほどの爆発は無視できないものでアンネリも気になったようだ。改めて自己紹介だ。ボクは学徒錬金術師のアウグストと言うものだ。こちらの女性はアンネリ。同じく学徒錬金術師だ」
腕を組んで睨み付けていたアンネリは、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「申し訳ない。彼女は昔からこんな感じなんだ」
愛想の悪いアンネリに少しうんざりしているようだ。怪しむカミュはアウグストを睨みつけて聞いた。
「私たちをどこに連れて行く気ですか?」
「そういえば、ストスリアの町にフロイデンベルクの建物ありませんでしたっけ?」
アウグストはため息を漏らすと、しかめた顔をして額に手を当てた。
「あそこもキャンパスだ。キャンパスではある。が使っていない」
そういえばストスリアにあったフロイデンベルクアカデミアの建物は、人の出入りは見受けられないので使っているような気配はなく、新しいものではないが使い込むことで積み重なる年季というのか、そういうものが全く感じられなかった。
アンネリは組んでいた手をほどくと、
「あーんなもん、張りぼてじゃない。作るだけ作って触らせないなんて、もったいないに決まってる!」
睨み付けていた視線がさらに鋭くなっていた。
その建物がある限り、フロイデンベルクのキャンパスはストスリアにある、と言うのは事実だ。もし新入生説明会やオープンキャンパスのようなイベントがあるならば、きっとその時だけ活躍するのだろう。学校や企業が地名のブランド力を用いるのはここでも同じなのだろう。
成田にある新しい東京の国際空港、千葉の袖ヶ浦にある東京のドイツ体験村、住所は三鷹市なのに世田谷や杉並と名のつく建物、そのほかいろいろと似たようなものだろう。
「ボクたちは錬金術の研究をしている。書き上げた論文がどこかのビブリオテークにアクセプトされれば卒業できるのだが、いかんせん実験がうまくいかなくてね。そこで、ボクたちの研究を手伝ってもらえないだろうか。具体的な内容についてはアカデミアについたら話す」
幌をから少し顔を外にのぞかせると、ストスリアから見えていた山々の麓に近づいていて、大きな建物が見え始めた。ここがかの名門のフロイデンベルクアカデミアのようだ。
馬車から降りるとまず目に入ったのは大きな門だ。門の前には立て看板が並んでいる。自作の物のようで、『ストスリアの馬の尻は非論理的!』や『いざ立ち上がれ!寮自治権奪還セヨ!』や『求ム!エノレアの女子学生!』や『夜二十三時に寮生は窓を開けて叫べ!フロイデンベルク・スクリーム!』などと何か物騒なことが書いてある。
さすが名門だ。まるで○橋大学や京都大学の立て看を思い出す。
門をくぐると大きな中庭が広がり、そこの真ん中には大きな噴水がある。中庭の芝生は踏み荒らされて傷んでおり、それにも構わず学生か研究者と思しき多くの人が実験に使うよくわからない機械をいじくりまわしている。噴水も誰かが改造したのか、水の色が七色に変化し、水の出かたも不定期でおかしい。奇声が聞こえたかと思うと爆発音がしたり、目の前を何かが猛スピードで通り抜けて行ったりとその場にいるだけで疲れ切ってしまいそうだ。
雑踏と雑音の中を通り抜け、大きな時計塔のある赤いレンガ造りの大きな建物に入った。すると、建物内は外と違い静まり返っていた。外の明かりが差し込み、光が反射している廊下を奥まで進むと第5錬金術教室、と筆で書かれたテープの貼ってある木製のドアがあった。
開けると右にも左にも書類が山のように置いてあり、すさまじい埃の匂いが立ち込めている。
「通りづらくて申し訳ない。奥まで入ってきてくれ」
人一人しか通ることができず、アウグストが通った後に入ったカミュに続いて俺もその山の間に入って行った。
接客する場所がかつてあったのか、ローテーブルとソファが置いてあるスペースに通された。ローテーブルにもソファにも書類が置かれており、すぐには座れなさそうだ。
「汚くて申し訳ない。とにかくかけてくれ」
俺とカミュは何かをこぼした茶色いシミがついたほこりまみれのソファに恐る恐る座った。席に着くと同時に紙魚が手の甲に落ちてきてカミュが小さな悲鳴を上げた。
学徒錬金術師というのは学校を出て正式に錬金術師になった後、ここに入り研究をしている人たちのこというようだ。日本でいえば大学院みたいなものだろうか。
彼らの言うビブリオテークというのは日本で言うところの論文雑誌にあたるもので、提出した論文はそこで査読されて、内容の真正性や学術的価値などがアクセプトされ(認められ)、ビブリオテークに保存される。つまり日本でいうところの雑誌掲載されることをこちらの世界でも『アクセプト』というらしい。保存までの一連の流れには当然だがいくらかの金額が必要になるのは言うまでもない。
ちょっと前に日本で話題になった雑誌の評価に相当するインパクトファクターみたいなものも、この世界ではビブリオテークの数値的な評価としてあるようだ。日本の論文雑誌の評価は引用数によって決まるが、ビブリオテークの場合も同様に引用数と蔵書量に比例するらしい。知名度はあまり重要視されないが、やはり有名どころはある。この世界で引用数、蔵書量ともに多く知名度もあるビブリオテークは、魔術系では『アルカナ・チェル』、僧侶系では『パラディン』、錬金術系では『アルク・ワイゼンシャフト』というもので、そこに論文が保存されると名誉らしい。
ビブリオテークへの論文のアクセプトが卒業のノルマであるように、アクセプトはフロイデンベルクアカデミア、ひいてはありとあらゆる教育研究機関での雇用の条件となっている。たとえば、フロイデンベルクアカデミアでの研究員として雇用の継続ノルマは五年以内に筆者として3本以上といったものだ。それゆえよくないことも起きているそうだが、詳しいことは言わなかった。
論文の業界がややこしいのはこちらも同じようだ。筆者として名前が載るとか、手伝いとして二番目や三番目に名前が載るとか、ノルマ達成のためにギリギリのことをしているとか。アウグストが丁寧に説明していたが、途中から聞いていなかった。
そして、彼らの研究の大筋は『魔法の詠唱と発動の間』を調べるもので、長い間研究され続けているがそれは判明していないらしい。
「唱えられた魔法はその結果生じる効果によってしかそれが何なのかわからない。ひとえに魔法と言っても、炎熱系、氷雪系、雷鳴系、その他と原生民族に由来するほぼ失われつつある時空系のものといろいろあるが、最後のものを除けばほとんど変わらない。詠唱して効果が出る前の、その間に起きる変化に依存するに違いないというのが昔からの意見だ。ボクたちはそれをひも解きたい」
カミュと思わず顔を見合わせる。そして口を開けて彼の姿を見つめてしまった。何が何だかわからないのだ。
この世界の学術界の話ですでに混乱していた頭の中がますますわけがわからなくなった。
アウグストは困惑した表情を並べる俺たちを見ると、
「要するに、同じスタート地点から目的地に行くまでに馬車で行くか徒歩で行くかで着く時間が異なるだろう? ゼロとイチの間、そういうことだ」
と要約してくれた。
わかりやすくしてくれたのかもしれないが、それでもいまいちよくわからなかった。
理解しようと努めてはみたものの、やはりわからず結論を急いだ。
「それで、俺たちは何を手伝えばいいですか?」
「その強い威力をボクたちは利用したい。難しいことは要求しない。確かに威力の強い魔法を唱えるのは難しいかもしれないが、お願いできないだろうか」
簡単に言ってくれるな、と率直な感想はそれだ。病み上がりで、賢者になってからの戦闘経験のない俺がコントロールして強い魔法を行使することなどできるものだろうか。暴発する可能性もあるし、そもそも先ほどの規模の爆発も偶然かもしれない。あの一回でため込んでいた魔力とかをすべて使い切っている可能性も否定できない。
「少し、考えさせてもらえませんか?」
できる、できない、の問題ではなく、安全面を考慮すると安易に受けてはいけない気がするのだ。
カミュと話し合おうと横を見ると、口元に手を当て何かを考えている様子だった。呼びかけようとするとこちらに勢いよく振り向いた。
「イズミ、これはもしかしたらあなたの魔法の訓練とすることができるかもしれないです。私たちは治療中で軽度な訓練しかできませんが、その足しになることがあるならば有効に使っていくべきだと思います」
カミュの眼差しは鋭い。睨み付けるわけではないが力がこもっており、受けるべきだと訴えかけている。
確かにこの実験に参加することで魔法を使う機会は増える。訓練をすると本日から早速始めたが、今後の計画が一切立っていないのが事実で、何をしたらいいのかわからずぐだぐだと時間を浪費するかもしれない。第三者を関与させることで無理にでも予定を立てさえすれば話は違うのかもしれない。
しかし、一番考慮しているのは安全面なのだ。
面倒くさいかどうか。本当のところを言えば、面倒くさいことこの上ない。だが、それでは今まで何も変わらない。マイペースと言う名の停滞に巻き込まれる。
ならば、答えは一つしかない。
「アウグストさん、その実験やりましょう」
それを聞いたアウグストは目を大きく開いて笑顔になった。
「そうか! ありがとう。それからボクはオージーと呼んで構わない」
「ふーん、あんたたち手伝うんだ」
自分のデスクに戻っていたアンネリが顔だけをのぞかせている。
「アンネリ、これから手伝ってもらうんだからその態度はよくないよ」
「わたしに指図しないで!」と言うと、顔が再び引っ込んだ。
話が終わったころ、高齢の男性と中年の男性が入ってきた。
「グリューネバルト卿、シーグバーン先生、こんにちは」
グリューネバルトと呼ばれた高齢の男性は立ち止まり、俺たち二人を見ると
「客か? 失礼がないようにな」
もう一人のシーグバーンと呼ばれた中年男性は視線を合わそうとせず、泳がせた後
「い、いやぁ、二人とも、じ、実験は進んでいるかい」と言った。
それを聞いたアンネリが舌打ちをした。
オージーは立ち上りグリューネバルトのほうを向いた。
「グリューネバルト卿、お話があるのですがお時間よろしいですか?」
「あとにしろ。シーグバーンと大事な話をしている」
見向きもせず教室内にある専用の部屋に入った。あとから入ってきた男性はおどおどしながらグリューネバルトの後を付いて行った。
「それでシーグバーン、九月期以降の研究員契約更新についてだが」
二人で話していた内容が少し聞こえていたが、ドアが閉まると聞こえなくなっていった。
「今は二人とも忙しそうなので、今度改めて紹介する。今日はありがとう。そしてこれからよろしく」
オージーと握手をしてその日は別れた。
フロイデンベルクアカデミアへの来かたはわかったので、もうポータルは開くことができる。
訪れたことのない首都に家があるカミュを送ることはできない。
そういえば毎回どうやって戻っているのだろうか。気になって聞いてみた。
「カミュは帰るときどうやってるの?」
「今さらですね。ふふふ。でも一年近く一緒ですが話したことはありませんね。魔法が使えなくても移動できる非常に高価なアイテムがあるのでそれで移動しています。少しかさばるのが難点ですね」
「そうなんだね」
割と当たり前に使っている移動魔法は非常に便利だが、あまり使っている人を見かけない。今まで俺が会った中で使う人は、俺を除いてアニエス、レア、アイテムでカミュ、ダリダ、とあともう一人ぐらいなものだ。便利なのだからもっと普及していていいはず。
気になっただけで、別にどうしたということはない。
「じゃカミュ、気を付けて帰ってね」
「イズミも早く寝てくださいね。体力を戻してもらわないと」
ストスリアの町の入り口でカミュを見送り、病院へ戻った。
ありがとうございました。