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僕たちの失敗 第二話

 だが、アニエスは一度クロエに人質にされた経緯がある。それも手を出すぞと脅迫された程度であり、アニエスの関知しないところでだった。

 ラド・デル・マルのスラムでのクロエの言葉はおそらくハッタリなのは今でこそわかる。アニエスは油断さえしていなければとても強いというのを思い知らされた。

 どれだけクロエの動きが素早かろうとアニエスの前にはおそらく意味をなさない。そして、今や第二スヴェリア公民連邦国と言う国の軍人であり、田舎娘だと無関係を主張すればもう狙われないというのは不可能である。それに顔も割れてしまっているので話すことにした。


「そういえばアニエスは知らないんだよね。あの人は連盟政府の諜報部だ。聖なる虹の橋(イリスとビフレスト)って言う組織のエージェントだよ。

 たぶんクロティルドもシャルロットも偽名。割と手段を選ばないやり方をするんだ」


 ふーん、と鼻を鳴らすアニエスはあまり興味がなさそうだ。だが、クロエと同じような存在であるモンタンについてはアニエスは知っているのだろうか。

 共和国にいたとき、アニエスはギンスブルグ邸で軟禁状態でありモンタンとしての彼には会っていないが、北部離反軍でのムーバリ・ヒュランデルとは面識があってもおかしくない。

 アニエスにとってはモンタンはムーバリだ。それ以上は知らなくていい。知れば身に迫る危険に繋がる事は、クロエについてだけでもうたくさんだ。

 俺は鼻から大きく息を吸い込み、話を続けた。


「それから、男の方が……シバサキだ」


 名前を出すのも嫌気がさしてしまい、思わずくぐもってしまった。もはや関係もないのに、我ながら情けない限りだ。

 あの人が、と囁くとアニエスは黙った。風の中で声は聞き取りづらく、顔は見えなかったが、右後ろから見ることのできる顎はあまり動いていなかった。おそらく表情は無かったのだろう。


 少しの間言葉を無くした後、「大丈夫ですよ、きっと。何か理由があるんですよ」と馬の力強い足音を遮るように言った。


「話をイズミさんから聞いただけですが、あなたもククーシュカちゃんももともとはそのシバサキって人と行動していたんでしょ?

 さっきの様子では仲間割れをしていましたし、きっとあのときまで何かの目的が同じだっただけですよ。同じ方向を向いていただけです」


 仕方なさそうにそう言った彼女は背中しか見えないが、微笑んでいるようだった。俺を安心させようとしているのは声色でわかる。だが、それが少し怖いとも思ったのだ。

 ただ同じ方向を向いていただけ。ククーシュカも本当に短い期間ではあったが一度は同じ方向を向いていた。

 そしてそれは彼女に限ったことではない。レアもそうだった。しかし、彼女は商人として前を向き、俺たちと距離を取らざるを得なくなってしまった。向き次第では誰でも味方にも敵にもなるのだろうか。


 かつて渚との関係も利害の一致というものでまとめていた。だが、利害はいつも一致するわけではない。

 生きていれば意見は食い違うのは必然で、それ故にいつまでも一緒というのはあり得ないというのはわかっていたはずだった。

 確かに、大学時代に渚とも意見が食い違うことはゼロでは無かった。だが、それはお互いに譲ることができる程度の物であっからであり、殺し合いが起きたこの世界では日常が死と狂気性を帯びれば帯びるほどに裏切りや信頼で人との繋がり形が色濃く浮き彫りになるから渚との関係性とは比較にならない、という言い訳を使おうと思えばできる。

 だが、それではただ適当な理由をつけて思考を止めてしまっているようで怖くなってしまうのだ。


「もし、だよ?」


 アニエスも、ものの一時間ほど前までは俺を捕まえようとしていた。だが、彼女の話を聞いて、今は同じ方向を向いている。はず。今後また違う方向を見る可能性もあるかもしれないのだ。


「もし、君もあいつらと同じ方向を向いていたら、そっちを向くのか?」


 馬鹿なことを尋ねてているのはわかっている。それでも聞かなければ気が済まない。そして、情けないことに、そんなことは無いよ、とはっきり否定してもらいたくて仕方が無いのだ。

 問いかけにアニエスは、不安になるほど静かになった。駆ける蹄と風の音が鳴り響いた。何歩分かはわからず、それはとても短かったのかもしれない。無限にも思えたその空白の後、「私は――」と口を開いた。


「私はあなたの向いている方向を見ますよ。どこへ向かっていたとしても。でも、もしあなたが間違った方向へと進んでいたなら、もちろんそれは私の価値観ででは無くて、そのときは止めるだけです」


 取り繕ったわけではなさそうな、求めていた答えにほんの少しの安堵を感じた。腰のあたりに巻き付くように抱きしめたくなったが、下手に驚かせて二人とも落馬しても困るので背中に顔をうずめるだけにした。


「そうか」


 目を閉じて背中に再び額を押しつけると、ほとんど飛んでしまった樟脳と土や埃の混ざった臭いの中に、いつものカモミールの匂いがした。


 それからもまっすぐに伸びていた道をひた走り続けていると、前方に点々と明かりが見え始めた。近づくほどにそれは横に広がり、前線基地の大きさを物語っている。


「いよいよ基地ですね。戻ってきました。まずは総統に会いましょう。私が言えばおそらく大丈夫です」

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