深雪と深紅の再会 最終話
手の甲がコートの中に隠れると、ククーシュカは静止した。
しかし、白く立ち上っていた彼女のため息が寒空に溶ける間際、隠れていた手の先に光る物が現れた。長く光ったそれらを手の中でくるりと回し大きく振ると、シバサキとクロエの首にすばやく突き立てた。
両刃の短剣を両手に持っているようだ。柄に金を施されているのか、薄明かりの中で刃は銀色に、柄は金色に輝いている。
素早く反応したクロエは、刃が目の前に来るよりも早く後方に飛び退き距離を取り、「あらあら。キンジャールごときで私をどうにかできるかしら? 動きに無駄が多くて派手なのはお国柄かしら?」と片膝をつきながら急な動きでずれた眼鏡を戻した。
一方、シバサキは切っ先を人差し指で押さえ止めている。吸っていたタバコの火を切られたのか、焦げた部分はなくなりすっぱりと斜めの切り口を作っている。顔の目の前に刃があるというのに瞬き一つしていない。
「ダメじゃあないか、危ないよ。女の子がそんなエモノふりまわしちゃあ。それに鍛え上げられた僕はそんなナマクラじゃ切れないよ」と切っ先を見下ろしながら余裕の表情で笑っている。
だが、後方で片膝をつき杖を構えていたクロエが何かに気づいたのか、「避けなさい! シバサキ!」と声を荒げた。
「あ? クロエ、お前今上司のこ……」
シバサキが呼び捨てされたことに怒りクロエの方へと振り向いたそのときだ。
突如ククーシュカはナイフを手から放すと消えた。だが遠くへ離れたわけでは無かった。シバサキの足下へ入り込むべく恐るべき速さで屈んだのだ。
左足を軸に右足を大きく回し、地面に積もっていた雪を弧を描くように舞い上げ、ナイフが落ちるよりも早くシバサキの足をかけた。
言葉を途中で遮られ、おわっ、と情けない声を上げてシバサキは雪の中に倒れこむと、その顔の真横に二本のナイフがとすっと軽く突き刺さる。
耳を切り落としてしまうほどすぐ側に、よく磨かれ闇夜さえも切り裂きそうな刃に移る自分の顔をみたシバサキはヒィッと声を上げた。
だがククーシュカは止まらず、手で地面を押し飛び上がるようにすぐに立つと、倒れたままのシバサキの腹上に左足を載せてぐっと踏みつけた。
踏みしめて押さえ込むようにくるぶしを動かすと、シバサキのトレンチコート皺が寄った。そして、いつの間にかコートから持ち出した金色の三叉戟をあわあわと声を上げているシバサキの顔の前に向けている。
「トルィズーブは便利ね。軟らかい目玉と脳に近い眉間を正面から一度に狙える。
三本の棘のうち、長い両側がまず目を潰す。そして中心の短い一つは、眉間へ落ちて脳に刺さる。両目は鍛えられないから、誰であっても必ず弱い。
チェルノボグに殺されてしまえ。目的を果たせない。さようなら」
顔の目の前まで近づけていた三叉戟を再び槍を大きく振り上げ、銛を打つように両手で持ち直すと、シバサキの両目と眉間を狙うように落としていった。
しかし、黄金に輝く光の一端がシバサキの目に届くまさにその間際に「おやめなさい!」と野太い怒鳴り声がすると、高く掲げられた三叉戟に紅い光の球がぶつかった。
三叉戟は火花を散らしてククーシュカの手から離れ、雪の中へ大きく弾かれ煙上げながら飛んでいった。
何かが飛んできた方を見ると、クロエが横持ちされた馬酔木の杖をククーシュカの方へと向いている。
雪に反射するノルデンヴィズの街灯の灯りで微かに見えたクロエの右目は、赤く血走り、瞳孔が痙攣しているのが見える。
杖からは重たく黒い煙が出て、水銀や鉛のよう毒のある金属が焼けるにおいが立ち込めた。
肩で息をしているクロエは、杖を回し両手持ちにするとひざまずいた姿勢から地面を蹴り駆け出してククーシュカへと杖先を突き立てた。
ククーシュカはその突きを除けると二、三度、左腕だけでバク転をして三叉戟の傍へと飛びのいた。突き刺さったそれを地面から引き抜くと大きくぶんぶんと振り回し、両手で持ち替えクロエの方へと構えている。
「その男を殺してはなりません! ククーシュカ、あなたにとってはただの上司では無いはずです!」
「知らない。そもそも私は聖なる虹の橋に加わった覚えはない」
「あなたのためです。私たちと一緒に動いた時点でそれは決まりなのです」
ククーシュカはそれには何も答えず、三叉戟を顔の前に立てクロエを睨みつけた。応戦しようとクロエは魔法を唱え始めている。
だが、詠唱が終わるのを待たずに攻めに転じようとククーシュカは肩幅に足を開き、ボトムスを膨らませて足に力を込め地面を大きく蹴り高く飛び上がった。そして、空中で二、三度回転すると、クロエに向けて槍を大きく振り下ろした。
クロエは魔法の詠唱を中断し杖を横にするとそれを受けとめた。金属の三叉戟と馬酔木の杖が競り合うと火花を飛び散らせる。
だが、力が互角ではないようでクロエは押し負け始めてのけぞるようになり、ククーシュカは前屈みなりそれを追い詰めていく。クロエも負けじとその状態で何かの魔法を詠唱し始めた。
隙を作るために長く唱えていたふりをしていたが、詠唱の途中で杖が強烈に発光した。光に驚いたククーシュカは距離を取った。くらんだ目をこらしてクロエを睨みつけている。
どうやら仲間割れが始まったようだ。理由はともかくこれはチャンスであることに違いない。
「アニエス、動けるか? 今のうちに逃げるぞ!」
「大丈夫です! 行きましょう!」
アニエスが鞍に乗り脇腹を蹴り走り出した。俺も杖にまたがり地面をけると前進し始めた。
馬はすぐに速度を上げるとノルデンヴィズはあっという間に小さくなっていく。先ほど同様に後方を守るために馬の後ろに回り込み、警戒するように後ろを振り返った。
ノルデンヴィズの入り口あたりで何か大きな爆発で起き、その爆炎に照らされた暗闇の中で雪煙がいくつも舞い上がっているのが見えた。