初夏の幕間 後篇
勢いよく、はじまりだ!
とは言ったものの、俺はまだ普通に歩ける程度だ。戦闘行為に関しては、ハードな物でなければ、という制限がついているが許可をされた。ハードではない戦闘とはなんだ、と少し混乱はしたが。
学術都市で若い世代も多いこの町にも訓練施設があるとのことだ。そこで訓練を開始することにした。
施設は広い平野部を生かした広大な土地で、以前訪れたノルデンヴィズのものとは比較にならないほどの広さだ。管理施設もしっかりしていて、安全面を考慮して予約システム等が充実していた。何時から何時まで、何人が、どのエリアを使うか、入出時も記録が必要なほどだ。以前までのいい加減な管理に慣れてしまっていて少し面倒だな、とも思ってしまう。ちなみに、賢者ゆえにタダだ。役得。
規模が違ってもここもやはり使う人は少なくなっていて、たまにフロイデンベルクの学生が実験に使う程度らしい。
初日は俺の魔法がどの程度使えるかを試すために訪れた。今日は隣で学生が実験をしているだけだそうで、そのほかは無人らしい。
有刺鉄線の付いた蛇籠の壁の間にある金網のドアを開けると、広大な敷地が視界いっぱいに現れた。広いとは聞いていたが、いざ入ってみるとあまりの広さに本当に使っていいのだろうか、と思ってしまうほどだ。
「広いですね」
「そうだね。ここまでの広さはいるのかな?」
カミュが額に手を当て遠くを見ている横で俺は早速魔法の訓練をしようと準備に取り掛かった。愛杖ぽっきーを強く握ると、ふとアニエスのことを思い出した。
詳しくは聞いていないが、俺たち二人をヒミンビョルグで発見した時、なぜかアニエスがぽっきーを持っていたらしい。場所を把握したアニエスが救助隊のためにポータルを開くときに、ぽっきーを使う姿をレアが遠くから見ていたらしい。なぜアニエスはぽっきーに拒否されなかったのか。そんなことを考えつつ俺は準備を進めた。
「カミュ、俺は今から魔法を唱えるんだけど、久しぶりでちょっと危ないかもしれないから離れてて」
「わかりました。無理はしないでくださいね。あなたはまだ病み上がりであることを忘れないでください」
カミュが離れたことを確認すると俺は額にぽっきーをあてゆっくり目を閉じた。
ヒンヤリとした金属の感覚をたどると杖と会話をしているような気持になった。
ぽっきー、確かに俺の杖だ。
久しぶりだな。おまえを使うのは。ずいぶん待たせたな。これからはたくさん使うことになるから覚悟しておけよ。
何を唱えるの。アニエスに教わった、あの雪原の雪を融かす魔法だ。
雪が無いところでやるとどうなるの。周りのものがちょっとばかし燃えるだけだろう。
音叉の残響のような金属音がすると杖に確かな力が流れ込むのを感じる。ピリピリと空気が震え、目を閉じていても杖を伝い地面に魔法円が描かれているのもわかる。俺の周囲だけがまるで時間から取り残されたような感覚に包まれる。
「イ、イイイ、イズミ! 大丈夫なんですか!? なんだか魔法円の規模がだいぶ大きい気がしますが!?」
魔法を唱え始めるとカミュの焦った声が聞こえた。
声に気が付いてはっと目を開くと、魔法円はいつかの訓練時に比べて何倍にも大きくなり、それはかなり距離をとっていたはずのカミュの足元にまで及んでいた。
威力は魔法円の大きさには関係ないのだが、あ、これはやばいかも、と自分自身でも思ったので一度詠唱を止めた。
魔法円の文字は黒い液体が地面に吸い込まれるように消えて行った。慌てふためいていて魔法円の外まで後ずさりしていたカミュのほうを向くと、両手を体の中心に寄せてそわそわと落ち着きなくこちらを見ていた。
「カミュ、大丈夫だよ。俺もう魔法使いじゃなくなってて、たぶんちょっとした変化だよ」
「魔法使いじゃない? となるとイズミは今何なのですか?」
カミュは不思議そうな顔をしている。
「伝えてなかったような気がしないでもないんだけど、四月からは賢者になったんだよ」
「それは聞いていないです。そうなんですか。周囲が危なくなりそうなので無茶はしないでください!」
「ははは、ごめんごめん。力をセーブしてやってみる」
よく考えるとだ。実戦に近い魔法の詠唱はもしかすると賢者になって初めてではないだろうか。
遭難前、仮リーダーのときの依頼で使っていた魔法はもっぱら移動魔法ばかりで、戦闘行為はほぼゼロだ。その後も、遭難しつい最近まで意識不明だった。賢者になった時、女神も確か何か言っていたような気がしないでもない。
一度中断した魔法はもうやめよう。伯爵救出時のように暴発する可能性がある。ならば、一番最初に放ったあの火の粉をもう一度唱えてみよう。
こっちのほうがいい。呪文は簡潔にして。
“ビッテ ギーベ ミラ アイン メイディンホーセン”
以前と呪文が違うなと思いながら俺はそーれと、大きく杖を振った。
すると、人の顔ほどの大きさの黒い球がブブブブブブと震えるような小さな音をたてて空高く飛んで行った。そして、それが高く、高く昇って行くのをぼんやり見送った。
訓練も足りないし、使うのも久しぶりだが、感想としてはイマイチだ。ふーんとため息が漏れて手のひらを見つめて開いては閉じる。
「カミュ、やっぱりまだこんなもんみたい」
少し離れたところにいたカミュが寄ってきた。
「イズミ、久しぶりなのだから仕方ないと思います。でも、最初見たときよりはだいぶ威力がありそうですね。体も慣れてきたら本格的に訓練しましょう。体力も付けなければいけませんね。私の訓練はきついですよ」
にやりと不敵な笑みを浮かべるカミュ。
「ひええ、お手柔らかにお願いしますよ。カミュはなんかする?」
「私も久しぶりなので少し肩慣らしでもしようと思います。それからあとはイズミの動ける範囲でトレーニングです」
背中から大剣を取り、刃先を天に向けた。登りきってから遠くのほうに落ちていく放った玉を見送り、背中を向けた。
その直後だ。夜と昼が反転したのかと思うほどあたりが暗くなった。
何ごとかと思って振り返る間もなく「伏せろ!」とカミュが覆いかぶさってきた。同時にすさまじい突風と土埃に巻き込まれた。
土埃が収まると覆いかぶさっていたカミュが退いた。何ごとかと起き上がってみると、そこには異様な光景が目に入ったのだ。
空に広がっていくきのこ雲の姿。その中に起きる無数の遠雷。
「ごほっ! カミュ! 怪我はしてないか!?」
「大丈夫です。イズミも、無事そうですね。しかし、これはいったい?!」
服に着いた土埃を払っている。突風が来た方角を見ながら眉を寄せ、目を細めて睨み付けている。方角からすると、あれを引き起こしたのは間違いなく俺が放った黒い玉だ。
いつか女神が言っていたことを今度ははっきり思い出した。
「あんたの杖であのおぼこい子に教わった魔法唱えてみなさいな。くれぐれも力はセーブして人のいないところでやりなさいよ」
そういうことか。
この訓練施設の管理が行き届いていて、人がいないということがわかっていてよかった。
もし、これをノルデンヴィズの訓練施設で行っていたら、そして先ほどあの呪文を止めなかったらと思うと背筋が凍るようだ。
「イズミ、ほ、本当に賢者になられたのですね」
カミュは両肘を抱えながら、少しずつ広がっていくきのこ雲を見つめていた。
「ご、ごめんなさい。訓練、が、頑張りましょう」
次第に風も収まって行った。俺自身があっけにとられてしまい、呆然とその光景を見つめてしまっていたが、風と共に冷静になってくると恐ろしさが込み上げてきた。訓練しなければ、これをコントロールできなければならない。戦いに参加しなかったとしても、だ。
もし日常の中で暴走してしまったらと、余計なことを考えるのはやめにしよう。
「ちょっと! あんたたち、いまのなに!? なんなの!?」
突然声がして振り向くと息を切らせた女性が背後に立っていた。
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