深雪と深紅の再会 第十三話
夜遅くとも唯一点けられている門の街灯は省魔力のため薄くぼんやりと光っている。息を整えながら目を細めて見える限りの辺りを見回すと、門の脇に乗り捨てられた馬がいた。
馬止めには係留されておらず、せり出した小さな屋根の下で雪を凌いでいる。
たたずむ馬はよく見ればあれはカミュとティルナが乗っていた尾花栗毛ではないか。俺のことを覚えているのか、耳をピンと立てて真っ直ぐこちらを向いている。
その馬の近くには、雪が降り積もった後で見にくくなっているが、何人かがいたわずかな痕跡があった。
軽快な二人の足跡とやや引きずる様な重たい一人の足跡が点々と雪の平原へと延び、その先でぱったりと切れている。
ティルナが目印に置いていったのか、アルバトロス・オセアノユニオンの開翼信天翁旗のワッペンが雪に埋もれつつ落ちている。
どうやらティルナ・カミュ・ヤシマの三人でラド・デル・マルへ向かったのだろう。うまく二人は逃げられた様子だ。
「アニエス、馬は操れる?」
「なんとか。このところ移動魔法頼みだったので久しぶりですがやってみます! ……あれ? イズミさん、もしかして?」
ははは、と誤魔化しながら笑った。
「そうなんですね、残念。でもそんなこと言ってる場合じゃないですね。あの子を借りるんですね」
「借りるも何も、あれは離反軍の馬だよ」
「あれ? 何で知ってるんですか?」
うっかり言ってしまった。だがもう仕方ない。二人も逃げられたのだ。本当のことを伝えよう。
「あの尾花栗毛はティルナとカミュが逃げたときに乗っていた馬だよ……。黙っててゴメン」
しばらくアニエスは表情無く黙った。怒っているのだろう。だが、「あの子だったんですね。よく見ていませんでした。綺麗な子ですね。足も速そう」と意外な返答が返ってきたのだ。
「あれ? もしかして覚えてたの?」
「ずっと覚えてましたよ。ホントに仕方ない人ですね」と言うとふふっと笑った。
「あなたの友達ですもの。それにカミーユさんはカルル閣下にはもう必要がないのは知っていましたから。逃がしてしまったことは怒られるかもしれないけど、まずはイズミさんの疑いを晴らさなきゃ!」とウィンクをした。
「アニエスのおかげで死なずに済んだんだよ。ありがとう。怒られるで済むの?」
「いざとなったら、脱走兵になりますよ! ふふふ。もちろんその時は一緒に逃げてくださいね!」
何も言わずに微笑んでアニエスを見つめて、二人で尾花栗毛の馬に駆け寄った。
「君は馬で! 俺は杖で何とかする!」
え? と何か尋ねたさそうな顔になったが、右手をさっさかと振るようなそぶりを見せ馬に乗るように催促した。とにかく急ぐことを理解したアニエスが乗ろうと馬の左側で手綱に触れた時だ。突然後ろから押されたように倒れこんだ。
同時に足元の雪に何かが落ちると音がして、そこを見下ろすとそこにはアニエスを瀕死に追いやった緑色の短剣、サモセクが落ちていたのだ。
「大丈夫か!?」
ゴホッゴホッと辛そうに咳をしているアニエスに手を伸ばすとすぐに手を握り返ってきた。
「いったたた。大丈夫です。けど何ですか、これ?」
何かのためにこっそりと、しかも必要以上に頑丈な防御魔法をかけておいたのが功を奏したのようだ。サモセクは背中には刺さらず地面に落ちた。
だが、ぶつかったときの衝撃は相当に強かったようで痛そうに顔をしかめている。
「まずいぞ。早く乗れ!」
アニエスを引っ張り起こし再び馬に乗る様に催促すると、彼女は鞍を手繰り寄せた。その姿を見届け、杖を持ち上げ自らも逃走の準備にかかろうとした時、ふと街の入り口の方に目をやると、追跡者が近づいてきたのか三人ほどの人影が見えた。
そして、それが街灯の薄明かりの中に入り誰であるかがわかろうとした時、
「待ちなさい」
と雪に阻まれてくぐもった声がその人影のほうから聞こえた。ついに追いつかれてしまったようだ。そちらを振り向くとそこにはやはりククーシュカがいた。
今度は彼女一人では無いようだが、何人来ようと命を狙うというなら一緒だ。待てと言われて待つ義理はないので背を向けようとした。
しかし、刹那に見えた彼女の後ろにいた二人にどこか既視感を覚え、図らずも薄明かりの中へまじまじと目をこらしてしまった。
それは、ククーシュカよりももっと会いたくない人間が二人、彼女のすぐ後ろを並んで歩いていたのだ。
「ククーシュカちゃん、いつまで遊んでいるのかしら? 黄金のありかを教えてくれる約束でしょ?」
「いやいや、懐かしい顔ぶれだね。僕はずいぶん会っていないから懐かしいよ。まだふらふら遊んでるのかい?」
三人は雪の上にできた俺たちの消えかけていく足跡を踏みしめ、重たいブーツで足形を上書きをしながらおもむろにこちらに向かってきた。
ククーシュカの左後ろには特徴の無いぞろっとした黒いフード、濡れたカラスのような黒髪をバンスクリップで後ろにまとめフォックス眼鏡をかけている薄く紅を差した唇の女がいる。
それはクロエだ。たびたび現れたクロエはまたしても俺の前に現れ、立ちはだかったのだ。
会いたくないのはやまやまだが、それよりも、だ。
右後ろ、その人物はまさに悪夢そのものだ。
なぜあの男がここにいるのだ。俺は眩暈を起こしそうになった。