深雪と深紅の再会 第七話
灰色の空を黒く戻していく消えかけの低い照明弾がククーシュカの影を長く落としている。その中に彼女の顔がはっきりと見えた。
驚いたことに、明滅する明かりの中でこれまで見たこともないような悲しい顔で俺たちを見下ろしていたのだ。光の当たり具合で落とした陰のせいではなく、そこには明らかな悲しみがあった。
たった今、俺の目の前でアニエスを背後という死角から刺して、仲間から憎いだけの存在に堕ちていったはずなのに、その顔の中をひとたび見てしまうと裏切りへの拒絶よりも虚無と憐憫に包まれてしまった。
「ふ、ふざけるな! 自分が光りに当たりたいからって誰かを傷つけていいわけない! 矛盾してる! そんなのが許されるわけない! お前に必要な人間がいるように、俺にはこの女が、アニエスが必要だ!」
同情に支配され言葉を詰まらせてしまいそうになるのを堪え、立ちはだかるククーシュカに向かって声を荒げた。
だが、何を言っているのかわからない、とでも言うかのようにククーシュカは小首をかしげた。悲しげな顔はその上にさらに困惑を乗せている。
「なぜ? 女なら他にもいるでしょう? 何なら私も女よ。自分で言うのは良い気がしなけど、男どもに取り合われるほどの」
「違う! そういうことじゃない! 誰でもいい訳じゃないんだ! 俺はこの子じゃなきゃダメなんだ!」
ただ今の状況に飲まれていたからそう言ったのではない。自分の気持ちがはっきり言葉に出たように感じた。嘘でも建前でもない。
それは対峙するククーシュカにも伝わったようだ。ククーシュカは「そう」と囁くと下を向き「それならますます邪魔ね」とバルディッシュを持ち上げた。
薄く鋭利な金属が振動する音が静かに響き渡り、切っ先に触れる雪は金属を伝わるククーシュカの体温で溶けてするりと水を流し、水玉を残して垂れ落ちていく。
足を肩幅よりも大きく広げ、彼女はバルディッシュを下段に構えて攻撃態勢に入った。ジャッと音を立て刃を上に向け、今にも再び飛びかからんと足下の雪を盛り上げている。
こうなっては仕方ない。俺も杖を構えた。できる限りシャープに、できるだけ強く、そして何よりも素早く魔法を唱えた。
ククーシュカが下肢に力を込めると長いスカートの下に見えていた赤黒いボトムスのくるぶしあたりが膨らみ、グッと踏みこんだ。
刃部に残った落ち残りの滴がはじけ、足下の雪が舞い、彼女の足が宙に浮いた瞬間を狙って俺はバルディッシュの刃を目掛けて魔法を放った。
杖先の赤く密度の高い魔方陣から放たれた青白い閃光が、走り始めたククーシュカのバルディッシュにぶつかると火花が飛び散る。
彼女の力は魔法で付き合い相殺されているのか、足は止まった。魔法に押し負かされないようにバルディッシュを持つ手に力を籠めて、わなわなと肉を震えさせて掲げ続けている。
しかし、彼女の足は負けてきているのか、踵の後ろの雪がはげ土まで盛り上がり始めている。そして、ついに諦めたのかバルディッシュを投げるようにして魔法の勢いを殺し受け流すと、後方へ大きく飛びのいた。
流された閃光は地面にぶつかり雪と泥を巻き上げた。飛び散るそれらが収まると、ククーシュカは煙を上げている柄だけになったバルディッシュを舐めるように見つめた。
そして、首を小さく左右に振るとそれを投げ捨て、今度はコートから先ほどの緑色の短剣をすらりと出してきた。まだべっとりと血の付いた短剣は、揺れ動く彼女に合わせて空気に触れて赤黒くなり始めた血液を滴らせている。
左足で地面を軽く蹴り上げて飛び上がるとそのままぐるりと体をひねり回転させた。ククーシュカの右手からサモセクが放たれると、空を切る音を立て恐るべき速さで真っすぐこちらに向かってきた。矢状に見える切っ先は狂いなくアニエスを狙っている。
すぐに防御魔法を唱えようとしたが、強烈な魔法を無理矢理唱えたことで杖が熱くなり、詠唱に僅かな隙を作ってしまった。効果を発揮してくれるまでに短剣は届いてしまう。
しかし、もう一メートルのところで真下の地面が光りだし魔法陣が出現したのだ。
腕の中のアニエスが血まみれになった歯を食いしばりもぞもぞと動いている。どうやらまだ意識があり、移動魔法を唱えたようだ。
どこへ向かうのか悟られないようになのか、それとも手負いのアニエスの限界なのか、小さな魔法陣の中へと沈み込むようになると、頭の上を短剣がかすめた。
間一髪当たることはなかったサモセクは背後の岩にチャリンとぶつかると地面に落ちた。だが、落ちたそれはまるで糸でつないであるかのようにずるずると切っ先を変えこちらを向いている。
「血を覚えたサモセクからは逃れられないわ。どんなに遠くてもこれが導く。逃がさない」
投げた姿勢のまま、右手を前に出したククーシュカが閉じていくポータル越しに僅かに見えた。