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初夏の幕間 前篇

 あの時のアニエスの顔ははっきり覚えている。最初に気が付いたときに視界の中にいたのはアニエスだった。


 意識が戻り名前を呼ぶと驚いたようにこちらに振り返り、すばやく駆け寄ってきた。そして、顔を覗き込んで笑うと俺の頬を両手でさすり、涙目で額を合わせてきた。そしてかすれた声でよかった、と何度も繰り返していた。

 その後、部屋にカミュが入ってくるとさっと離れ、唇を一文字にして着ていた服をぐっとつかんでいた。そして何も言わずに部屋から出て行った。


 ヒミンビョルグからどうやって戻ったのか、そのことは覚えていない。俺とカミュは遭難後、奇跡的にもすぐ発見されたらしい。本来なら見つけられることもなく死んでいたので、すぐに、しかも、見つかる、と言うのはまさに奇跡らしい。後から聞いた話では見つけたのはどうやらアニエスだということだ。


 俺の意識が戻ったのは、夏も近づいていたころだ。思っている以上に長い間意識を失っていた。


 アニエスは遠くまでわざわざ看病に来ていてくれたそうだ。しかし、意識が戻ってからお礼を言う間もなく彼女は来なくなった。俺はアニエスにどうしてもお礼が言いたくて、連絡をするもごめんなさい、と断られてしまった。その後も数回連絡を試みたが、一度とれたとき以来ぱったりと連絡が取れなくなってしまった。病気ではないそうだが、どうしたのだろうか。


 カミュは早く意識が戻って体も元通りになり、やはりアニエスと同じように俺を看病していてくれたらしい。その間実家の銀行業を手伝うことなく、「この人は私のリーダーです。意識が戻るまではこの人のそばにいます」と、俺の意識が戻るのを待ち続けていてくれたらしい。


 アニエス、カミュ、俺は二人の女性をいったいどれだけ待たせてしまったのだろうか。彼女たちは貴重な時間を俺のために割いてしまった。申し訳ない気持ちだけでなくほんの少しだけうれしさがあった。ほんの少しだけ。



 筋肉は使わないとあっという間に衰える。

 長い間横になり、動かすことはなかった体は硬直しリハビリが必要になっていた。当然リハビリなどと言う言葉は存在せず、病院とはいうものの、医学の発展がまだ途上な世界では設備もあまり充実していないので少し長めの養生が必要だということだ。その間、戦闘行為は禁止されてしまった。


「カミュ、新しいチームを立ち上げたばかりなのに、何にもできなくて申し訳ない。俺もできるだけ早く動けるようになるよ」

「気になさらないでください。あの山から生きて戻れたこと自体奇跡なのですから。しばらくは養生しましょう」


 そう言ってカミュは許してくれた。いつも同じ時間に現れ、そして手足を動かす練習を手伝ってくれている。

 カミュはすぐに動けるようになったが、着ていた鎧のせいで凍傷になっていたところもあったそうだ。ひどくはないようだが、俺の意識が戻ってからも痕はわずかに残っていて、そのまま消えないのではないだろうかと心配だった。


「レアさんはどうなったか聞いてる?」

「レアはあの後、捜索をしようとあちこちに依頼を出しましたが、やはりどこも相手にはしなかったそうです。イズミの杖を使って何かできないかとも考えていたらしいですが、私があなたに追いついた後にはすでに杖もなくなっていたそうです」


 カミュの話では、レアはチームを離れたそうだ。しばらくの間メンバーが二人減るので、派遣参加の規定人数である四人以下になったと元リーダーに伝え離脱した。商会側にメンバーが二人ヒミンビョルグに入ったと連絡をしたら、死亡扱いと言うことでメンバーが減ったと認められ、書類上は全く問題が無かったそうだ。

 しかし、元リーダーは、それはそれはものすごく()()()らしい。そこで商会の偉い人が出てきて元リーダーを説き伏せて収まった。レアは俺とカミュを助けることをあきらめず、そして助かることは見越していたが、生きていて治療を受けていたことは元リーダーには伝えていないそうだ。


 彼女は救出時の混乱でわからなくなっていた俺たち二人の居場所を商会のつてで探しだし、わかるとすぐに駆けつけ、その後も意識が無い間、まめに様子をうかがいに来てくれていたそうだ。

 優秀な人材であるレアを待機状態にするのは惜しいと考えた商会がどこかに所属してほしいと依頼したそうだが、それは断ったそうだ。現在は長期休暇を貰ってカルモナで悠々自適な日々を過ごしているらしい。


「そうか。会いたいね。養生できる間にカルモナにレアにあいさつしに一緒に行こう」

「そうですね。私もレアには会いたいです。元気なイズミの姿を見たら喜びますよ」

と微笑んだ。



 そして、もう一人は……思い出したくもない。



 リハビリ、と言っても理学療法や作業療法のような具体的な方法で行うのではなく、ただ動かすだけではあったが、カミュの手伝いもありほとんど歩けなかった状態の体は動かせるようになっていった。動けなくなってしまうと廃用症候群でそのまま死んでしまうことが多い時代ではこれまた奇跡的な回復、まるで体内の時間が早まっているような回復ぶりをしているとのことだ。

 まだ歩くことはつらく車いすをカミュに押してもらい、街を散策することもあった。


 季節は初夏を迎えており、カルモナと同じく海沿いにあるストスリアの町は太陽に溢れていた。その町は山からは少し離れており、海に面しているがカルモナとは違い、平らな町だ。そして随一の学術都市であり、エイプルトン、フロイデンベルクと言った多くの学校がある。

 ここで受けられる医療もこの世界では最先端であり、日夜研究が進められている。それ故に俺たち二人はここへ運ばれたのだろう。連盟政府の中心である首都には近すぎず遠すぎず、便利な立地にあり若い学生が多いのでこの町は活気にあふれていた。それでいて、争いなどどこか遠い世界で起きているのではないだろうかと思うほど日々は穏やかだ。


 収容されているマテーウス記念治療院の病室の窓から見えていた小さな黄緑の木々はいつしか濃くなり、大きな緑になり空へ向かって広がって行った。毎日決まった時間にカミュがカーテンを開けるとまず目に入るそれらは、同じところから見ていてもその違いが分かるほどだ。

 毎日少しずつ進む季節の中で新緑が勢いを増していく。これまでいた寒い地域とは違い、生き物は活気にあふれている。



 遭難以降、カミュに対してはすっかり敬語でなくなった。カミュは相変わらずかたくて、話をしていると違和感がある。でも、もっと気軽に話せと言うのもどこかおかしく、恥ずかしいので慣れるまではしばらくこのままだろう。

 そのうちに俺も歩くことができるようになると、散策の範囲が広くなっていった。町のはずれにあるちいさな広場は緑が多く、日差しも遮られるような木々もあり、お気に入りの場所になった。



 流れていく日々は穏やかなようで変化に富んでいる。それもいつの間にか当たり前になった弱い風の吹くある日の午前中。

 ほとんど決まったルートを通る散歩の終点となっているお気に入りのその広場の中心には、シンボルのように大きな木がある。それは最初に来た時よりも葉が生い茂り、緑色が何倍にも大きく膨らんで木漏れ日を作っていた。

 その下にある人気のない広場の芝生の上で俺は寝ころび、カミュは隣に座っていた。


 ほんの一瞬、風が強く吹いた。

 カミュの長い髪が靡き、木漏れ日の光を浴びて輝いた。


 その姿はずっと前、俺の背中を押してくれたあの夕焼けのときのように美しかった。


 ハッとして息をのむと、俺は何かを思い出した。

 この穏やかな日々の中で、これがずっと続けばいいとどこかで思っていた。

 しかし、俺たちには目的があって、それを成し遂げなければいけない。ヒミンビョルグで見せたカミュの涙は、目的を達成できない不甲斐なさからだ。

それを忘れてはいけない。


 穏やかでも時は流れる。生い茂ってなおも膨らむ緑に、俺たちは置いて行かれないだろうか。

負けてはいられない、鼓動が高まる。


 俺は息を吸い込んで勢いよく身体を起こした。そして


「カミュ、仲間を集めよう。俺たちには目的があったはず」


 風で乱れた髪を整えているカミュにそう言うと、髪を耳にかけてこちらを向き、すこしだけ残念そうな顔をした。

「そうですね。いつまでも穏やかにしていてはいけませんね。確かにこの日々は幸せでずっと続けば、と残念なところはありますが」


 そう答えるカミュの表情は俺にとって不思議だった。


「カミュにしては珍しいね」

「私も一人の人間ですので、穏やかで平和な日々を求めるのですよ」


 そして小さな微笑みを投げかけてきた。

 風が再び吹き抜けると、ささめく葉の間から射す陽の光が音もなく揺れた。


「俺はもう歩けるようになったよ。カミュのおかげだよ。ありがとう。仲間を集めてレアももう一回呼ぼう。だから会うのはそのときだ。でも、穏やかでいたいならもう少し先にのばす?」

「いえ、いけませんよ。始めるのは動きたくなった時が一番です。終われば時間など山ほどあるのですから。レアが加わった私たちなら、そんなことすぐですよ!イズミのそういうところ、私は、ふふふ」


 もはや見慣れた彼女の笑顔。すぐに終わらせられる。それは意識が遠くなっていた雪山でも彼女は言っていた。その時と違って、いつも以上の、屈託のない笑顔だった。


「それじゃチームイズミ、はじまりだ!」

「頼みますよ。リーダー!」

読んでくれてありがとうございました。

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