深雪と深紅の再会 第一話
蹴り上げられた土埃と雪が高く舞う様子は、目の前に現れた紅い丸い物に遮られて見えなくなった。そして続けざまに腹部に強烈な痛みが走った。
殴られたときの衝撃というよりも、表面に響き広がるような痛みだ。まるで鞭で叩かれたような。
腹部のピリピリと響く痛みを堪え足を肩幅に開き踏ん張りそして顔を上げると、見えなくなっていたはずのアニエスが雪を土ごと抉った位置に立っていた。まるでそこから一歩も動いていないようにも見える。
彼女はすでに杖を横持ちに構えていて、目が合う間もなく「まだですよ!」と哮り、杖を強く握りしめると姿を再び消した。
今度は土埃を上げずに消えたが、視界に見えていた地面が左右交互に土埃を上げた。
目では追えない何かが次第に近づいてくる。その土埃もすぐに目で追えなくなるほどに早くなり、抉れてできた穴を追いかけて左を向いた瞬間、今度は右脇腹に衝撃が走った。それはズシリと内臓に響くような重たいものだった。
しかし、その衝撃が体内に響くと同時に何かが硬い杖にぶつかり金属音を上げた。痛みとともに右手に握っていた杖を見ると、そのぶつかってきた何かが杖の堅さに負けて削れたのか、木くずと潰れたアイスグリーンの葉っぱのようなものが付いている。
どうやら右手に持っていた杖が衝撃を和らげてくれたようだ。衝撃を耐え抜き、倒れまいと両足を開いた。
「やはり簡単には倒れませんね」
元の位置に戻ったアニエスは相変わらず杖を横に掲げている。しかし、先ほどとどこかが様子が違う。
よく見れば彼女のホプシーの杖が欠けているのだ。俺の杖とコートについた葉と枝は、彼女の杖のもので間違いない。どうやら俺は彼女に杖で殴られているようだ。
だがどうやって? 彼女は10メートルほど離れたところから全く動いていない様に見える。杖をブーメランのようにコントロールして殴りつけているのか? それにしては一撃が重い。
打撃への反射でゴホゴホと咳き込んでいると、彼女は再び攻撃態勢に入ったのか、肩幅に足を開いた。
そして「次は止めません」と言うと、再び地面を蹴り土埃を上げて姿を消した。
大きく地面が抉れたかと思う間もなく、視界の目の前にアニエスが瞬間的に、そして断続的に現れる。それに付いてくるように右わき腹に衝撃が走り、今度は右太腿、左太腿と次々と衝撃が走った。
姿の見えない猛攻に耐え切れず、ついに視界が揺れて足元がふらつき始めてしまった。体が大きく前に傾き、今にも倒れてしまいそうだ。しかし、まだティルナとカミュの二人が見えなくなって五分も経っていない。その程度の短時間では逃がし切れていないはずだ。せめて後一時間はここで止めなければ移動魔法でノルデンヴィズへ先回りされてしまう。
五分さえも無限にも感じるというのにあと一時間持ちこたえなければいけないのかと、じんじんとする右太腿に力を籠め大きく一歩前に踏み出し、踏ん張ろうとした。
しかし、その瞬間左ひざ裏が何かに押され、そのままさらに弧を描くようにすくい上げられた。ついには真正面を向いていたはずの顔は上を向き始めて、背中から仰け反りだした。みるみるうちに星一つない空が見え、やがて天地がひっくり返った視界になると完全に仰向けになってしまったのだ。
突然の出来事に驚いてしまい、受け身をうまく取れずに真っ先に頭が落ちていく。
しかし、まずい、頭から落ちる、と思った瞬間、後頭部を何かにすっと触れられてわずかに持ち上げられたような気がした。
それにより両肩が頭より下に落ちていき、受け身のタイミングを取れるようになった。しかし、勢いはそのままであり背中を強打して地面に倒れ込んでしまった。
肺と腹腔をつき抜けた着地の衝撃にゲホゲホと咳き込んでいると、舞い始めた雪の中からアニエスが現れた。腰に手を当て仁王立ちの彼女は、怒りに満ちた目で俺を見下ろしている。
「あなたはそこで五分くらい伸びてて下さい。後でお話があります」と低い声で威喝すると背中を向けて移動魔法を唱え始めた。
ティルナとカミュを捕まえるべくノルデンヴィズへ先回りするつもりだ。させない。
背中はまだ痛くすぐには起きれないので首だけを起こして俺もすかさず超短距離移動魔法を唱えた。アニエスが唱え終わりポータルを抜けていく後姿を見送った後、雪解けの水たまりの上にポータルを開いた。
するとそこから、きゃああああ、という悲鳴が聞こえはじめて、やがてアニエスが落ちてきた。一メートルほどの高さに出現したポータルから、雪解けの水たまりに彼女がべしゃっと落ちてきた。思い切りお尻から着地して水しぶきを上げると、「いたたた」とぶつけたところを押さえている。
混乱して左右を見回した後、お尻を擦っていた手をピタリと止め、すぐさま俺の方を睨みつけてきた。そして「邪魔しないでください!」と大きく声を上げた。
幾分背中から痛みも取れたので、「するに決まってる! 俺は二人を逃がさなきゃいけないんだ!」と起き上がって言い返した。
彼女は眉間にしわを寄せ飛び上がるように立ち上がると「追いかけます!」と再びポータルを開こうとした。だが、動けるようになったのでポータルが完成すると同時に彼女の腰めがけてタックルをかました。
ついでにまたしても超短距離移動魔法を唱え、ポータルを自分の後方に開いて彼女の腰に巻き付いたまま彼女の開いたポータルへと飛び込んだ。
地面に落ちたときに押しつぶしてしまわないようにひねり込みながら彼女を持ち上げてポータルを抜けると、先ほど彼女が落ちた水たまりに思い切り、今度は二人で飛び込んでしまった。
しかし、そのとき跳ねた水が目に入り思わず手を放してしまい、その隙に俺を引き剥がそうとして大きく暴れたアニエスを離してしまった。
「ちょっと! 何するんですか!? 邪魔しないでください!」
「絶対に行かせないぞ!」と遅れて飛び起きると、アニエスの顔はしつこいものを鬱陶しがるような嫌そうになった。