回る物を回す者 第九話
「この絵の男はごく最近連盟政府で爵位と領地を与えられた者です。
伯爵で名前はリョウタロウ・エンデスオステン・フォン・シバサキ・トゥ・ブリーリゾン。閣下のお捨てになった名前から考えれば、男がどの領地を与えられたかは名前でお分かりになるかと」
「ブリーリゾンだと? サント・プラントンのすぐ隣ではないか。どれほどの業績を上げればそのような土地がいきなり与えられるのだ?」
「わかりかねます。少なくとも、私の記憶にはございません。この度の離反で」
「離反ではない! 栄光溢れる独立である! 訂正を求める、ムーバリ上佐!」と話に置いていかれまいとしている指揮官の一人が声を荒げた。
ムーバリは面倒くさそうに眼を深く長くつぶると、「では、此度の偉大なる公民連邦の独立で欠けた十三采領弁務官理事会に加盟する運びとなったそうです」と続けた。
「過去の経歴ですが、二十数年前からノルデンヴィズを中心に連盟政府内全域で活動していました。
目立った業績もなく、難易度もそれほど高くない依頼をこなして生計を立てていました。
三年ほど前、突如勇者に昇格。その後一年ほど活動を継続した後、ある日を境に街を離れたそうです。
それから共和国に現れるまでの動向は、各地で目撃情報があるものの不明。
私が共和国でマレク・モンタンとして活動していた際に突如現れ、強硬派であり帝政思想筆頭のメレデント政省長官と結託し、選挙戦期間中に人間との戦争を継続させようとしていた強硬派候補を担ぎ上げ……」
「待て。それはイズミのしたことではないのか?」と閣下は撃鉄を起こした。
発砲までの時間をかけ、沸き起こる恐怖心を嬲るようにゆっくりと金属音を響かせるようにしている。
だが、ムーバリは瞬き一つしなかった。
「違います。嘘はついておりません。もちろん一度は手を取ったイズミと言う男の名誉のため、などとは微塵も思っておりません。
ですが、閣下が嘘だとお思いなら、今すぐその引き金をお握りください。その瞬間、少なくとも第二スヴェリア公民連邦国においてのみ私の言葉は全て嘘になります。
良く調べもせず事実をねじ伏せられたまま、永久に、独裁者の手によって」
ムーバリは微動だにせず、自らに向けられた黒光りする砲身を見つめた。カルルは震えだし、手元の銃はカチャカチャと音を立てている。震えた人差し指がその中に戸惑いを見せながらも引き金へと向かっている。
彼の心を真実が蝕む。それでも銃は下ろされることはない。
「つ、続けたまえ」
ベスパロワ家は長く北部にい過ぎたようだ。スヴェンニー特有の頑固さがうつってしまわれたようだ。
「強硬派および和平派の対立候補として挙げられていた保守派候補カスト・マゼルソンを殺害。自らの名前を知らしめろと語り逃走。
その際、金融省職員、およびイズミに傷害を負わせました。これには目撃者が大勢います。
尤も、そのほとんどがエルフですが。それ以外にシバサキは和平派候補の怪文書を回したり、
メディアを利用した世論誘導をしたり、その他さまざまな方法で支持者を強硬派へ引き込もうとしていました。
しかし、保守派候補の死亡により強硬派候補は精神的衰弱をきたし、最終的に全貌を暴露したのち立候補を辞退。
繰り上げ候補と和平派候補での選挙の結果、和平派候補の快勝。結果的に失敗に終わりましたが、その後も各地で争いを起こす原因を作り上げています」
「もういい」
カルルは制止したが、ムーバリは止まることはなかった。
「最近では、ある事業を立ち上げましたが、その雲行きが怪しくなるとすべての権限を部下に丸投げして連盟政府には無関係だと説明しております。その件に関しては商会の方がよくご存じかと。
話はだいぶさかのぼりますが、私がモットラとして所属している連盟政府の諜報部にかつて所属していたテレーズと名乗っていた女性との面識がありますね。
他には旧イスペイネ自治領にてシルベストレ家の使用人……」
「もういい! やめろ!」
カルルはついに銃を下ろした。引き金から指を遠ざけると、椅子に腰かけて頭を抱えた。
やはりカルル閣下も人間のようだ。どうやら恩人を犯罪者にしてしまったことに責任を感じているようだ。本当にイズミさんの責任なのだろうかという、薄々感じ取っていたそれに押しつぶされてしまったのだろう。
「ムーバリ上佐、止めたまえ。もう結構だ。下がれ」
「はっ。では下がらせていただきます」
ムーバリは表情を変えずに背筋を伸ばし敬礼をすると、テントを出て行こうとした。
「待て、ムーバリ。ムーバリ・ヒュランデル、待て。お前はこの商人の言うことも嘘ではないというのか?」
呼び止められたムーバリはきびきび振り返ると押し黙ったまま、カルルをまっすぐに見つめている。
沈黙で答えを得たのか、カルルは「そうか、わかった」と額を擦った。続けて「では、お前はイズミをどう見た?」と尋ねた。
「共和国で初めて会った時から思いましたが、あの男は馬鹿者です。私に対して皆が持つ基本的な感情すら持ち合わせていません。全くもって、嫌な奴です」
「そうか……」
カルル閣下は銃を下に向けて砲身横のレバーを動かすと、テーブルの上にそっと置いた。
「デコッキングしておいてくれ……」
そして、頭を両手でつかみ髪を後ろへ流すと、大きくため息をした。
命の恩人を犯罪者に仕立て、責めてしまったことへの大きな後悔をしているのが手に取るようにわかる。閣下はすぐさまイズミさんをここへ呼び出し釈明をするはずだ。
だが、それはすぐにはかなわないだろう。
彼はいまごろカミーユと逃走を図っているはずだ。私は十分な時間を作ることができたが、果たして彼らは逃げおおせたのだろうか。
テント内は静まりかえり、戦いに負けたわけではないはずなのに敗色濃い指揮所のような空気が立ちこめている。
閣下の呼び出しが先か、それとも脱走の緊急連絡が先か、それは気がかりだが、私の時間稼ぎはここまでのようだ。これ以上は不自然になる。イズミさんがうまくやっていると願おう。
俯いていた閣下が顔を上げた。そして、隅にいた伝令の方を向いた、まさにそのときだ。
「閣下、失礼いたします!」とイングマールの軍服を着た兵士がテントの中へ駈け込んで来たのだ。
「監禁していたヴィトー金融協会のカミーユ・ヴィトーが逃走しました!」
おっと、遅いですね。しかし、どうやらイズミさんは間に合ったようですね。