ノルデンヴィズ南部戦線 最終話
俺はアニエスから距離を取った。意味があるのかわからないが、二人のいる方向ではなく道の外へと大きく飛びのいた。
飛び散る足元の雪は以前降り注いでいた灰が混じり汚い色をしている。一度溶けて気温の低下により再び固まったのか、汚い水の下は凍り付いていて滑りそうになった。少し戦いづらいかもしれない。
ここまで灰が飛んでくるとはいったいどれほどの規模の噴火だったのだろうか。まき散らされた物は灰だけではないはず。
転びそうな足を踏ん張るとふと気が付いた。
そうか。火山性のガスだ! 大気中にばらまかれたそれが太陽光を遮っているから、トナカイが南下できるのだ!
このままではティルナとカミュがあのトナカイたちに追いつかれてしまう。なんとしてでも彼らトナカイの戦士たちを止めなければ。季節こそ一つ飛ばしで真冬だが今はまだトナカイたちの目は夏の目のはずだ。
今は夜中で、夏の目色の彼らにとって夜は普段よりも暗く見えている。そこへ突然強烈な光が現れたら驚かせるくらいはできるかもしれない。
出来る限り広範囲に強烈な光、照明弾よりもさらに強い光を放てばトナカイたちは驚いて止まるはずだ。彼らには可哀そうだが、強い発光で目がつぶれてしまうかもしれない。しかし、こちらも事情がある。戦いが収まったら治しに行ってやるから許してくれ。
そう思いつつ、トナカイたちの前に抜け駆けんと強化魔法を足に掛け、地面を大きく踏み込んだ。
しかし、すぐに動きを察したのか、アニエスもすぐそばまでかけてきた。彼女の移動方法は移動魔法ではないようだが、目では追えない程のすさまじい速さだ。あっという間に距離を詰めると杖を持つ右手を狙って氷塊を放ってきた。
空を切る音はすさまじく、当たれば痛いではすまなさそうな威力だ。回避するためには詠唱を中断するしかない。これが繰り返されてしまっては強力な発光魔法を唱えることはできない。
走り回避しながらふと上空を見上げると、照明弾はまだ空高くにある。
俺は強化魔法を足にさらにかけ高く飛びあがり、そこを目指した。
「照明には手を出させません!」と追いかけるようにアニエスが叫ぶ声が下から聞こえ、杖をまっすぐ俺に向けた。だが、杖を掲げたまま止まったのだ。
かかった! 俺は照明弾を消し飛ばそうとしたんじゃない!
彼女から見て俺は今、逆光の位置にいる。下手に魔法を撃てば照明弾に当たり自ら消してしまうのだ。だから彼女は魔法を撃てない。その強すぎる実力を逆に利用したのだ。
どれほど高く上がったのか、ゆっくりと落ちていく照明弾と同じ高さまで来た。空中で落ちる直前で静止した瞬間、またしても杖にまたがり、わずかに杖先を傾けて前かがみになった。杖の後方から炎を出して勢いをつけ、さらに落下が始まると同時に炎の出る杖の端を上に向けた。
速度はぐんぐん上がり、すさまじい風圧と熱が襲う。生身でパワーダイブするのはまずい。だが基地から出るときに掛けた強化魔法がわずかに残っていたのでおかげほんの数十秒のそれを耐えきることができた。上がりに上がった速度ではアニエスも狙い撃ちできまい。
そしてついにトナカイたちの前方の上空へと躍り出ることができた。またがっていた杖から降り、右手でトナカイの方へと杖先を向けた。そして、その瞬間、強く目を閉じ照明弾よりも何倍にも強烈な光を放った。目を閉じていても瞼越しに光りが見える。
数秒間照射し続けた後、目を明けると足元のトナカイたちは突然の光りに驚いた様子で、走るのをやめてしまったり、前足を高く上げて転んだりしている。だが、夏目のおかげで目は見えているようだ。立ち直り追いかけ始めるだろう。だがすぐにではないはずだ。何とか時間稼ぎにはなった。
「ノルデンヴィズまで走れ! 全力だ!」
アニエスと撃ちあっている間にだいぶ進んでくれたようだ。もはや米粒ほども見えていない、ティルナとカミュにそう叫んだ。
これでカミュとティルナ、ノルデンヴィズに着く。そして、ヤシマに頼んでおいた移動魔法でユニオンへ逃げられるはずだ。
風の中で二人を見送っているうちに見る見る地面が近づいてきた。落下していたことを忘れていた。
慌てふためているうちにいよいよ衝突の直前になり、地面に向けて強烈な炎熱系の魔法を放ち落下の勢いを殺したが、少しばかり速かったのか、うまく着地はできず尻から落ちてしまった。
思い切り巻上げた土埃の中で態勢をなんとか整えると、目の前を漂う埃を風で飛ばした。
晴れ上がらせた土埃が広がり薄くなると、そこへ目を光らせたアニエスがゆらゆらと近づいてくる。すぐにでも次なる魔法が来るに違いない。急いで立て直し彼女へ杖を向けようとした。
しかし、彼女は少し離れたところで立ち止まった。
「どうしても逃がすというのですね?」
「悪いな。どうしてもだ。あの二人は大事な友達なんだよ」
その言葉を聞いたアニエスはピクリと震えたように見えた。だがわずかに隙ができたので、服についた埃を払い、杖を前に構えた。
「カルルさんに敵対したいわけじゃない。でもあの二人は助けなければいけない。アニエスが立ちはだかってもな」
「大事な友達……ですか。わかりました。ならば私は全力であの二人を捕まえます。あなたを捕まえてから、ゆっくりと。どこへ逃げようとも私からは逃げられません」
そう言いながら杖を前に掲げると、中間と端を持った。毛が逆立っているのか、彼女の姿が膨らんで見えたような気がした。明らかに彼女の雰囲気が変わったのだ。
何がそうさせたのか、それは俺には分からないが、彼女は本気になったようだ。
「“針無し銀時計”ダリダ・フェリタロッサが一人娘にして最後の時空系魔法継承者“羅天の銀時計”アニエス・モギレフスキー。推して参ります!」
杖を強く握り、大きく息を吸い込んでいる。
それからしばらく微動だにしなかった彼女は、突然土を蹴り駆け出した。土を弾き飛ばすような音はまるで砲弾が直撃したようなもので、その音とともに彼女は視界から姿を消したのだ。