ノルデンヴィズ南部戦線 第二十五話
ノルデンヴィズまでの道中は彼女に立ちはだかられる前に逃げきってしまいたかった。だがそれは限りなく不可能であることは薄々と分かっていた。
アニエスは俺と同じように移動魔法を使える。逃げられる、という考え方自体間違っているのだ。
かといって彼女に遭遇してしまった時にどうするかなど、考えていない。
説得すれば何とかなる、俺の話なら聞いてくれる、などと言うのは思い上がりだと分かっていても、どこかでそうしようと考えている。
またしても放ったらかしにしてしまい挙句逃げ出してしまうのかという後ろめたさもあり、俺は現れてくれたことに少しだけホッとしたところもあるのだ。
だが、再会により様々な感情に浸るのもつかの間、「逃がしません!」と彼女は再び杖を回して走り去ろうとしている馬の方へとかざした。すると小さいが密度の濃い青白い魔法陣が出現した。
させてなるものか。恐らく彼女の得意な氷雪系を放つはずだ。すかさずに打ち消す様に俺も杖をかざし、青白い魔法陣を繰り出した。
「炎熱系ですか!? 無駄です! 溶けきる前に当ててしまいます!」
「それは後だ!」
アニエスが氷塊を放つと同時に俺も詠唱が終わり、杖の先から白い波動を繰り出した。彼女の氷塊発射から僅かに遅れて放たれたその魔法は、馬に向って放たれたアニエスの氷塊を恐るべき速度で空気を震わせ追いかけ始める。
そして追いつくと氷塊を絡めとり、地に落とした。
氷塊よりもさらに温度の低い冷気を放ち、彼女の氷の塊ごとその一帯の空気を凍らせたのだ。
氷の塊が地面に落ちて砕けた瞬間、今度は熱を与えその氷の塊と凍り付いた空気、それから周囲に積もっていた雪を一斉に溶かした。
すると白い湯気が巻き起こり辺り一帯を包み、俺とアニエスの視界をふさいだ。そして追い打ちをかけるように杖の先を思い切り光らせた。照明がその湯気を照らすと辺り一面が反射しきらきらと輝いている。
湯気で視界は遮られているはずだ。ティルナとカミュが乗った馬のいる方向へ俺は声を上げた。
「ノルデンヴィズに着いたら、街の外でヤシマに会え! あいつの移動魔法でラド・デル・マルに送ってもらえ!」
こういう事態を想定していたわけではないが、何かあった時のためにヤシマをノルデンヴィズに待機させていたのだ。聞こえたかはわからない。届いているはずだと信じるしかない。
だが、突風が吹き荒れると湯気は風に乗り流れ始めた。そしてその中から誰かがこちらへ真っすぐ向ってきている影が見える。その影が再び杖を振ると、風が吹き荒れて湯気は消え去った。
そして、そこから現れた人影は目の前で仁王立ちすると、
「腕を上げましたね。イズミさん。私と訓練していたころの比ではありませんね」
と杖を掲げている。
「おかげさまで。基本的な使い方を教えてくれてありがとよ。俺もいつまでもヘタレてるわけにはいかないんでね。俺は二人を意地でも逃がす! 君が前に立ちはだかってもな」
すると彼女は杖を大きく天に掲げた。
何を仕掛けてくるのか、杖を握りなおし低く構えた。その瞬間、アニエスは強い光の玉を打ち上げたのだ。光の球はあっという間に天高く登り、辺りはお互いの顔がはっきりと見える程に明るくなり、遠くのティルナ達もわずかに見えるほどになった。どうやら照明弾を撃ったようだ。
「北部の豪傑たち、ビョウルトゥンたちに場所を知らせました。すぐに彼女たちは捕らえられます」と言うと間髪入れずに氷雪系の魔法を撃ってきた。
どうやら戦うしかないようだ。彼女が相手では移動魔法使えない。使ったところで至近距離連続使用で起きるポータルラグを利用されて引き戻されてしまうはずだ。だが使えないのは彼女も同じはずだ。逃げられはしない。
実力で言えば、俺は負ける気がしない。だが、俺にアニエスを攻撃できるのか。できるわけがない!
しかし、彼女は殺気のこもった氷塊を何度も投げつけて、本気で俺を狙ってきている。
とにかく今はティルナとカミュを逃がさなければ、そのための時間稼ぎだ!
この戦いの勝敗については後で考えればいい。二人が逃げた後に、負けてどさくさで逃げてもいいくらいだ。
突如背後から力強い蹄の足音が聞こえ始めた。それはすぐに大きくなり、俺とアニエスがにじり合っているそばを四つ足の灰色の何かが取り囲んだ。
牛でもなければ馬でもないような鈍器のような角が生えており、乱暴に首を振るたびにそれは左右に振り回されている。
体は大きく、馬の三倍ほどはありそうだ。毛深い体は体温を逃がさないようにするために空気で膨らみ、大きさをより一層際立たせている。
上に乗っている人間は筋肉質で武器の大きさからすれば小柄ではないようだが、彼らさえも小さく見えるほどだ。
威嚇する彼らに向かいアニエスは右手を大きく振ると、「手出し無用です。この人は私の標的です! 私に構わず、ビョルトゥンの皆さんはそのまま前進しなさい! トナカイでも今の状況なら、あなたたちなら確実に追いつけます! 逃がせばヴァルハラに居場所はないと思いなさい!」と掛け声をあげた。
トナカイだと!?
その不気味なまでの大きさはスヴェンニーが品種改良したのは知っている。
しかし、なぜ!? 南限はもっと北のはずだ!
早雪とはいえ、まだ日差しは夏を過ぎたばかりだ。季節の明るさに順応しているとは言え、まだ彼らの目には負担ではないのか!?
それに、追いつけるはずはない! 馬よりトナカイが速いはずがない。
またがる戦士たちはすぐさま手綱を握りトナカイの脇腹を蹴ると走り出した。
しかし、再び走り出し横を通り過ぎていくトナカイたちは雪だけでなくその下の土まで巻き上げると、あっという間に加速していき、異様に速く小さくなっていった。
さきほど並走していた馬とは明らかに速度が違う。トナカイには熊や狼の毛皮を着た戦士たちがまたがり、片手斧、長い槍やウルフバートを持っている。彼らは武器を除けば軽装だ。
一方のティルナとカミュは二人乗りでしかも重い大剣をそれぞれ持っている。いくら馬の馬力があろうとも、重たいものを乗せて走ることで遅くなっているのだ!
このままではまずい。追いつかれてしまう!
トナカイがここにいる理由を探っている暇はない。とにかく時間稼ぎをして、ティルナとカミュを逃がさなければ。