ノルデンヴィズ南部戦線 第二十四話
もはややけっぱちで気まで大きくなっていた俺は、二人に続いて駆け出そうとした。
しかし、まだつないだままだったテント内側で、ポータルを閉じる直前に俺は耳を疑いたくなることを聞いてしまったのだ。
「こいつらは移動魔法を使うぞ! 例のあいつらだ! 逃げられる! アニエス・モギレフスキー特殊隊長を呼べ!」
アニエス!? 移動魔法という単語の後に出てくるそのアニエスは彼女で間違いないはずだ。
なぜだ? なぜ彼女はカルル側についたのだ?
だが、少し考えればその状況を理解することができるではないか。理解できなかったのではなく、したくなかっただけにもすぐ気が付いた。
そうか、彼女はカルル側についたのか。ブルンベイクはもとよりカルルの支持者たちしかいない。
さらにその中でモギレフスキー家はカルルを匿っていた。町人たちはそれを知っていたが、誰かに漏らすことはなかった。カトウもブルンベイクの雄氏が後押ししたと言っていたのだ。その娘が参加しないとは言い切れない。
残念だ。聞きたくなかった名前だ。どちらにつく、ではなく、彼女にはただのパン屋の娘でいてほしかった。
放ったらかしにして、しばらく会えなくなって、連絡を入れなかった挙句、こんな形で再会するとは。
最悪なことをして、さらに最悪なこと再会になってしまった。今日は最悪の再開が多い日だ。
状況はすぐさま理解はできたが、受け入れられない。足元を見つめ、下唇を噛むと鉄の味がする。しかし、のんびり血の味に浸っている場合ではない。
もはや仕方がないことなのだ。時代を言い訳にしたくはないが、ここにいる兵士たちもこの離反で分断され同じような思いをした奴もいるはずだ。
自分だけではないのだ! とにかく今は逃げろ!
カミュを抱えるティルナは、基地内をひたすらに出口へ向かって走り始めている。遅れまいと俺も走り出した。
騒ぎに立ち止まり振り向く兵士や先回りして銃口を向けてくる兵士を無差別にふっ飛ばしながら通路を駆け抜けた。ティルナはと言うと、ユニオン国旗のワッペンをわざとらしく、これでもかとたくさん落としながら駆け抜けていた。
そして、入り口にたどり着いたとき、「これからどうする!?」と尋ねると、ティルナに近くにつながれていた尾花栗毛の大きな馬にカミュを載せた。
突然のことに驚いたようで馬は鼻の穴を広げふんふんと呻っている。ティルナは馬の顔を両手で抱きしめて、そっとおでこを付けた。そしておとなしくなった馬にまたがると、「イズミさん、あなたも早く馬に乗ってください!」と馬上から叫んだ。
しかし、俺は馬に乗れない。どうしたものか悩んでいると杖がぐっと俺を引っ張ったような気がした。
「無理! 俺馬操れない! あんまりやりたくないけど、杖にまたがって並走する!」と杖の形を無理やり変えて長さを辛うじてまたがれる程度まで伸ばして両足に挟んだ。
拒否されるのではないかと嫌な予感もあったが、杖は俺の意志をくみ取ってくれたようだ。またがり地面を軽く蹴ると20センチほど宙に浮き始めた。
ティルナは、ふざけているのではないかと怪訝に俺を見つめていたが、うまく跨がれたのを見ると前を向いた。そして手綱を握るとすぐさま馬の脇腹を蹴り、力強く走り出させた。
それに続くようにまたがった杖の重心を前に傾けると前進し始めた。賢い杖でよかった。出会いは最悪だったが、やはり高い杖は素晴らしいようだ。
並走しながら後ろを確認すると、基地から兵士たちが追いかけてきているのが見えた。さらに銃も撃っているのか、パンパンと破裂音の後辺りの地面が時々弾き飛ばされている。
ブーツに弾丸がかすったのか、バッと右足から弾ける様な音がした。強化魔法のおかげで無事だが、数で撃たれてしまったら危ない。
「ある程度離れるまで灯りは点けるな! 暗ければ銃の照準もあわないはずだ! 俺は馬の後方に回って二人とも魔法で守るから、全力で駆けろ!」
杖のスピードを落とし、馬の後ろに回り込んだ。そしてタイミングを合わせるかのように馬は力強く地を蹴り始め白い尾をたなびかせ、杖は砂ぼこりを上げながら暗闇の中へと進んだ。
馬の足音はドドドッと軽快ではなく、太い後ろ脚で蹴り上げる土の量も多く、やや重そうに走っている。やはり大剣二つに大人二人は重たいのか、イマイチスピードが出ていない様子だ。またがり追走する杖ももっとスピードを出せそうだが、どうも抑え気味になっている。
しかし、それでも前線基地からの距離は取ることができた。背後にわずかに明かりが見える程度になり撃ってきていた銃弾も止んだので、馬の横に並び前方を照らす様に杖先を光らせた。
ティルナも同時にランタンを付けて前を照らし始めた。このまま一時間ほど走ればノルデンヴィズに到着できるはずだ。前方を先ほどよりも明るく広く照らした。
だが、その暗い闇の中に人が現れたのだ。
そして、誰かとわかる間もなく、青白い何かが俺とティルナたちの馬との間を通り過ぎて行った。それを除けるために俺たちは分かれてしまった。
「二人は止まるな! そのまま進め!」と叫んだあと、慌てて杖を止めて、地面に降り杖を握りなおして照明を人影の方へ向けた。
暗闇の中に浮かぶ光に照らされた顔は口を固く閉じ、まっすぐに俺を見つめている。使命を帯びたその眼差しから視線を外すことができない。
クリップでまとめられた赤い髪、独特な形の自作の杖、服装は灰色の軍服を着ていた。他とは違う作りで右前のダブルボタンで首までしっかりと防寒がされている。
見慣れた彼女ではなく、その姿は戦いに参加する勇敢な、そして強い一人の戦士のようだ。
アニエスだ。アニエス・モギレフスキーだ!