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なぎさにまつわる 第二話

第11話です。

引き続き転生前のお話です。

「おーす、なぎさちゃん。何やっての?」

「和泉くん?実習の準備だよ。学部生の面倒もあるからね。年内最後の実習!」

「終われば学生は冬休みかぁ。いいなぁ」


 大学の中でなぎさと顔を合わせて立ち話をしている時だ。俺たちの姿を見て周りの人たちがひそひそと何かを話しているようだった。

 なんだろうと、そちらを見ると一斉に視線をそらした。


「なんかあったの?」

「さぁ? 私は知らないけど?」


 立ち話をしている俺たち二人を好奇の目で見ているのは肌で感じるほどだ。なぎさの結婚を桜子に伝え、職場に話が伝わったころからだろうか、そのようなことがしばしば起こるようになっていった。ただの被害妄想だろうとできる限り意識しないようにして、放っておけばいずれ何とかなるだろうと考えていた。

 しかし、考えとは裏腹に日が経つにつれてエスカレートしていき、とうとう俺は同じ部署の人間から次第に邪険に扱われるようになった。誰かに話しかけても無視をされるか、目を泳がせた後、いまはちょっと、とあいまいに濁されるような返事ばかりされるようになっていった。


 様子がおかしいのは俺だけではなかった。

 ちょっとした用事を伝えるためSNSでなぎさに連絡を取ると、疲れてきたという発言が増えてきて、そしていつしか「辞めたい」と言う言葉を会話の節々で口にするようになっていった。何が嫌で辞めるのかは俺にはわからなくて、「それも選択肢の一つだと思うよ」などと止めもしないし背中を押すわけでもない回答を繰り返した。何も知らなかった俺は前向きななぎさの口から出るそんな言葉が信じられず、そして嫌だった。きっと本当にただただ疲れているだけだろう、そう思っていた。


 悩むなぎさのことなど知らず、部署にもすっかり居づらくなってしばらく経ったある日、俺は教授に呼び出された。

 俺が教授室に入ると、怒り肩になった教授はデスクに座ったまま表情無く睨みつけてきた。見ればわかるほどに怒っている。何か粗相をしたのか、しかし思い当たる節はない。

教授は目を閉じてゆっくりと口を開いた。


「和泉先生さ、なんで呼ばれたかはわかるよね?」

「い、いえ。わ、わかりません」


 鼻から息を大きく吸い込んだかと思うと、思い切り机を叩いた。

 すさまじい音に机の上の道具は踊り、隅のほうからは書類がバサバサと落ちて行った。突然の大きな物音に体が小さく飛び上がり汗が拭きだして、目に浮かぶ動揺の色が自分でもわかるほど隠せない。


「嘘をつくな。お前は不倫しているそうじゃないか。どういうことなんだ。説明してもらおうか」


 教授の言葉に耳を疑った。俺が誰と不倫をしているというのだろうか。

 教授は声を張り上げず穏やかに言おうとしていた。しかし、絞り出すかのようで決して大きいものではないが、うち震えたその声にはおぞましいまでの怒りを感じる。俺は理解が追い付かず口ごもると、教授はさらに表情を鋭くしていった。


「今度結婚する嶋津渚とお前は不倫しているのだろう? 結婚前に不倫と言うのはどういうことだ。その話はもうかなり広まってしまっている。お前一人が落ちていくならまだしも、部署全体にまで話が及んでいる。嶋津の所属するところとの関係にも傷がつきかねない。まったく、お前のような人の道から外れた奴が部下にいるから私の評価が落ちるのだよ。学部長選考投票に影響が出たらどうするつもりだ!」


 俺は何も言えなくなった。

 その後は教授が何を言っていたのか、全く覚えていない。はい以外は教授の耳には届かないのでただ生返事ばかりしていた。


 話が終わり部署の一角を占めている教授室から出ると、聞き耳を立てていたと言わんばかりの静けさの中で、集まっていた視線が一斉に四方へ飛び散って行った。何も知らない、何も聞いていない、とすました顔が机に並んでいる。

 あることないことを盛りに盛った話に、さらに面白半分でつけられた尻尾が耳から耳へと運ばれ、誰もが知っている熱い話題となっていたようだ。


 俺はなぎさに申し訳ないことをしてしまった。なぎさの結婚に支障が出ないだろうか、俺はとにかくそれだけが心配だった。

 ことが明るみに出ると、まるで当たり前の話のネタのように口々に話されるようになっていった。俺が否定してもまるで聞いていない。そうなって俺は強く感じて理解した。人間は人の不幸が面白くて仕方ないのだなと。面白くなければ受け入れようともしないで、面白いほうを事実にすり替えていくのだ。


 なぎさは職場で不倫の話をされ続け、ほとんどいじめともとれることをされていたらしい。そしてやめたい、やめたいと連呼するようになった。前向きななぎさですら精神的に来てしまったようだった。

 それでもなぎさは俺を避けたりはしなかったし、俺も前向きな気持ちにさせてくれるなぎさを避けることはできなかった。以前のように友人としてつるむことはできなくなったが、俺たちは友人であり続けようとした。

 それを間違いであると気づいていながらも、俺たちは半ば自棄になっていたのだろう。


 だいたいどこの大学にも学生、職員を問わずハラスメントの対策を行う組織がある。耐えかねた俺はそこに相談することにした。


 ホームページの片隅にひっそりと、見落としそうなほど小さな文字で掲載された、大学名のドメインすら書かれていないアドレスにメールを送ると一週間後ほど後に場所と日時だけが記載された短い返信が来た。


 そして呼び出され面談を行う日が来た。

 昼になるより少し早いくらいの晴れた午前中。廊下をふさぐように置かれた埃だらけの段ボールをよけてたどり着いた先にある部屋には、向かい合うようにおかれた二つの長机とパイプ椅子が置いてあった。しばらく使われていなかったのか、机の上を指でなぞると線が描けた。鼻につく埃の匂いもする。


 そこでしばらく待っていると、錆びついたドアが悲鳴をあげて開き誰かが入ってきた。あの~、と言うか細い声がするほうを向くと、ぼんやりとした印象の女性が怪訝そうな顔をして入ってきた。そして目が合うと悲鳴を上げ小さく飛びのいた。

 ドアをそっと閉めると俺から視線を外さず、避けながら向かいの椅子に座った。


「ど、どうなさたっんですかぁー……?」


 聞き取れるかどうかもわからないほど小さな声。机の上にはメモと書類とボイスレコーダーが置かれて面談が始まった。

 言われたこと、されたこと、流されている嘘の噂のこと。事態のあらましをすべて話した。その女性は最初は膝の上に手を置いて背筋をぴんと伸ばし丁寧に話を聞いているようだったが、次第に飽きはじめたのか、前髪をいじりだした。


 話し終わると、「?? そうなんですかぁー、うーん??」と頭を左右に傾けて激しく瞬きをした。

 言わなければ、何としても伝えなければという思いが先行して、早口で支離滅裂になってしまっていたようだ。俺の説明のせいで彼女は何が何だかわかっていないようだ。髪をかき上げてううん、と唸った後


「でも、火のないところには煙が立たないって言うから怪しい行動はしないほうがいいですよぉ?」


 そのあと、わかりましたぁ、後程ご連絡差し上げます、と返事をして机の上の書類をトントンとまとめ、記録用のボイスレコーダーのスイッチを切った。

 すると急に鼻息を荒くし、目をキラキラと輝かせ始めた。面談中からは考えられないほどはきはきとした話しぶりで


「でもでも、でもですよっ!? 実際どうなんですか? ここから先は記録しませんから、ねっ? ねっ? 大丈夫ですよ! ねっ!?」


 これはもうダメだ。俺はあきれ返って両手を見下ろした。


 面談をした女性は鼻息をさらに荒立てたかと思うと、恍惚なため息混じりに胸いっぱいの思いを饒舌に語りだした。


「不倫って、不倫てなんか憧れますよね!? しかも結婚前のマリッジブルーのときってやっぱり欲求不満になるんですね!! きゃあああ! 結婚決まった途端、友達だった男が急にかっこよく見えてきて、そして燃えがっちゃうんですよね! なんか、愛に生きてるって感じで! 悪女って感じのとはちょっと違うカッコよさがありますよね! はぁぁ~ん! 今回ね、私も事前に調べたときに誰が言い始めたか調べたんですよ! 結局おもしろくなっちゃって! そしたら和泉さんの同期の方の()()()()()って言う人が」



 今、なんて言った。

 時が止まったような、気がした。俺の耳には確かに桜子の名前が聞こえた。


「あ」



 対策組織の人はその瞬間、とめどなく流れ出させていた言葉を詰まらせて、あ、わ、と小さく震えだした。目に涙を溜めて、顔が青ざめていく。


「さようならーーー!」


 いきなりその女性は部屋から飛び出していった。


 俺は部屋の中で硬直したままになってしまった。


 ありもしない嘘のうわさを流していたのは、桜子だった。

 桜子はなぎさの友達のはずだ。

 なぜだ。どうしてだ。信じがたい。そうでなくて信じたくない。

 しかし、思い当たる節が皆無ではない。それが不愉快でしかたない。


 混乱の中で思い浮かぶのはなぎさの顔だ。

 なぎさは知っているのか。知らせていいのだろうか。

 いいわけがない。人生の門出をこんな形で俺は壊したくない。

 神に指示されたとしても、俺が言わなければ世界が滅ぶとしても、俺自身の口からはそれを伝えたくない。


 何度も言うが桜子はなぎさの友達だ。

 なぎさは結婚式のスピーチを本当は桜子に頼みたかったはずだ。


 机に肘をついて下を向いた。遠くから音が聞こえる。

 昼前の雑踏が騒がしくなってきても、隅に追いやられたその部屋だけはいつまでも時間が止まっているようだった。


 それ以来、連絡も進展もない日々が過ぎた。

 おそらく、対策組織の女性はうっかり言ってしまったことに引け目を感じているのだろう。ハラスメントの相談は、自分から言いさえしなければ匿名性が確保されている。もし、ここで俺が動いて声を上げれば、匿名性は失われ、さまざまなところから報復されるのは目に見える。黙ってさえいればいずれどこかへ落ち着く。そういうことだろう。

読んでくれてありがとうございました。

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