ノルデンヴィズ南部戦線 第十九話
「えーと、何さん?」
「じ、自分はイルマ・ユカライネン下尉であります!」
名前を尋ねると左右にわずかに揺れた後、背筋を伸ばして掌を前に向け敬礼をした。表情筋を力ませているのか、オトガイに梅干しができそうなほど口をへの字にしている。
案内された広い場所に到着すると、そこはいくつか灯りがともされており、辺りの地面はところどころえぐれて水たまりが数か所できている。簡易の訓練エリアなのだろう。
イルマ下尉(おそらく少尉に相当?)は灰色の軍服にウシャンカを被っている。先ほど俺をウミツバメ亭から連行した五人のうちの一人だ。
制服とウシャンカについていた連盟政府のワッペンは綺麗にはがされ、そこは少ない物資の中で調達したのかピンク色の糸で修繕されている。
制服のサイズがあっていないのか、とても窮屈そうで敬礼のときに腕を上げると上着の裾が10センチほど持ち上がり、インナーをちらつかせている。
ぴったりのウシャンカには、橙に近い茶色の髪がぎゅうぎゅうにまとめられて押し込まれていて、もみあげのあるあたりから余った毛束を左右に二本はみ出させていた。
そこに連なる肌はやや青に近い白で髪色をより際立たせている。オージーやアンネリにも引けを取らないその肌はどうやら彼女も生粋のスヴェンニーのようだ。顔はまだ丸く、まだそばかす頬っぺたには子ども特有の成長期のころころとしたあどけなさが残っている。
「魔法使いで若いのに尉官か。やっぱり魔法使いは少ないのか?」
「自分が所属する旧イングマール自治領は魔法使いがあまり従軍していないので、身に余る階級だと自覚しているであります!」
そう彼女は謙遜しつつも、少しばかり嬉しそうに口角を上げていてどこか誇らしげだ。
出兵前に両親の前で軍服と階級章を見せてくるくる回っていそうだ、と勝手に妄想した。
イングマールとは言えばかつてはカルルの自治領だ。スヴェンニーの彼女がいて、魔法使いが少ないと言うことははるか昔のスヴェリア連邦国の一部だったのだろう。
過去の文献が出回った経緯を考えると、きっと自分たちの祖先は広啓派か神秘派かもわかっているはずだ。論争の爆心地ではないが、燃料になった話題だ。あまり触れないほうがいい。
「そういえば、もう一人の男の人は?」
「オスカリ・ウトリオ上尉だ。同じくイングマールだ。氷雪系魔法が得意だ。インラグド・シルが好物だ」
名前を尋ねたのが聞こえたのか、のしのしと近づいてきて、さらに尋ねてもいないのに好物を紹介してきた。
意外な発言に驚いて彼を見上げてしまった。口角泡を飛ばす汗くさい軍服のオッサンぐらいにしか思っていなかったが、改めて見ると彼女より十ばかり上なのだろう。だが少なくとも俺よりは若い。
四角い顔は話し方をそのまま体に著したように堅牢で、まさに軍人と言った感じだ。
だが、部下のお願いには甘いという、どこかに抜けたところがあるのが分かる。
大きな体は190センチ以上あるだろう。広い肩幅も相まって近づくたびに山が迫ってくるような迫力がある。
濃い茶色の短髪で切り揃えられたばかりなのだろうか、まだ短く硬く帽子にチクチクとしているのが気になるのか、微動だにしない監視中の瞬き以外の動作で帽子を弄る動きをすることがある。
彼もまた灰色で、引きはがされた連盟政府のワッペンの場所はイルマとは異なり、ほつれたままで直されていない。そして、二人とも連盟のワッペンでは無いが同じ紋章を付けている。アオガラとルリガラが向かい合うようなマークはイングマールの物だろう。
「イルマ少尉とオスカリ大尉、わかった。よろしく」と握手をしようと右手を差し出した。
すかさず下尉殿はニカッと笑顔になり、「自分はラグムンクとカネルブッレが好物です!」とすっと握手をしようと右手を出してきたが、上尉殿は険しい顔のまま腕を組んで動かない。彼女は上官の姿を見るや否や、へぇっと口をまげて猫背になり下尉は右手をゆっくりと引っ込め縮こまってしまった。
「あー、うん、まぁよろしく。俺は、えーと、ギンダラの西京漬けが……」と俺も腕をひっこめて後頭部を掻いてしまった。厳しいのか、気さくなのかわからない男だ。
「早速始めさせてもらうんだけど、イルマ下尉殿の得意な雷鳴系の魔法は便利なものが多い。単に雷をゴロゴロ言わせるだけじゃない。電気の力を……いや、まだ電気はここにはないのか? 物をくっつけることもできる。それはもちろん磁石……なんかくっつく石みたいな金属だけじゃない。痺れさせたり、強烈な光も出せたりもする……」
微塵も難しくない話を少しでも立派に見せるために、前口上をできるだけくどくどと迂遠に、そして御託交じりに横文字漢字を並べて話していると、イルマ下尉はまじめにも真剣に聞き始め、メモまで取り始めた。
上尉殿もこれは意外にも聞いてくれているのか、山の上の大きな石が揺れているように時々うんうんと頷いていた。
身振り手振りを交えて大げさに15分ほど話した後、実践に移ることにした。
「じゃちょっとやってみるから。俺が得意なのは炎熱系でそこまで強いのは出せないから、ちょっとしたもんだけど、杖先をよーく見てて。絶対目を離しちゃダメよ」と二人を横に並ばせて杖の先をひとけの無い方へ向けた。
俺はそーれっと掛け声の後、杖を振った。同時に目をつぶるとパチッと音と共に瞼の裏側が何度か白くなり、何かが倒れる音がした。