ノルデンヴィズ南部戦線 第十七話
「確かに無煙火薬の原料は少ない。しかし、原料採取に住民たちは積極的だ。そしてその住民たちもスヴェンニーが多い。割合で言えば四割近い。
かつて袂を分かった彼らと迫害を助長した貴様らトバイアス・ザカライア商会は犬猿の仲ではないのか? 何かまた搾取するつもりではないかと警戒するに決まっている」
自らを落ち着かせるように言うと、カルルはゆるりと椅子に腰かけた。
「スヴェンニーでもないあなたがかつてのスヴェリア連邦国と言う名前を使ったのは、スヴェンニーたちの協力が大きいからですものね。多いのも頷けます。
前支部長が落ちた馬も、彼らには貴重な良く躾けられた数少ないとても賢い馬だそうですね。
ですが、生憎、私はまだ若く、口伝さえも消えかけているそんな歴史のことなど知りもません。
それを知らないことは、無知ではなく、誰も知らないのです。時代は変わるのですよ? アホウドリたちが禁忌を冒して空を飛んだように。賢者は歴史に学びます。あなたは賢く、その歴史を知ったのでしょう。
しかし、その賢さゆえに歴史に縛られているのでしょうね。イズミと言う男は逃げても後で時間をかければ捕まえられます。
ですが、これまで刻まれたことのない今という歴史の好機は一度逃せば次はないかもしれませんよ。私も商会ではそれなりに立場についているので、プライベートをあまりのんびり満喫していられないのですよ。
それでも、嵌められたことを私情にまみれたその手で裁きたいですか?
そして私は今、そのトバイアス・ザカライア商会の者ではなく、一個人レア・ベッテルハイムとしてここにいます。賢い閣下ならお分かりになるはずですよ。ふふふ」
カルルを圧倒するレアが、間隣に並んでいるにもかかわらずまるで遠くにいる巨人のように見える。
「さぁ、いかがなさいますか? 閣下?」
小首をかしげて目を細めて笑っている。しかし、その瞼の間に見える瞳に優しく笑いかけようという意志はなく、どこまでも引きずり込むような邪悪なものが輝いている。
カルルは首を上げ、逆立つ髪を押さえているように見える。生唾を飲み込む、その音さえも聞こえてくるようだ。
しばらく沈黙が訪れた。二人の状況を見守ることしかできないのは、俺だけでなく指揮官たちも同じようだ。ただただ固唾を飲み、カルルとレアを交互に見つめることしかできない。
明らかに動揺を抑えきれていないカルルは、自らの立場故にそれを隠し通そうとしている。だが、沈黙の中で集まるいくつもの視線たちはそれを増幅し彼の意思に反して色濃くしている。
抗いようがない。カルルの考えは決まっているはずだ。
「狡い商人どもめ。よかろう。イズミを外へ追い出せ。移動魔法が使えるので閉じ込めておくのは不可能だが、この商人と話が済むまで監視を付けて移動魔法を使わせるな! 基地から出してはならん。その男には聞くことがある。いいな!」
この瞬間、トバイアス・ザカライア商会はこの離反の支配者となることが決まったのだ。勝敗ではなく、そこにある利益はすべて彼らの手中に収まるのだろう。
「閣下の御手に、偉大なる未来を」
勝利の笑みか、レアは目じりにしわが寄るほどの笑いを浮かべた。これまでの黒い水を湛えたような深淵ではなく、包み込むような、だがそれでいて寛容ではなく、それを覆い隠すことすらない表情をしている。
すべては彼女の小さな掌の中に落ちたのだ。
跪いていたレアはすっと立ち上がった。
「左様でございますか。では、さっそくイズミさんを外へお連れしましょう」と俺の方へ向きなおった。これから俺はどうなるのだろうか。摘まみだされるだけではないだろう。
その時だ。レアがウィンクしたのだ。
その刹那だけ、会ったばかりのころのような気さくな彼女に戻っていた気がした。コロコロと変わるその中で、わずかに見せた彼女の隙のようなそれに、えっ、と動きが止まってしまった。
灰色の軍服が俺を外へ連行しようと二人ほど近づいてきたが、レアは右手で彼らを制止して、「私も協力しますよ。せめてもの友人ですので、私の手で外へ出しましょう。移動魔法も封じる秘密の手段がありますので」と笑顔になり、素早い動きで腕を抑え込んできた。
小さな体とは思えないほどの力で抑え込まれてしまい、身動きが取れない。
そして手を無理やり掴まれてしまい、彼女に連れられて歩くことしかできなくなってしまった。下手に抵抗すると骨を折られてしまいそうだ。
しかし、入り口近くになったとき、俺は彼女のウィンクの意味を理解することになった。
「基地東側に様子の違うテントがあります。そこに白い女剣士が捕らえられています。移動魔法は極力控えて。理由は省きます」と耳打ちをされたのだ。
歩くことしかできないが、わずかに声が出せたので、「移動魔法はどうやって封じるんだ?」と俺は尋ねた。
「そんなもの、ありませんよ。さっさと行ってください」と彼女は目を合わせず無表情でそう囁いたのだ。