ノルデンヴィズ南部戦線 第十二話
「久しぶりだな。もう二年ほど経つのか。君は命の恩人“だった”な」
「こちらこそお久しぶりです。カルル伯……さん。お元気そうで何よりです」
カルルと寸分の笑顔を見せずに再会のあいさつを交わした。だが、『さん』付けで呼ぶと、机を囲っていた指揮官たちが目の色を変えて俺を睨みつけてきた。
彼は飾り気のない軍服を着ているが、他の指揮官とは明らかに異なるのはその素材のせいもあるだろう。
おそらく彼の部下である五人の灰色の軍服と同じ作りの物ではあるが、素材縫い目質感が異なる。短い毛が立ちきめ細やかに並び、彼の動きに合わせてそれが波を打つように輝くのは別珍素材だ。縫い目もあまり目立たない。おそらく手縫いで丁寧に仕上げられたものだろう。
「そうだな。私は元気だ。君のおかげでな。だが、君が起こした誘拐事件で死にかけたのも事実だ」
誘拐事件を俺が起こした? カルルと会ったのは二年前だけだ。それ以降は一度も顔を合わせていない。どうも理解ができない。他の件と間違えているのではないだろうか。
「お言葉ですが、俺が起こした誘拐事件とはいったい何のことでしょうか?」
「おい、君! 総統に向かってその口の利き方は何だ! 失礼極まりないぞ!」としびれを切らした指揮官の一人が声を上げた。
それにカルルは、「構わない。私がかつてそう呼べと彼に言ったのだ」と制止した。だが、その指揮官は身を乗り出して机を掌で叩いた。
「ですが! それでは部下に示しがつきません!」と不服を申し立てたが、カルルに黙って睨まれると口を噤んでしまった。
「君は」
それからややあってカルルは口を開いた。
「連盟政府内にいる難民エルフを操り、私を誘拐させたそうではないか。そしてその後私を救出した。いったい何が目的だったのだ?」
「ちょっと待ってください。それは二年前のあの件ですか? それについては、俺が誘拐を指示したわけではありません」
「だが、君はエルフの、共和国と仲がいいではないか。ある男から聞いたぞ」
ある男、このパターンは何度目だろうか。おおよそ見当がつく。各地に無作為に現れもめ事の種をまき散らしていく俺を知る男など一人しかいない。
「誰ですか? それは?」
「君に教える義務はない。何が目的だったのかだけを言いたまえ。私は君を処罰しなければならない。だが、返答次第では罰を軽くすることもある」
「そうですか」
もう処罰を加えるのは前提のようだ。その男が信頼に値するのかどうなのか、カルルは考えているのだろうか。
自分自身の経験からすれば、その男の口から出る信頼と言う言葉は本来の意味を失っており、他人を利用するときに使う口からの出まかせでしかない。一番信頼できない言葉なので信じるなどあり得ないのだが、カルルからすれば見ず知らずの他人だ。だとしても見ず知らずの他人を信頼するというのは思慮に欠ける。
だが、もはや信頼しきっているようなのでこの場では否定をするのは止めた。
「では、カルルさ……総統閣下、俺がエルフを操ってあなたを誘拐させたメリットは何だと思いますか?」
「それは今私が聞いているのだ」
「わかるわけないですよね。俺も全く分かりませんし。誘拐を演じ、救出することであなたの好意や支持を得ようとした風に見えますね。ですが、そんなことをする理由が俺にはわかりません。ましてや当時のあなたに」
「何が言いたい」
カルルは分かっているはずだ。拳が震えたのか、上着の輝きが見逃してしまうほどの波をうった。
「都を追われ落ち目の辺境伯に媚びを売るような無意味なことをするメリットは何一つありません」
「貴様は私を愚弄しているのか?」
今度ははっきりと拳を握りしめている。
「いえ、そんなつもりは毛頭ございません。ですが、これから沈む船にわざわざ棲みつくネズミはいませんということです」
「不愉快な奴だな」
だが、都落ちしたのは事実だ。カルルも何も言えないのだろう。ましてやこの場にいる指揮官たちの前でどこのシロウトとも知れない俺の挑発に乗り怒り狂って声を荒げれば、どれほど結束が強くとも見限られるだろう。苛立ちを隠しつつも言葉少なにそう言った。
しかし、不快なのは彼だけではない様だ。先ほど声を上げた指揮官だけでなく、それ以外も殺気を立って俺を睨みつけている。焦げ付かせるような熱く、怒りに満ちた視線を肌で感じるのだ。
「俺が言いたのは、そんな意味のないことをしないと言うことです。誰がそんなことを言ったのか、それを教えていただけませんか? 嘘には簡単に騙されないと思っていたあなたを騙せるほどの逸材の名前を」
「名前は言わなかった。マントを来た剣士風の男だ。自らを“至高の賢者”と名乗っていて、顔の見えない馬車の中で“教祖”と呼ばれている老人を連れていた。
その二人の話では、お前は国家転覆を図るために連盟政府中枢に紛れ込んで私を貶め、さらにいずれ力を持つであろうと思い難民エルフを使って誘拐させて、しばらく黙らせようとしていたと言っていた。自分よりも先に目的を達成されては邪魔になる、とな」
暗躍する“剣士風の男”と“老人”となるとシバサキとワタベ以外には考えられない。
「なぜ、自分で助けたのかについてはどう聞きましたか?」
「いずれ国家転覆を図るなら、助けておけば役に立つかもしれないと考えた末にそうしたのだと男は言っていた。それと、惚れた町娘にいいところを見せるためだとも言っていた」
「あぁ……、そうですか」
馬鹿げてる。うっかり吐き出すような返事をしてしまった。
「君はどう弁明するか」
「残念ですが、そのような回りくどいことはしません。その剣士風の男と老人の目的は知りませんが、俺はそんなことはしません。ブルンベイクの町が難民エルフによって孤立させられて、そこの住民が困っていたので彼らをどかしに行った。
結果、その中にあなたが人質として連れられていたので助けただけです」
「私はその二人が真実を伝えて回っていると言っていた。最初は胡散臭さゆえに信用していなかったが、その後にお前について色々知っているという別の男から改めて話を聞き、でたらめではないと確信した」
「失礼します」と話の途中で誰かがテントへ入ってきた。
俺はその姿を見た瞬間、跳ねた鼓動に遅れた全身の血管が驚き、血圧が上がるのを感じた。
バスコの研究所で見た、冷たい雨天の空に赤子と槍を高く掲げて笑う、そして、あの燃え盛る建物の背景の中に浮かぶその姿。その時の雨曝しの赤子が泣きじゃくる声も、ガラスの軛から放たれ燃える薬品の放つ匂いも、コートを染みシャツを濡らしじわじわと背中を覆う雨の冷たさも、顔を橙に染めた爆炎の熱さえも、血のめぐりととともに肌に蘇る。
オールバックの黒い髪に色白の肌、細く切れ長の青い目。またしても現れた、モンタンである。