なぎさにまつわる 第一話
第10話です。
主人公の転生前のお話です。
主人公たちが何の国家試験に受かったのか、職業の内容は本編とはあまり関係ないので伏せることにしました。そのせいで非常に読みづらいかもしれません。
首都高環状線は深夜にもかかわらず車が多くて騒がしい。休みになると昼夜を問わず動きたくなるのは誰しも同じようだ。カーステレオから流れるPUF○Yの曲はアップテンポで、それに合わせて首を揺らしてしまう。
「なぎさちゃん、眠くないの?」
「全然平気―、明日彼氏いなくて暇だったからちょうどよかったよ」
「いきなり夜光虫が見たいとか言い出して何かと思ったよ。俺もネットニュース見てたら行きたくなったんだけどね」
「江の島だっけ?早く連れてってよー」
「逗子、材木座、鎌倉、由比ヶ浜、稲村ケ崎越えて七里ヶ浜、小動神社、腰越、そのあとに江の島。今日は由比ヶ浜。パンプスだと砂浜歩きにくいかもよ?」
「はいはい。細かいのね。大丈夫でしょ」
ナビでは真っ赤になった名古屋へ行く方の高速を避けて海沿いを神奈川まで行く方へ向かった。トンネルから出るとなぎさは窓を開けた。すると香水の香りと少し湿り気のある外気が、車の中を満たしていった。
茶色い巻き髪をなびかせながら助手席で足を落ち着きなくバタつかせている派手な女の子は嶋津渚。コマドリの卵の色をしたワンピースに白のカーディガンを羽織っている。有名な香水をつけていると言っていたが、俺にはさっぱりだった。学生時代からどちらかと言わなくても俺は地味なほうで、なぜ正反対の俺たちがつるみだしたのかは、もう一人いた友人と共通の知り合いであることが縁だった。
最初の飲み会で俺となぎさは酒の趣味が近いことがわかった。かろうじて飲めるビールを除けば、お互いにお酒は好きで、すぐ酔っぱらってしまうがワインは特に好きだった。なぎさもワインが好きでよく丸の内や大手町周辺で飲むようになっていき、当時はそれが何かある種のステータスのように感じていた。丸の内でワインという趣味はかなりすかしてはいるものの、雰囲気はよかったし、そこで飲んでいる自分自身が好きで、そして何よりなぎさと飲むのは楽しかったので、回数を重ねるごとに意気投合していったのはよく覚えている。
なぎさが夜光虫を見たいと言い始めたのはその日の昼過ぎだった。ゴールデンウィーク中の休みが被っていたのでちょうどよかったのだが、できる限り混雑を避けるために、そして夜光虫を見やすい条件のために出発が深夜になるけれどいいのかと言うと、なぎさはあっさり了承した。
着いたのは深夜二時ごろ。海側から鎌倉駅に向かう道の途中のコンビニにあるコインパーキングに車を止めて浜辺まで歩いて見に行った。
最初の感動こそ忘れられないが長い時間見ていた夜光虫にも見飽きた後、砂浜から上がり、海沿いの堤防に肘をついて海を眺めていた。なぎさはヒールが高くて歩きにくくなったのか、パンプスの踵の部分に指をかけて持っていた。
「そういやさ、彼氏いるのに俺なんかとドライブしていいの?」
「えー、別にいいよ。なーに今さら言ってのー。もう5、6年もこんな感じのくせに」
「そもそもの話になっちゃうんだけど、どの彼氏よ?」
「あの保険会社の人、白金にマンションもってる」
「ああ、あの人!まだ付き合ってたんだ!」
「まぁ別れたら和泉くんに報告して飲んで終わりだし、男なんて山ほどいるしね」
「いつものパターンか、ははは。て……あれ? 別れの気配?」
イタズラっぽく笑うなぎさ。彼女はいわゆる恋多き女だ。大学二年生の時から何人の彼氏がいるかわからないぐらいたくさん話を聞いて来た。
最初のころはおいおい大丈夫かと、心配したものの彼女自身にどこかに自制心があるらしく、何か被害を受けたという話は聞いていない。もはや慣れっこだ。
「和泉君は大丈夫だよ。なんかそんな感じじゃないし」
「そっか。なぎさちゃんが平穏無事ならどこで誰と恋愛しようと俺は知ったこっちゃないからなぁ」
なぎさは当然ながら俺を恋愛対象だとは思っていない。車を持っているから都合のいい脚ぐらいとしか思っていなかったのだろう。俺は車でどこかへ出かける口実ができるからちょうどいいと思っていて利害の一致があった。その結果、異性として意識するタイミングがお互いになかったので自然と気を遣わなくていい友人となっていった。
「夜光虫きれいだねー。海すっごい臭いけど。桜子も来ればよかったのにね」
「桜子にも声はかけたんだけど来ないって断られたよ。さすがに夜中だからねぇ。プランクトンの数が多いから死んでいく数も多いんだろうな」
俺となぎさを引き合わせた、そのもう一人は桜子。野々宮桜子。しかし、予定を合わせて飲み会やドライブに誘っても来ることが少なくなり、声もかけ辛くなっていき次第につるむことが無くなっていった。
夜光虫の光も弱くなって、崩れる波がただ白いだけになってきた。
空がほんの少しだけ、色を変え始めていた。白んでくる前の紺青色。
にわかに雲が出ていて、俺たちがそれぞれに帰宅してひと寝入りした後には雨でも降るのだろうか。
「お嬢さーん、ぼちぼち帰ろーよー?もう4時前だよ」
「そだねー。かえろーか」
「家どこだっけ?神楽坂のあたりだっけ?」
「え?送ってくれるの?」
「いや、どっかの駅で降ろして始発まで放ったらかしはおかしいだろ」
「やったー!ありがとう」
助手席に案内して乗せるとドアを閉めた。
その後、高速に入るあたりで車内は静かになった。帰りの車の中で寝息を立てるなぎさ。無警戒な寝顔を見ていたら、このまま腐れ縁てやつでこれからも大事な友人でありたいと思った。仕事でうまくいかない日々に自信を無くしても、なぎさと話せばまだ、まだいけるような、そんな気持ちになれる。
ほんの少しだけ空調の温度を上げた。
野々宮桜子。俺となぎさの共通の友人だ。
桜子も大学の同期で、入学時のオリエンテーションで行われるディスカッションで同じ班になったことで仲が良くなった友人の一人だ。
俺たちは3人とも大学卒業後に国家試験合格し同じ職場にいた。職業の関係上、大学に残るという選択肢もあったので、3人ともその道を選んだ。
その時俺が働いていた大学内の部署はなぎさよりも桜子に近く、たまに顔を合わせると立ち話をしていた。
「桜子ね、お見合いとかしているんだけど全然いい人が見つからないの」
「へー、どんな人に会ったの?」
「この間あった人はいかにも暗そうな人だったの。話をしていて目を合わせない人ってどう思う?そのあと、ちょっと面倒くさくなっちゃってデートの予定さぼっちゃったの」
「そ、そうなんだ」
桜子はその当時、婚活に夢中だった。昔からこじれた恋愛をしていて、付き合ったかと思うと不満を爆発させ、そしてすぐに別れ、別れたかと思うとすぐ他の誰かと付き合っていた。この点ではなぎさと似ているのかもしれない。ただ、決定的に違うのはなぎさと対照的に常に後ろ向きだったことだ。
恋愛に関しても愚痴ばかりだったのも覚えている。誕生日プレゼントが自分のあげたものよりしょぼいものが来たとか、自分の方が忙しいのに予定を合わせてくれないとか、そして最後には、自分は愛されてないと言う結論に至ってしまうのだ。
学生時代、彼氏と別れたときはなぎさと俺を呼び出しては純愛だった、遊ばれたと泣きまくり、さんざ酒を飲んで暴れた一週間後にはケロリと新しい出会いをしているのだ。割と暇な時間が多かった学生時代は「今夜は飲もー!」とはじけてしまえばよかったのだが、仕事が始まるとそう簡単にはいかなくなった。学生時代のように同じ時間に講義を受け、終わる時間も同じというほど甘くはなく、ずれた予定を合わせるだけで精一杯になった。
卒業し婚活を始めてからはおとなしくなったものの、どうしても早く結婚がしたいらしく婚活に夢中になった。その割には出会い一つ一つを大切にしていないような、大学時代から何一つ変わっていない印象があった。その結果なのか、うまくいくはずもなく次第に何かが少しずつずれて行ったようだ。つるまなくなっていったのもそのぐらいのはずだ。
「その前にあった人もマザコンみたいでお見合い場所に母親が来ていてちょっと気持ちが悪くてその場でお断りしたの。さらにその前なんて、デートの予定をなんでこっちからわざわざ連絡して合わせなきゃいけないのか、意味が分からなくて流したの。今登録している斡旋業者はなんだかみんなコミュニケーションに問題がある人が多いみたいで」
「へ、へぇー」
桜子の世界は俺の知っている結婚観、恋愛観とはだいぶかけ離れたところにある。これはあくまで俺の考え方であるが、恋愛も結婚も双方のある程度の我慢と譲歩が必要なのではないだろうか。俺はそれができなくて無理だと大学生の時にあきらめた。だが桜子は我慢も譲歩もするのは相手だけと言う考え方のようだ。
「正直誰でもいいの。結婚できれば」
憂鬱そうに上を向く桜子。視線の先は遠くを見ている。
それを聞いたとき、俺は何か違和感を覚えていた。彼女の中ではきっと『自分にとって都合が良ければ』誰でもいいということなのだろうか。ただ単に誰でもいいならもっと早く解決していたはずだ。そして、その『コミュニケーションに問題がある人が多いところ』に登録している君はいったい何者なのだろうか。
「桜子はね、別に彼氏や旦那が浮気していようとどうでもいいの。むしろその浮気相手を家に連れてきて紹介してほしいくらいなの。うちの男がお世話になっておりますと、一緒にお酒を飲んでみたいの」
それは完全なるマウンティングだと感じてしまう。自分は絶対的有利な立場にあるという、思い込みの末にそんなことが言えるのだろう。それ以前に大学時代の桜子を見ている限りこれははったりであることはわかる。事実、この話をする桜子のしゃべり方は早口になり、前に出るような勢いがあった。
俺はもし好きな女が間男を紹介などしてこようものなら、怒り悲しみよりも自らのそれまでの生きざまを否定してしまいそうだが。それを言うと桜子は「和泉くんてさ、恋愛に夢見てるの。そんなんだから彼女できないの。もっと相手のことを信用しなきゃいけないの」としかい言わないのだ。
どうも桜子は本当におかしくなってしまったのではないだろうか。いや、学生時代には隠れていたものが出てきただけなのだろうか。
後日、俺がおかしいのかとなぎさに聞くと、そんなことはない、相手に飽きていなかったら私なら殺すかも、とやや物騒な同意をしてくれた。なぎさの恋愛観も吹き飛んではいるが、ほんの少しだけ安心してその後は桜子を見守ることにした。
月日の流れは目まぐるしく、気が付けば夜光虫を見に行ったドライブから半年ほど過ぎた11月半ば。
なぎさが結婚すると報告してきたのだ。
突然の報告に驚いてしまったが、何かと前向きで勢いのある、相変わらずななぎさらしさにすこしうれしくなってしまった。
「そうかー。なぎさちゃんついに結婚か。飲み友達が減るのはザンネンだなぁ」
「全然さみしそうには見えないけど?」
向かいの席で白ワインのグラスを傾けるなぎさは口角と片眉をあげて笑っている。
「でも、確かに和泉君とは飲みづらくなるかもね」
そのままグラスの中へと視線を落とした。
「人妻だからね。あ、もしかしてコウノトリさんフライング?」
「あははっ、違うよ。うーん、まだそれは考えられないかな」
「おっと、セクハラになりそうだね。ごめん。そういえば、桜子には話したの?」
「桜子には、まだ。というか、最近話しづらくてね」
顔をしかめてなぎさはため息をついた。そしてグラスに口づけをして向き直った。
「確かになぁ。俺から伝えとくよ。おめでとう!ところで奥さん、どの彼氏と結婚するの?」
「ありがとう。医者の彼氏。お互い医療系だから話も通じるところがあってね」
「ほーそうかー。ぶっちゃけ学生のころ、なぎさちゃんは絶対結婚できないって思ってたけど、最近そのどす黒パリピオーラもなくなってきたような気がしたのはその彼氏のおかげかもな」
そう言うとゆっくりと唇を開いて微笑んだ。
「そう? よかった。そういえば和泉くんさ、研究日のバイトは大丈夫なの?何か悩んでるって言ってたけど」
その日は9時ごろ解散となった。9時解散とは早いかもしれないが、俺たちにとってはいつもの解散時間だ。次に楽しみを残しておくほうがいいような、そんな風に楽しもうと俺が最初のころ提案したのだ。長い付き合いの中で冗長な飲み会で俺が疲れてしまうのもなぎさは知っていたし、なぎさはなぎさでダラダラ長い時間飲むと飽きてしまうのも俺は知っていた。大手町にある店を出た後、少し離れた東西線の改札まで送っていった。
「俺は帰るかなぁ。なぎさちゃんは? クラブ?」
「さすがに行かないよ、もう。大学生じゃないんだからさ」
「そっか。じゃ気を付けてね」
その翌日、桜子と顔を合わせたときだ。
「おーす、桜子。なぎさちゃん結婚するの聞いた?」
「え、なにそれ、、。本当なの?」
桜子は手に持っていたカルテを握り締め、近づいてきたかと思うと心配そうに俺をのぞきこんだ。喜ぶのかと思ったら、意外な反応をして頭を後ろに少し下げてしまった。
「ホントみたいだよ。素敵な旦那さん見つけたみたいでよかったよ。おめでたいよね」
「うそ!」
聞いた途端桜子は声を荒げた。
さらに調子を変えずに「そんなはずないの! だって、なぎさは!」と言って息をのむと目じりに涙がたまり始めた。
「和泉くんもさ、いいのそれで!?本当にいいの!?」
泣きそうになる桜子に驚いて、言ったことを急いで思い返す。
「なんで? どうしたの!? そりゃめでたいじゃん。大学からの友人が結婚するんだから」
「うそうそ、うそなの! なんで。なぎさは待ってたかもしれないの!? 和泉くんのバカ!」
はっとした。なるほどそういうことか。言われて気が付いたが考えたこともない。
何を待っていたのだ、ととぼける必要はない。
恋愛がらみになると行き過ぎた考え方をする桜子だ。よくつるむからと言って俺たちが恋愛関係に発展するという風に考えていたのだろう。
桜子に言われてなぎさをどう思うか。頭の中のどこを探しても友だち以外の解答はない。
男女の友情はないと世間は言う。では俺たちはどうかというと、お互いに恋愛対象としては見られないが、なぎさが楽しいことは楽しいし、なぎさは俺が困ったときは助けてくれたし、逆もまたそうだ。それゆえ確かな友人だという感情はある。しかしそれでは男女の友情になってしまうので、6年と言う長い歳月を費やした後、利害の一致という関係性が一番的を得たものということに落ち着いたのだ。
確かに俺は恋愛に対してお互いの譲歩と我慢などと夢を見ているかもしれない。しかし、白と黒しかないほど人間関係は単純ではないはず。人と人の交わりに対してその程度の希薄な感覚しか持ち合わせていない人に恋愛に夢を見ているなどと言われたくない。
さすがにこれは桜子が一人で盛り上がっているとしか言いようがない。
走り去る桜子の背中を呆然と見送った。病院の廊下を走るなよ、あぶない。
しかし、その時俺が言ったことが結婚を急いでいた桜子をさらに壊したのかもしれない。いずれ耳に入るであろうことだが、デリカシーの無い俺は、なぎさの結婚のことを俺自身が伝えることで彼女にとどめを刺してしまったのだ。
眺めのいいラウンジから見える地平線に、ビルの谷間をぬって夕日が落ちていく。大きなガラスについた手すりにもたれかかり、並んで話をしていた。
「前から聞こうと思ってたんだけど式はいつあげるのさ?」
「いまのところ、6月の予定。ジューンブライド!いいでっしょぉ」
「土っ砂降りだな、こりゃ。ご祝儀、去年のロトくじでいい?」
「あっははは、絶対ヤダ!許さない!土砂降り結婚式は幸せになれるんだよー」
「知ってる」
俺たちは大きく笑いあった。
しかし、なぎさはすぐさま真面目な顔になった。そして口を開いた。
「ねぇ、あのさ」少しずつはにかみながら「友人代表でスピーチ、してよ」と言った。
「えっ。ヤダ。偉い人来るんじゃないの? サンバで勘弁してよ」
いきなりの依頼に思わず渋ってしまい、冗談でごまかしてしまった。
笑うかと思ったなぎさは、視線を下にそらすと髪の毛をくるくると指に巻きつけていた。そして窓のほうへ向きなおった。
「和泉くんにしか、頼めないよ。桜子は、なんだかもうよくわからないし」
なぎさは、本当は桜子に頼みたいのではないだろうか。もとはと言えばなぎさと付き合いが長いのは俺より桜子のほうだ。夕焼けに染まる顔は遠い目をしていて、地平線のその先を見ているようだった。それは前向きな彼女が見せたこともないような、どこまでもさみしそうな顔だった。太陽の切れ端が、時間をかけて山間に消えていく。
「桜子に何か変わった様子なかった?」
「最近は、もうラインしても未読のまま。すれ違っても無視されるし。どうしちゃったんだろう、ね。やっぱり私が先に結婚したのがショックだったのかな?」
「それはあるかもしれないね。でもさ、それはなぎさちゃんが結婚を遅らせる理由にはならないと思う」
俺はなぎさの目を見すえて答えた。
「スピーチ、やるよ。サンバもね」
「サンバはいらないって。ありがとうね。和泉くん」
しかし、年の瀬の足音があわただしく聞こえはじめたころだ。職場での雰囲気が徐々におかしくなっていった。
読んでくれてありがとうございました。