ノルデンヴィズ南部戦線 第十話
ウミツバメ亭のドアが開けられて外に出ると、先ほどよりも気温がだいぶ下がったノルデンヴィズの街には雪がちらつき始めていた。
灰色の曇り空も街も、そして残っていた雪も陽が沈むと一様に濃紺に染まり、そこに音もなく舞い落ちる雪も青く視界を遮る。向かいやはす向かいの家の大小さまざまな窓、何やら乱暴に閉められた後にわずかに揺れているそのカーテンの隙間から漏れる灯りが騒がしく感じるほどだ。
ふわふわとしたぼたん雪はゆっくりと石畳に降りたち、そして消える間もなくその上にぼたん雪が重なる。これからすぐにでも積もるだろう。ノルデンヴィズから北は大雪の気配だ。
黒いコートの袖に降る雪たちの生まれ故郷を辿って空を見上げていると、「さっさと歩け!」と隊員にどやされてしまった。だが、ぶつかって来たり小突いたりをする様子はない。ありがたいことに警戒されているようだ。
店の外には同じ灰色軍服の隊員が何名か銃を携えて見張りをしていた。白い息を時々上げながら、険しい目つきで辺りを見回している。通りの端まで非常線が貼られているようだ。
遠くに見える灰色の背中越しに、野次馬が何人か様子を窺っているのが見える。ある者は口を押えてのぞき込むように、またある者は口をわずかに開け棒立ちでこちらを見ている。
ドア近くにいた見張りがチカチカと何かを光らせて合図を出すと、非常線を張っていた兵士たちが駆け足で寄ってきた。そして「確保したから撤収だ」と言うと、寄ってきた兵士は敬礼して隊列についた。
ウミツバメ亭を出て大通りへ向かい、そして街の外へ向かい始めた。四人の隊員と女性隊長に、店の外で待ち構えていた十人前後に囲まれる形で街中を歩いていると否が応でも目立ってしまう。
街行く人々は中心にいる俺を見てひそひそ何かを話している。だが、それらも隊員や隊長にギロリと睨まれると、関係などないかのように視線や首の向きを逸らすのである。あまり関わりたくないのだろう。
連行される最中に両側を囲むように歩いている兵士の持っている銃をチラチラと確認した。
銃はどうやら魔力雷管式銃のようだ。モンタンが持っていたような拳銃ではなく単発式の小銃で、バヨネットラグが付いているのが見える。
まだ支給されたばかりの様で、筒の金属部分は新品同様の輝きを放ち、バットプレートの木目の色調も若い。なぜ共和国から最も遠いこの北国の人間たちがそれを持っているのか、どこからその技術が流出したのか。少々疑問が残る。
さらに、杖が腰や背中に無い兵士は必ず銃を持っているのだ。兵士一人一人が当たり前のように高品質に見えるそれを携えているのは、大量生産された結果なのだろう。大きな懸念だ。
それから街を抜け、外で待っていたなめし皮の匂いのする馬車に乗った。
ラド・デル・マルから直接移動魔法できたので街の外の様子を見る機会がなかった。緑を残したまま白く雪化粧をしている街道はこれまで見慣れていた物とは異なり初めて見る様な感覚だった。
ノルデンヴィズ一帯は早すぎた雪の季節の到来についていけなかった植物たちが緑を残したまま、雪の下に覆われているのだ。
つい先日までの真夏に青々と茂っていたが、葉っぱはそのまま寒さにさらされ、葉先を茶色にできる間もなくだらしなく萎れている。だが、その中でも雪国独特のアイスグリーンのトウヒや濃い緑をしたモミの葉っぱたちは雪を載せても気丈に生えている。
噴火の影響で遮られた沈み始めの日光は少なく、曇り空は普段の雪の時よりも分厚く覆っていた。雪の降る外は世界をどこまでも青くして、道を希にすれ違う馬車の灯りでそこはわずかに白銀の世界が映し出される。
行き交う馬車はもちろん、俺や兵隊が乗るこの馬車も、まだ夜までそう早くないのに御者台からランプで道を照らしているのだ。暗がりに降る雪は明かりにともされて、穏やかに吹く風に舞っている姿を現す。光の筋から外れるとそれは薄暗がり青の中へ戻って行き、まだ新雪間もない地面にさらに重なっていく。
蒼い世界に生えた木々に積もる物悲しく寒々しい景色に飽きて、温かい車内へと視線を戻した。
手錠など無駄な拘束はされていない。されたところで逃げ出そうとすれば逃げられることも理解したうえで、逃げる意思がないと悟っただのだろう。
だが、監視の目は相変わらず厳しい。やたら背筋の伸びたいかにもお堅い軍人のような者たちが俺の座っている方を微動だにせず見ているのだ。何とも息苦しい光景にため息が出た。
馬車に乗ったのは、もしかしたら久しぶりではないだろうか。前回は……思い出すのは面倒だ。
共和国で初めて自動車に乗った時、ガタガタと乗り心地の悪いことこの上ないと思っていたが、改めて馬車に乗ると比べ物にならないほどに乗り心地が悪いではないか。小石なり道草なり、どんな小さなものを踏みつけているかわかるほど、僅かに非対称な木製の車輪が尻に足の裏にそれを投げつけてきているかのように伝えてくる。
あとどれほどで着くのだろうか。腹立ち紛れに穴の開いた薄いクッションに座りなおした。